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2011年12月15日 (木)

会津武家屋敷へ

福島県「会津武家屋敷(西郷頼母邸)」へ行ってきました。

西郷頼母(さいごうたのも)は、戊辰戦争(会津戦争1868年)に会津藩の旧幕府軍の総督をしていた方で、この戦争で家屋は一部焼けてしまったが、ここに修復移転された。

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入口。奥の柔道をしている像は、養子の西郷四郎の像。小説「姿三四郎」のモデルになった人物。

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表玄関。上級武士だけが通された玄関。妻の千恵子(人形)がお迎え。

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お成りの間。お殿様がおいでになったときだけ使用されたお部屋。年に2回ほどしか使用されなかったとか。大河ドラマ「新撰組!」で使用された部屋。(松平容保役は筒井道隆さん)

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自刃の場面。戊辰戦争の1868年8月23日早朝。敵が身近に迫り西郷家の女性たちは戦いの足手まといになりたくないと自害を決意した。白装束に着替え、辞世の句を詠み、千恵子(34歳)は9歳4歳2才の自分の子を刺すと、自刃した。16歳の長女細布子、13歳の次女多喜子も自刃した。敵の西軍藩士の中島信行が屋敷に侵入すると、死にきれずもだえ苦しんでる少女を発見。彼女はもうろうとしながら「敵か?味方か?」と聞き、あわれんだ中島が「味方です」と答えると、安心した表情で介錯をたのんできた。彼はとどめを刺すと、その場で号泣した。という場面。(中島信行は坂本龍馬が1867年に死ぬまで海援隊にいて、その後陸援隊に入った。このことからこの場面の男は中島信行ではないともいわれる)

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母子が自刃した部屋。別の部屋では頼母の母(58歳)、親戚の小森家族5人、町田家族3人、浅井家族2人も自刃。この屋敷で合計21人の女性が亡くなった。

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左の写真はトイレ、右はお風呂。お湯は防災上、台所で沸かし手桶で運んでいた。残り湯は肥料に使用された。

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台所。

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他もろもろ。

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敷地内にある。「旧中畑陣屋」代官所。

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千利休の子、少庵が作った茶室(嶺南庵)

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佐々木只次郎三郎の墓。(坂本龍馬を斬った男)

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