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2012年1月

2012年1月 3日 (火)

今年も福箱を買う

年に一度の、年初め一大イベントが今年もやってきました。

去年は震災があったので、今年はやらないかもと心配しましたが、開催してくれました。

購入できるかが勝負どころ。これで一年の気分が違ってきます。(ちょっと大げさですが)

チラシを見ると店によっては福箱の内容が違っていて、5000円で「商品券5000円と菓子10個入った袋(元旦に1000円の買いもした人のみ)」や2000円で「2000円以上の食品と500円の商品券」などいろいろなタイプがある。

たまたま偶然だけど、わたしの行きつけの店のは結構条件がいい気がする。ライバルが増えるので詳しく書けないのが残念ですが・・・。

元旦、A店に並ぶ。前年と同じ時間で大丈夫だった。

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引換券を配り始める10分前に店の人がみんなにホッカイロを配ってくれた。

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引換券。5番目。

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今回の5000円の福箱の中の商品。定価で1000円分くらい。チラシに載せてあった通り入っている。この店は家から近いのでよく利用している。商品も安い。

2日。B店。ここは福箱の数が少ないので買えるかどうか難しいところ。やはり去年と同じ時間に来て大丈夫だった。でもA店よりははやく並ばなくちゃいけないのでつらい。今日は気温3度くらいなので、かなり厚着はしてきたものの1時間たつと足先や指先がかじかんでくる。

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引換券を配る10分前にホット麦茶がふるまわれた。

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引換券。18番目。

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10000円の福箱の中身。定価で2000円くらい。箱が重いので「米?」と期待しちゃうが実は毎回2リットルの水が入っている。今回は500㎖のまで入ってる。(うちは水道水を飲んでるのでどちらかといえばいらないんだけど。)サラミは常に2本は入っている。変わり種もいつも1個は入ってる(在庫処分?)。

ここの店は実家のそばにあり、よく利用している。ポイント貯めてグリーンスタンプで商品と引き換えるのが楽しい。

3年前にはここの店でたまたま無料の箱根旅行券が当たり、行ってきたことがある。集合はこの店の駐車場で、朝6時出発だから5時には旅行する人たちが待っていた。11月の寒い時期だったので、開店までにはまだ5時間もあるというのに店長が自動ドアと自動ドアの間を開放してくれ、さらに暖房まで入れてくれた。なんていう配慮だろう。感心してしまった。こういうただの旅行にはコースの中に高級店に入るというぼったくり的な主旨が混ざってることがあるらしいが、この旅行にはそんなものはなかった。ほんと良心的なお店である。

2012年1月 6日 (金)

2005年の石ノ森萬画館

今年は辰年ということで、龍のからくりがあった「石ノ森萬画館」を載せてみました。

2005年12月4日に行った時のものです。

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外観(写真は知人)。右はパンフレット。

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毎時00分に正面玄関のハッチから龍に乗った石ノ森キャラが出てきてました。

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玄関そばのコインロッカーにもキャラが描かれています。

ここのスタッフはみんなサイボーグ戦士の格好をしていました。

去年の東日本大震災の津波にのまれてしまったので、現在は修復中です。

おまけ:「石ノ森ふるさと記念館」

やはり萬画館に立ち寄ったらここにも来るよね。

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石ノ森章太郎ふるさと記念館、入口。

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サイボーグ009の像(初期のころのデザインだね)

石ノ森章太郎(1938年~1998年)漫画家

若いころはトキワ荘の住み、赤塚不二夫や藤子不二雄とともにマンガを描いていた。

「ジュン」という作品では、才能のすごさから手塚治虫の嫉妬をかってしまったことは有名。

代表作「サイボーグ009」「さるとびエッちゃん」「マンガ日本経済入門」「HOTEL」「がんばれ!!ロボコン」仮面ライダーシリーズなど。

水戸八幡宮で初詣(前編)

初詣に「水戸八幡宮」へ行ってきました。

水戸八幡宮の由緒:

佐竹義宣(いとこは伊達正宗)が1589年に馬場八幡宮から八幡大神を水戸城西八幡小路に奉斎し、1598年に御本殿を建てた。1602年に徳川家の所領になった。以来、水戸藩主代々の崇敬社となった。(ややこしい話なのでこのくらいで勘弁)

農業、工業、商業の神、厄除け、子育て、戌亥年生まれの守護神として信仰される。

御祭神:

誉田別尊(ほんだわけのみこと・第15代応神天皇、201年~310年)Photo_2

息長足日売尊(おきながたらしひめのみこと、神功皇后。誉田別尊の母。夫の死後、妊娠してる体で朝鮮出兵し、戦わずして新羅に勝ち、高句麗、百済とも朝貢を約した強い女性。明治時代には日本初の女性肖像紙幣になった。右の紙幣はウィキペディアから)

姫大神(ひめのおおかみ、神道の神、日本固有の神様)

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入口。

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小さめの舎がたちならぶ。

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奥にある一つの建物の中にだけ作り物の馬がいる。むかし馬を奉納してたのでその名残だろう。

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「随神門」。水戸市指定有形文化財。出店でよく見えないので、ホームページにあった写真を右に。門の両脇の舎の中には右大臣、と左大臣が鎮座している。

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拝殿。水戸市指定有形文化財。

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御本殿。国指定重要文化財。

水戸八幡宮に伝わる「火伏せ神」のはなし(要約)

むかし、江戸の神田明神のお祭りがあり、神田佐久間町はイザナギとイザナミが天の浮橋に立つ姿の美しい花車をつくり、ねり歩きました。

ところがその晩、佐久間町から大火事が起こってしまいました。町の人たちは縁起をかついで、その花車を深川のある町に売り渡しました。

次の年、富岡八幡のお祭りにその花車を出したところ、その晩大火事が出てしまいました。花車は今度はいわれを知らない水戸馬口労町(今の末広町)にゆずられていきました。

そして、花車を八幡さまのお祭りに出したところ、その晩またしても大火事になってしまいました。

馬口労町に人たちはあとでこの因縁を知って驚き、イザナギ・イザナミの神様を引きまわしたから罰があたったのだと思いました。そして、その花車は八幡宮境内社の二神宮の中に奉納され、その後1度も出されていないという。

太平洋戦争で空襲をうけたとき、水戸の町は一夜にしてほとんど焼けてしまいましたが、八幡宮は難を逃れて無事でした。守ってくれたのでしょうか?

このことから、はじめは「火を好む神」といわれてきましたが、今は「火伏せの神」といわれ信仰されるようになったということです。

というはなしを帰宅してからホームページで見たけど、イザナギとイザナミの祀られてる「鎮火之神二神宮」はどこにあったのだろう?花車は作られて間もなくでしまわれたなら、今も美しい姿をしてるに違いない。見たいものだ。

つづく。

2012年1月 8日 (日)

水戸八幡宮で初詣(後編)

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水戸八幡宮の境内にある「天満天神宮」

日本最古の天神様・菅原道真(845年~903年)を祀っている。(写真はウィキペディアから)

1月25日には命日にちなんで「初天神祭り」が行われ、学業成就・受験合格を祈念する。

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稲荷神社。ここでは宇迦之御魂神(ウカノミタマ)(日本神話に登場する穀物の神。兄は歳神様。)を御祭神している。

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徳川斉昭公が手植えた桜「左近の桜」。時期じゃないので幹だけですが。

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他に国指定天然記念物のイチョウの木「御葉付公孫樹」がある。写真はイチョウの木のそばにある干支の石像。わらのところには参拝者がつけたおみくじが。

この日は1月4日だったけど、午後2時から「湯清め神事」が行われていた。わたしは知らなかったので参加しなかったけど、新聞にはその様子が載っていた。

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若水(元旦にくんだ水)を大釜でたぎらせ、祈祷した後、その熱湯のしぶきをあびることで邪気を祓いすべての霊を浄化できるという神事。このお祓いを受けた方は、気力が充実し、1年間健康で過ごせるという。創建以来400年つづく行事だという。参拝者には竹筒に入れたその霊水をもらうことができるそうだ。

水戸八幡宮の「大菊花展」

2010年11月9日のときの水戸八幡宮の「大菊花展」(毎年10月24日~11月15日開催)

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入ってすぐの目につくとっころにあった菊。

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アーチのかたちに生やした菊。

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あまり菊の写真を残してなかったのでこれだけ。

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イチョウの木のそばにいる干支の石像たち。「辰」

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「申」、聞かざる、言わざる、見ざる。

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「酉」「未」「巳」「卯」「丑」「大黒天」

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「戌」「寅」「亥」

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国指定天然記念物「御葉付公孫樹」

樹齢700年樹高35メートル、幹周り6メートル。遣唐使持ち帰った5本のうちの1本と伝えられる。樹勢の雄大風格ある姿は同種類中全国第一といわれる。

2012年1月11日 (水)

年賀状の書き損じは今

いつのころから始まったのか、書き損じのはがきで「働く外国の子供たち(学校へ行くべき低年齢の子が働いている)」を支援する、という取り組みのはなしをあちこちで見かけるようになった。

投函してない書き損じのはがきを日本の支援団体に送ればいいらしい。

書き損じのはがきを郵便局で1枚5円の手数料を払い、切手に変え、金券ショップで換金してから、そのお金を送るようだ。

通常、書き損じのはがきは、郵便局で1枚5円の手数料を払い切手またははがきと交換してくれる。はがき10枚交換で50円の手数料を支払った場合、50円切手10枚または官製はがき10枚と交換。(50円切手2枚と80円切手5枚の組み合わなせなんかもできる。)

年賀状などは、よく印刷ミスや書き間違い、思いにもよらない人から年賀状が届いた時のために多めに購入するから、残ることが多い。

子供のころは交換できることなど知らなかったから、年賀のところに紙を貼ってふつうのはがきとして使用したりしていた。かなりみっともないことをしてたと思う。

でも交換出来るとはいっても、今の時代、はがきや手紙を出すのはほとんど少なくなったから、たまる一方。かろうじてお菓子の袋なんかにはいまだにバーコード集めてもらっちゃおう、という懸賞があるから、それを見つけては使用してみてはいるんだけど、なんか処分的なかんじになっているのが現状だった。

そういう風に書き損じはがきが、人助けになる取り組みはいいよね。

年賀状交換はお年玉くじ当選発表を見てからがいいよ。私の場合未使用のハガキが当たってたことがある。いままでに4等(切手シート)しか当ったこと無いけど。

当ったはがきは、昔は、くじ番号のところを切り取られてたけど、今は当選番号のところに消印を押すだけになっています。

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上の写真は、当った4等のお年玉切手シート。平成12年、14年、15年、16年、17年、21年。 (念のため切手の部分は斜め線で消してみました。)

去年の1等は、「液晶テレビ」または「海外、国内旅行」または「ノートパソコン、デジカメ、プリンターのセット」または「オーブンレンジ、ホームベーカリー、炊飯器のセット」だった。

ウィキペディアによると、1等は100万枚中に1枚、2等は10万中に1枚、3等は1万枚中に2枚、4等は100枚中に3枚だという。

うちは30枚くらいしか年賀状のやりとりをしてないから、この先も大当たりはとれそうもないなぁ。

ちなみに、お年玉つき年賀はがきは、1949年に洋品雑貨店を営む林正治さんが、年賀状が復活すれば、戦後のどさくさでばらばらになった人たちの消息が分かり合えるだろうとの考えがきっかけではじまったという。彼は年賀状にお年玉をつければみんなが買ってくれると郵便大臣に何度も直談判したんだって。

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片付けをしてたら、昔の箱のなかに古いはがきが紛れ込んでるのを発見。郵便番号は5桁。7桁になったのは1998年だというから、だいぶ前のはがきだ。

40円切手の時代のはがき。交換しようと思ったけど、おもしろいからとっておくことにした。

書き損じのはがきは、記念切手とは交換できないんだって。記念切手だったら使わなくても気にならないんだけど。

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去年買った記念切手シート。「ピーターラビット」2種と「ベルサイユのばら」。「ナルト疾風伝」は3年前に買ったもの。(やっぱり念の為これも切手のところに斜め線をつけてみました。奥はピンボケしてるからしませんでした)

2012年1月14日 (土)

タイ米調理法は覚えとこう

去年の暮れに、Eテレで「極める グッチ裕三のお米学」が再放送していた。

最終回(?)は「タイ米の食べ方」だった。

タイ米の炊き方(パスタをゆでるかんじのやりかた、湯とり法)

①沸騰した湯に洗ったインディカ米を入れる。

  沈殿して鍋底につくと焦げるので、かき混ぜながらゆでる。

②5~10分、味をみながらゆでる。

③ゆであがったらざるにあける。

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グッチ裕三さんが言うには、「あとからうま味が出る。さわやかな味。ごはんのアクが抜けて上品な味」「10分でゆであがる速さ。水加減気にしなくていい。」と。

カオパ(タイのチャーハン)

①フライパンに油をしき溶き卵1個分をスクランブルして取り出す。

②油を足し、スライスしたにんにく1個分を炒め、芝エビ12匹、玉ねぎのみじん切り2分の1個分を加え炒め、①のたまごを加えて塩コショウ。

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③ゆでたインディカ米茶わん2杯分を加え炒め、仕上げにナンプラーをふりかける。

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日本の米でつくるチャーハンは、最近ではご飯に溶き卵を全体にからめてから炒めるやり方(黄金チャーハンともよばれる)が主流になっている。でもそれは粘りのあるご飯をパラパラにするためであり、タイ米はもともとパラパラしてるから、たまごとご飯は別々に炒めていいというところが楽でよさそうだ。他にパエリア、ジャンバラヤ、ピラフにも合うとか。

つまり、タイ米をパスタの一つと考えれば簡単で、味付けしてから食べるのがおいしい、ということになる。

去年の東日本大震災のとき、今回も早くタイが米を支援してくれるといってくれた。

日本人の口に合うようにとタイ米1万トン、もち米5000トンを送る計画だったが、日本は輸送先など明確な返答をしなかったため、タイは支援を断念、タイ米は日本に入ってこなかった。

日本政府は米はあまるほどあるからと断ったようだけど、私たちの周辺の店からは米が姿を消してしまった。米がない、米が売ってない、米が手に入らない!

1993年のときの米騒動で日本はタイ米にこりてしまったのだろう。

1993年、記録的な冷夏で日本中の稲が育たず米不足となった。各国に米の緊急輸入を要請を打診したら、タイだけがいち早く対応してくれ、タイ米が日本に入ってきた。ところが湯とり法でなく炊き干し法のやり方である炊飯器でつくったものだから、パサパサして日本人の口にあわず不評となり混乱が起きた。若者たちは「米がなくてもパスタやうどんがあるから」とのんきにかまえてたが、年配者の米泥棒があちこちで起きてしまった。

私は、知らなかったんだけど、テレビや新聞ではタイ米本来の食べ方や調理法を必死で紹介してたらしい。マンガ「美味しんぼ」でも湯とり法を紹介してたという。

米騒動のとき1度だけタイ米を食べたが、確かにおいしくはなかった。とある有名な牛丼店で牛丼を食べたけど、タイ米はあわなかったな。湯とり法でなかったのかもしれない。飲食店にはいち早くタイ米の正しい調理法を伝えておくべきだったのではないかと思う。(それともわかっててあの完成度だったのだろうか?)そうすれば’外食ならばおいしいごはんが食べられる’と思い、気持ちに余裕ができて騒動にはならなかったのではないかと思うのだ。

とまぁ、えらそうなことをいい連ねたけど、タイ米は近所には置いてないし、タイ料理は「トムヤンクン」(タイを代表するスープ、むせるほど辛い)で挫折しちゃったので、機会があったらやってみよう程度です。生春巻きはすごくおいしいよね。

2012年1月16日 (月)

ウルトラマン・アート展へ

ウルトラマン・アート展を見に行ってきました。

メトロン星人が来訪してました。

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今後の日本について話し合ってみました。「このままではだめだね」といってました。

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「ウルトラマン」1966年~1967年テレビ放送。全39話。

逃走した宇宙怪獣ベムラーを追って地球にやってきたウルトラマンは、不注意で科学特捜隊の機体と衝突ハヤタ隊員を死なせてしまう。責任を感じたウルトラマンは自分の命をハヤタ隊員に分け与え一心同体となり、宇宙人や怪獣を相手に科学特捜隊のメンバーとともに戦うのだった。

有名な場面:

・変身の際、ベーターカプセルと間違えてカレースプーンを目にかざしてしまう。

・最終回、ウルトラマンが怪獣ゼットンに負ける。(大仁田厚と前田日明はこどものころこれを見て、ゼットンを倒して敵を討つと思いから格闘家になったという)

ウルトラマン:身長40メートル。体重3万5千トン。年齢約2万歳。飛行速度マッハ5。趣味読書。職業 宇宙大学教授、宇宙警備隊銀河系局長。

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「ウルトラセブン」1967年~1968年テレビ放送。全49話。

M78星雲から地球観測に来た恒点観測員340号は、侵略の危機にさらされてる地球を守るため、人間の姿となりモロボシ・ダンと名乗って、ウルトラ警備隊の一員となり戦う。自分たちに協力する真紅の宇宙人のことを「ウルトラ警備隊7人目の隊員」の意味を込めて、「ウルトラセブン」と命名した。

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ウルトラセブンは考えさせられるようなく問題作が多い。最近ではその脚本をした金城哲夫さんの話が特集されてるのをよくみる。金城さんのウルトラセブンには沖縄の現状が投影されているという。

金城哲夫1938年~1976年。脚本家。沖縄出身。

1963年、円谷プロダクションに入社。「ウルトラQ」「ウルトラマン」「快獣ブースカ」「ウルトラセブン」などの脚本を手掛け頭角を現す。

1969年、円谷プロダクションの経営悪化により大きなリストラが起こり自ら社を去る。

その後沖縄に戻り、沖縄につくすがうまくいかず、失意のなか、1976年泥酔して2階の仕事場の入り口付近から転落、脳挫傷で死亡。享年37歳だった。

(沖縄は古来から琉球王国とよばれ、世界の貿易の中心的な存在であった。1879年に日本に滅ぼされ、ぞんざいな扱いを受け続ける。1940年~1972年はアメリカの占領地にされ、島民は独立するために闘っていた)

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ウルトラセブンの放送の時は、怪獣ブームは下火になっていたので、人気はなかった。再放送の繰り返しで人気が出て、いまや知らない人はいないほどの認知度となった。

展示場で写真が撮れたのはここだけでした。別の部屋には怪獣のデッサン、台本、フィギュアが展示してありました。

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今日は最終日だというので、一人に1枚はがきをいただきました。

2012年1月18日 (水)

唯一のウルトラセブングッズ

前回ウルトラマンの話を載せたので、今回はその関連話を。

子供のころは、30㎝のウルトラマンのフィギュアを持ってたこともあったけど、今はこのレコード1枚だけが残るのみ。

(なんでも鑑定団を見ると、当時のおもちゃが今も残ってたらすごい価格になったんじゃないかと残念な気持ちになる。母が捨てなければなぁ。仮面ライダーベルトもあったのに。)

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ウルトラセブン、アタックNO.1、ムーミン、巨人の星の歌が入った1枚のシングルレコード

なぜか中にはウルトラセブンのマンガが載っている。(時代を感じさせる絵である)

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(最終ページは巨人の星の歌詞)

ウィキペディアを見ると、「ウルトラセブンの歌」は、子供たちにハーモニーの楽しさを伝えるためにつくられたものだという。歌ってる「ジ・エコーズ」は尾崎紀世彦がメンバーを務めてた「ザ・ワンダース」の変名なんだって。3番目の「セブン」が尾崎さんの声だという。知らなかったわ。

「ウルトラマンA」までの歌詞は、「東京一」さんが作ってるとあるけど「円谷一(円谷英二の長男、監督)」のことなんだって。

円谷一さんが亡くなってからの「ウルトラマンタロウ」以降の歌詞は、阿久悠が書いている。当時7歳の長男が奇しくも名前が太郎ということもあり、父親として尊敬されるため、作詞をしたとウィキペディアにはある。

個人的には「ウルトラセブンの歌」よりも「ウルトラマンの歌」や「ウルトラマンタロウの歌」のほうが迫りくる緊迫感があって好き。(AKB48で例えれば「RIVER」や「Beginner」がそんな感じ。かえって分りにくいか…?)。「ウルトラセブンの歌」はなんかのっぺりしたかんじがするんだよね。

おしまい。

2012年1月20日 (金)

昨年中に終わらなかったもの

大好きなマンガがいつの間にか、面倒なものの一つになってしまった。

去年発売のジャンプが28冊。ほとんど手つかずのまま積みあがっている。

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続きが気になる「バクマン」意外はほとんど読んでいない。

ジャンプは、姉が「資源ごみの日まで日にちがあるし、自宅に置いとくと邪魔になるから、こっち(実家)でなんとかして」と置いてったものを、私が持って帰ったもの。これが5年くらい続いている。

ほんとは、日々、雑務に忙殺されて時間がないから、マンガどころではないのだけれど、あればせっかくなので読みたい。

でも時間がないので読めず、今年はブログ製作でさらに時間をとられてしまったので、こんな積ん読(つんどく)状態に陥ってしまった。

毎週1冊ならなんとかなるけど、忘れたころに10冊まとめて届いたりするので、なんかアップアップ気分。例えて言えば「ぷよぷよ」で負けてる時に相手側からまとめて灰色の玉が投入されてるときみたいなバタバタした状況でしょうか。

忘れたころに来るもんだから、大抵の作品が「新章スタート」の時のような、よそよそしさを感じ、空気になじむまでがめんどくさいのである。

ジャンプにはいい作品は多い。有名雑誌だから説明はいらないだろうけど、ストーリーはもちろんのこと、「ナルト」のあのじかに写生をしたかのようなデッサンのうまさ。「スケットダンス」のわかりやすいコマ割りと見せどころのうまさ。「バクマン」の描き方を挑戦してるようなところが好きなのである。

「今日こそこのジャンプを読破するぞ!!」と思っても、なぜか、文字ばかり目で追って内容が頭に入らない時がある。そんな日は読めないし、読まない。

「集中!集中!」と思いながらマンガに向かうけど、「なに?マンガ読むのに集中って・・・」とわれながらあきれたりする。

家人は「年のせいか、この頃じゃぁ、何をするにも、勢いつけないと出来なくなったよ」という。

えっ、これは、と、年のせい・・・!!??

子どものように、家の中でなにもすることなければ、ふつうに集中しなくても楽しく読めるのよ。すべては忙しいから。きっとそうよ。

「今度こそ、今日は読破を!」と思ってマンガを開いた途端、タイミング悪く、実家から「実家から猫を病院へ連れってって」と電話がかかってくる。病院へ行くと3時間拘束されるので、今回もマンガを読む時間はなし(泣)。

春までにはなんとか読破出来ればいいなぁ、が今年の目標?(しょうもなsweat02)。

だいぶ前だけど、ジャンプ内で「TOLOVEる」ブームが起きたときは笑えた。色々な作品がみんなしてTOLOVEるごっこしてるんだもの。単行本やアニメでは見れないことだから得した気分でした。

2012年1月22日 (日)

アフタヌーンティーのルール

アフタヌーンティースタンドはかわいいから女の子には魅力だよね。アニメ「けいおん」でも出ていたよ。でも、ほんとはいろいろ細かいルールがあるんだって。テレビで見たとおりしか説明できないけど、ここに紹介するね。

「極める!田中卓志の紅茶学」(最終回の第4回) 2011年6月27日Eテレ放送 

司会・田中卓志(アンガールズ)

指南役・スチュワード麻子(ロンドン在住。ティースクール主宰)

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アフタヌーンティーの起源は、19世紀半ばのイギリス。侯爵夫人の「アンナ・マリア」が、夕食までの空腹を満たすため紅茶と軽食を取ったのがはじまりといわれている。やがてそれが貴族の女性たちの間で広まり、その後アフタヌーンティーとして浸透した。Photo

紅茶の飲み方

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日本では、取っ手は左にあり(混ぜるときにカップを抑えられるようにだろうか)、スプーンは手前にあるけど、

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・イギリスは、取ってははじめから右にあり、スプーンは直角に置いてある。スプーンは使っても使わなくても飲むときは向こう側へ置く(これは日本と同じだよね)

・カップを持つときは小指を立てない。

・ソーサーは、テーブルに近ければ持たない。テーブルが低すぎたり、遠い場合はソーサーを持つ。

口を付けて飲んでる最中は相手を見ない(上目使いになって人相悪いから)。

・カップやソーサーの底にある銘柄をこっそりみてはいけない。(その家を品定めしてるように見えるから)「素敵なカップですね。ちょっと拝見してもいいですか?」と聞いてから見せてもらう。

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食べ方 

もともとは召使が一種類ずつ運んでたコース料理だったため順番がある。

はじめサンドイッチを好きなだけ食べて、いらなくなったらスコーンに移る。

ケーキをはじめに手にとってしまったら、もうサンドイッチとスコーンを食べる権利はなくなる。

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食べる順:   サンドイッチ(下段)➜スコーン(上段)➜ケーキ(中段)

スタンドから手で取って自分の皿に乗せ、フォークとナイフを使って食べる。

サンドイッチ

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茶色いパンにはサーモン、白いパンにはきゅうりがサンド。

白いパンときゅうりは高級階級しか手に入らなかったのでステータスのシンボルとなった。

スコーン

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150年食べ続けられている伝統的なたべもの。

・スコーンは、ナイフや手で水平に切り分ける。

・ジャムとクロテッドクリームをお皿に取り分ける。直接スコーンには乗せない。

・その都度、口に入る分だけジャムを塗ってたべる。

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ケーキ

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すべて手に取って食べられるように、一口サイズになっている

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アンガールズ田中さんは、自宅で紅茶パーティーを開くほどの紅茶好きだそうで、NHKさんはよくぴったりの人材を見つけるもんだ、と感心しました。田中さんの紅茶の味の違いを見分ける場面もよかった。

2012年1月24日 (火)

年賀はがき 4等当たる

今年は25枚の年賀状が来ました。未使用のハガキは5枚。

その中の2枚のハガキが「4等 お年玉切手シート」に当たりました。さっそく交換してきましたよ。

1等  030625

「40V型液晶テレビ」、「海外旅行か国内旅行」、「ノートパソコンとデジカメとプリンター」、「料理家電セット」、「ビジネスチョイスグッズ」  いずれか1点

2等  071658  153787  675457

「デジカメとフォトフレーム」、「家庭用ゲーム機」、「日帰り体験型旅行」、「折りたたみ自転車」  いずれか1点

3等  下4ケタ 2511

食品38点から1点

4等  下2ケタ 27 44

お年玉切手シート

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4等の下2ケタ「27」と「44」が当たり。heart04

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今年の切手シート。heart01

未使用のハガキを一枚5円払って、50円切手と交換しました。(レシートと切手upwardright

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年賀状は当選番号のところに消印が押され手元に返されて終了。

先日、書き損じはがきのはなしをブログに載せたばかりだったので、4等でも当たったから、これで話が完結できたのでよかったですhappy01

2012年1月26日 (木)

「文章力が身につく本」

ふだん、たとえ雑談であっても人前で話すことはほとんどない。

話したいことはたくさんあるのだけれど、瞬時に筋道を立てて話すことができないからだ。

人は、しゃべらないわたしを見て、「付き合いが悪い」とか「面白みがない」とか「殻に閉じこもってる」などと陰口をたたく。母にいたっては「おし」と、ののしっていたっけ。

2年前に職場を辞めた一番の理由は、年下の同僚に

「何を言ってるかわからない」

と、さげすんで言われたからである。

この時すでに心身ともにボロボロで、辞めるかどうか迷ってるときだったので、この一言が決定打となった。サービス業なのに話術が出来ないのは、だめだよね。

おもえば、子どものころから、おしゃべりできる環境ではなかった。

両親はケンカばかり、祖父母もなく、親戚が来ることもない。ましてや保育園、幼稚園など他人とかかわれる所へは行かせてもらってない。

「おませな女の子(私のイメージでは、幼いのに大人のように口達者なかんじ)」と言葉があるように、女の子は母親の口調をまねては他人とおしゃべりしながら上達していくものだと思う。

家族とのおしゃべりが予行練習の役割になって、人前でもすんなり話せるようになる。一度口にした文は、話しやすいから。

特に話し上手といわれる人は、日頃から驚くほど長い時間よくおしゃべりしていて、無意識にいつも話し方の修練している。ラッキーにもそれに付き合って聞いてくれる人がそばにいるのだ。

小学校ではみんなのおしゃべりのスピードについていけず、見ていることがほとんどだった。

誰かが言い終わる前に他の子が話し出すから、全然会話に入れない。「相手の話が終えてから話す」というルールはどこにいったのだろう?。

こんな私でもがんばって話すこともあるけど、たいてい意味合いを誤解されて、にらまれたり反撃されたりすることが多い。

「いま私の言った文のどこが嫌味にとられたのか???」のくりかえし。

「相手との相性」だとか「間の取り方」だとか「呼吸」だとか「TPO」などもあるから、いちがいに文章が理由とは言い切れないけど、

昨日見たテレビの話ですらも気軽に話せない自分がいるのは事実なのだ。

どこから話せばいいのか、頭のなかをめぐらしている間に、話題が次に移ってしまうこともある。

わたしにとって「説明」「筋道を立てる」「正しい言葉使い」は苦手分野なのだけれど、ブログでは必要不可欠だから、毎回苦労して書いている。たいてい文だけで2時間かかっている。(今回のは内容がネガティブすぎて6時間かかった)

「わたし、」か「わたし、」だけでも、文の終わり方が変わってくるから日本語はやっかいで困る。

先日、たまたま書店に立ち寄った時に、この本が目に入った。

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「伝わる!文章力が身につく本」 小笠原信行著 高橋書店 1200円

手に取って中を見てみると、

・字が大きく行間もほどよく見やすい。

・見開きで完結。

・小学生高学年でも理解できそうなわかりやすい文。

・文を書く上での基本情報が満載。

・下手な文と正しい文の比較。

Photo_2 第1章③ 「主語と述語を近づける」から

この本を見つけたときに、心に一筋の光明がさした気がした。ずっとこんな本を探してたのだ。

いそがしくてまだ1回しか読破してないけど、あと4回読んだら少しはまともな文が書けそうだ。

でも、足の遅い子が「速く走れる靴」を履いたところで1番になれないのと同じで、話し上手になれるわけではないから、今後のわたしの文にあまり期待しないでほしい。

というわけで、このブログにコメント受け付けを付けていないのはこういう理由からなのです。

2012年1月28日 (土)

氷瀑!  袋田の滝

1月27日、金曜日、茨城県大子町の「袋田の滝」へ行ってきました。朝9時半。

別名「四度の滝」。

長さ120メートル、幅73メートル。

華厳の滝(栃木県)、那智滝(和歌山県)とともに日本三名滝の一つ。

1990年に行われた「日本の滝百選」の人気投票で一位になった。

氷瀑(ひょうばく)というと大げさな言い回しに聞こえるが、滝のことを「瀑布(ばくふ)」というのである。

今日教えてもらいました。勉強になったよ。

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入口。券売所。

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トンネルのなかを抜けて滝のところに向かう。。この一部分の天井だけに模造のからくさがはっている。四季をイメージしたイルミネーションというが・・・。

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最初の展望台。滝はまだ見えない。

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第一展望台。滝がガチガチに凍っています。7割の凍結具合。(写真を合成して作成したけど、なんか良さがでてない。おかしいな・・・)➜

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西行法師、徳川光圀(水戸黄門)、徳川斉昭たちの歌が書いてある石碑がある。

西行法師が「この滝は四季に一度ずつ来てみなければ真の風趣は味わえない」とこの滝を絶賛したといわれている。

水戸黄門もここに来たことがある。

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平成20年9月にできた「第二観瀑台」からの眺め。

「第二観瀑台」の建設費5億2000万円は、補助金なしにすべて利用料収入からまかなったという。すごいね。

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下に降りて橋のところからの眺め。

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左側。「袋田の滝」と左上に「第一展望台」。右側は岩だらけの滝川。ここもガチガチに凍っている。

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近くの売店で買ったみやげ。鮎の甘露煮と凍(し)みこんにゃく(ここの地区の名産品。凍らせて水分を飛ばしてつくられた乾物のこんにゃく)

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袋田の滝の入場券。凍結した滝の写真。1995年の券はロッククライミングしてるのか3人の人影がある。当時大人は100だった。今は大人300円。

   

 

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袋田の滝の夏の様子。木々がよく茂っているし、滝も勢いよく流れている。

追記:1月31日の朝、全面凍結になりました。2006年1月以来だということです。

2012年1月31日 (火)

好きな時代劇・勝新の「座頭市」

ふだん時代劇は見ないのですが、過去に見てよかったものの一つに勝新太郎の「座頭市」があります。

1時間30分の中には、飽きないよう色々工夫されています。

座頭市は全26作品あり、10作くらいしか見てないのですが、私が感じたパターンは次の通り。

①民を苦しめる大きな組織の存在との戦い。(敵の巣窟の中でひとり戦う姿はハラハラです。どう切り抜けるのかが見もの)

②単独で行動し座頭市を狙うライバルのような存在のハンサムな男との対決。(どんな有名人のいい男が出るのか期待)

③毎回お笑い芸人が出ている。(ちょっと気持ちを明るくさせてくれる。箸休め的役割)

④美女が出てくる。(座頭市を手助けしてくれたり、淡い恋の相手だったり)

⑤戦いとは関係ないところで、市がヘマをする。(完全無欠でないところが母性をくすぐられる感じ)(市には哀愁があります)

唯一うちにあった「座頭市 あばれ火祭り」を見てみると、

①悪の大親分は「森雅之」(黒沢明の「羅生門」の映画で殺された夫を演じた人)

座頭市は町の銭湯で敵に囲まれ素手で刀を持つ相手と全裸でたたかう(敵も全裸だけど)。後半は座頭市が炎につつまれるピンチがある。

②ハンサムな浪人「仲代達也」(黒沢明の「椿三十郎」の映画で三十郎と一騎打ちした相手)

③お笑い芸人「正司敏江・玲児」

④美女「大原麗子」「吉行和子(妖艶ですごくきれい)。若く美しい少年のピーター(タレント池畑慎之介)も出てくる。

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「座頭市 あばれ火祭り」の終盤。

市は町を離れ際に、座頭市はおきよ(大原麗子)に声をかけられる。

「いっつぁん・・・今のあたしを・・・(敵の仲間だったと知って)あたしを憎んでいるのね?」

「憎む?憎むってことは”惚れた”ってことさ。(おれがおきよさんに惚れたっていうのかい?)・・・うぬぼれちゃぁいけねぇよ。」

「いっつぁん!あたし、もういっつぁんだけ!どこへでも連れってって!!」(女性からのプロポーズ)

「目開きの女にゃぁ、めくらの男はだませねぇよ。」(←強がって言っている)

座頭市は夕日に向かってひとり歩きながら、

「いいんだ・・・これで・・・(おれみたいな男と一緒になっても不幸になるだけだ)」とつぶやくのだった。

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蛇足ですが、わたしには「ルパン三世カリオストロの城」の映画の中での、ルパンとクラリスのやりとりに似てると思ったのですが。「わたしも連れってって、まだどろぼうは出来ないけれど・・・」のシーンのところです(ちょっとうろ覚えですが)。また、石川五右衛門のように座頭市も時間差でものが切れます。ルパンには座頭市の影響も入ってると思います。                

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他に「座頭市シリーズ」でおすすめは、(だいぶ前に見たので、細かい内容は忘れましたが)

「座頭市と用心棒」1970年。黒沢明の映画「用心棒」とのコラボです。三船敏郎が出ています。

「新座頭市物語 折れた杖」1972年。前半はいまいちですが、後半の、敵に両手をつぶされながらも、剣を両手にくくりつけて戦うところはかっこいいです。

「新座頭市物語 笠間の血祭り」1973年。20数年ぶりに故郷を訪れた市のさみしさがしみた。

「座頭市 鉄火旅」1967年。もと刀職人に、あと一回人を斬れば刃が折れると忠告されていたが、敵と戦わなければならない状況に・・・市は勝てるのか。という内容。

ちなみに、「座頭」は当道座に属する剃髪の盲人の呼び名で、ランクは一番下。階級は上から、検校(建築の仕事)、別当、勾当、座頭(あんま、針、琵琶を弾く仕事)の順。市の名字ではないのです。

実在の「座頭市」はというと、原作者・子母沢寛によれば、

「ちょっと変わった風来坊」で、一時期、侠客の飯岡助五郎(1792年~1859年)のところに身を寄せてた時には、

「助五郎の子分が喧嘩をはじめると仲裁に入ったり、見えない目で枡を切って見せたりはしたが、映画に登場するようない合い抜きの達人でもなければ、人を斬ったりしたこともなかった」という。

座頭市が助五郎一家を去った理由は、

「助五郎が卑怯な手でライバルの笹川繁蔵を殺そうとしていたことを知ったから」だそうだ。

by ウィキペディア

実際の座頭市もいい人ではあるようだ。

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