「文章力が身につく本」
ふだん、たとえ雑談であっても人前で話すことはほとんどない。
話したいことはたくさんあるのだけれど、瞬時に筋道を立てて話すことができないからだ。
人は、しゃべらないわたしを見て、「付き合いが悪い」とか「面白みがない」とか「殻に閉じこもってる」などと陰口をたたく。母にいたっては「おし」と、ののしっていたっけ。
2年前に職場を辞めた一番の理由は、年下の同僚に
「何を言ってるかわからない」
と、さげすんで言われたからである。
この時すでに心身ともにボロボロで、辞めるかどうか迷ってるときだったので、この一言が決定打となった。サービス業なのに話術が出来ないのは、だめだよね。
おもえば、子どものころから、おしゃべりできる環境ではなかった。
両親はケンカばかり、祖父母もなく、親戚が来ることもない。ましてや保育園、幼稚園など他人とかかわれる所へは行かせてもらってない。
「おませな女の子(私のイメージでは、幼いのに大人のように口達者なかんじ)」と言葉があるように、女の子は母親の口調をまねては他人とおしゃべりしながら上達していくものだと思う。
家族とのおしゃべりが予行練習の役割になって、人前でもすんなり話せるようになる。一度口にした文は、話しやすいから。
特に話し上手といわれる人は、日頃から驚くほど長い時間よくおしゃべりしていて、無意識にいつも話し方の修練している。ラッキーにもそれに付き合って聞いてくれる人がそばにいるのだ。
小学校ではみんなのおしゃべりのスピードについていけず、見ていることがほとんどだった。
誰かが言い終わる前に他の子が話し出すから、全然会話に入れない。「相手の話が終えてから話す」というルールはどこにいったのだろう?。
こんな私でもがんばって話すこともあるけど、たいてい意味合いを誤解されて、にらまれたり反撃されたりすることが多い。
「いま私の言った文のどこが嫌味にとられたのか???」のくりかえし。
「相手との相性」だとか「間の取り方」だとか「呼吸」だとか「TPO」などもあるから、いちがいに文章が理由とは言い切れないけど、
昨日見たテレビの話ですらも気軽に話せない自分がいるのは事実なのだ。
どこから話せばいいのか、頭のなかをめぐらしている間に、話題が次に移ってしまうこともある。
わたしにとって「説明」「筋道を立てる」「正しい言葉使い」は苦手分野なのだけれど、ブログでは必要不可欠だから、毎回苦労して書いている。たいてい文だけで2時間かかっている。(今回のは内容がネガティブすぎて6時間かかった)
「わたしは、」か「わたしが、」だけでも、文の終わり方が変わってくるから日本語はやっかいで困る。
先日、たまたま書店に立ち寄った時に、この本が目に入った。
「伝わる!文章力が身につく本」 小笠原信行著 高橋書店 1200円
手に取って中を見てみると、
・字が大きく行間もほどよく見やすい。
・見開きで完結。
・小学生高学年でも理解できそうなわかりやすい文。
・文を書く上での基本情報が満載。
・下手な文と正しい文の比較。
第1章③ 「主語と述語を近づける」から
この本を見つけたときに、心に一筋の光明がさした気がした。ずっとこんな本を探してたのだ。
いそがしくてまだ1回しか読破してないけど、あと4回読んだら少しはまともな文が書けそうだ。
でも、足の遅い子が「速く走れる靴」を履いたところで1番になれないのと同じで、話し上手になれるわけではないから、今後のわたしの文にあまり期待しないでほしい。
というわけで、このブログにコメント受け付けを付けていないのはこういう理由からなのです。
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