フォト
2017年4月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30            

カテゴリー

無料ブログはココログ

« 2012年2月 | トップページ | 2012年4月 »

2012年3月

2012年3月 2日 (金)

マリアちゃんのおてて(後編)

Photo  

最近になって、ペンタブレットに付いてた「コミックスタジオ(漫画を描くソフト)」で枠が引けるようになりました。heart01

いつもは「ピクシア(イラストを描くソフト)」の方ほうで描いてたんだけど、コピー用紙で描いてるものだから枠組みを描くのが大変だったんです。

前から「コミックスタジオ」はあったんだけど、使い方がわからず放置中でしたが、先月再挑戦してみたら、どうにか紙原稿を取り入れる方法がわかったので、とりあえず最初の難関突破です。

あとはもろもろ効果線、スクリーントーン、枠からのはみ出しが出来ればと思ってます。

下手な絵でも脇を固めればそれなりに見えるからね。ドラマ制作と同じ感じかなcoldsweats01

使い方が分れば、こういうのはとっても便利ね。

「Dr・スランプ」の作者の鳥山明さん(1955~)も「ドラゴンボール」連載終了後は、パソコンでイラストなどを描いているそうです。

パソコンがなければ絵を描くのが完全に嫌になっていたとのこと。

彼は子供のころから、絵や漫画を描くのが好きだったらしいけど、やはり他の漫画家とおなじに、いい年になると疲れちゃうんでしょうね。

2012年3月 3日 (土)

最後の悪あがき

私は、口下手なせいもあって、世間ではダメ人間と思われている。

実際そうだけど、なかなか自分では認めたくないものがあって、小、中学生の時は美術がよかったので、絵を再開しようと試みた。

もともと絵ばっかり描いてる子供ではなく、クラスで絵のうまい子のベスト3には入ってはいても、ぎりぎりな状態で、才能があるほうではない。

それでもこんなにも世間で叩かれると、「自分には絵を描くという才能があったじゃない」なんて思いはじめて、無謀にもデジタルイラストに挑戦することにした。

学生の時以来、絵など描いてないから、落書きですら描けなくなってしまっていて、何を描いたらいいかさえもわからない。

とりあえずアニメは好きなので、年賀状をアニメの絵で描くことにした。

パソコンをはじめて3年目でようやく「領域」の使い方が出来るようになったので、2009年の年賀状はテクスチャ(壁紙みたいなもの)付きイラストとなった。

ところが家族には不評で、母は親戚じゅうに「わたしはね、こういう平面の絵は好きじゃないの。もっと立体の絵が好きなのよ」と電話しまくり、姉は、「リ◯ーンなんて興味ないから!」などと毒づく。

かなり嫉妬されてしまったようだった。

家族といえども自分より絵がうまくなるのは許せないらしい。

母が絵を描いてるのは見たことがないが、どうしてそこまで嫉妬するのかわからない。

この年賀状は、けっこう手間がかかってるというのに、楽して描いたと思われてしまったようだった。

夏にネットで「年賀状に使うのに、牛のキャラは何がある?」という質問を見かけて、「リ◯ーン」という漫画を知り、そのアニメを毎週録画して牛キャラらんぼ登場シーンを何度も見たり、単行本の漫画絵を見たり、数か月研究をしたあげく、秋になって2か月かけて描いた渾身の作だったのに。

母が立体の絵というものがどういうのjかわからないけど、郵送を考えるとこんなかんじだろうか?と悲しみの中、試作品を作ってみた。

この年賀状を出すことはないけど、悔しかったのでつくってみた。

Photo

(印刷を3枚つくって切り取り、間にスポンジ両面テープで浮かせてある)

母に見せると、なんのことやらの表情で、自分があんなに親戚中に悪口をいってたことさえ覚えてないので、腹立たしかった。

母は、おしゃべりでうっぷんをはらせたので、もう年賀状のことはどうでもいいらしかった。

姉はというと今だに嫉妬してるようで、「ジャ◯プでは読まないもん」と言ってわたしを困らせようとする。

そして「1日中描いてればうまいでしょうよ」などという。

日々仕事、家事、雑多なことなどで忙しくて、絵を描けない日が多いのに、泣きたくなる。

漫画製作してるときだって、かなり時間がかかって、「いい年こいて何やってるんだろ、自分・・・」って落ち込むこともあるのに、楽しげにやってると思っている。

自分で始めたことだけど、ぜんぜんはかどらないし、かなりしんどい。

自分の得意とするものは、忙しくても続けておくべきで、やめちゃいけなかったなといまさらながら思う。

2012年3月 5日 (月)

夜・梅・祭へ(前編・キャンドル)

水戸の「夜・梅・祭(よるうめまつり)」へ行ってきました。

夜・梅・祭」は、偕楽園および隣接する常盤神社で年に一度開催される一夜限りのお祭り。

2006年に始まり、今年で第7回目。3月3日の18時~21時に開催されました。

おもな見どころは、キャンドルとライトアップです。

moon3ナイトウォーク(説明を聞きながら夜の林を散策)moon3

ナイトウォークに参加してみました。Photo

Photo_2

HPの写真で見かけたので、受付で寄付金を払って木札を買ってみました。

表門に集合して、スタートします。Photo_4

表門。本来の偕楽園の正面入り口。黒塗りであるため「黒門」とよばれる。かやぶき屋根、切妻つくり(たまたま一般人の時代劇コスプレの方がポーズとっていました。コスプレの集いもあったようです)

Photo_5

一の木戸。偕楽園は、自然界の陰と陽を表現していて、ここから陰の世界がはじまります。(陰は竹、笹、杉。陽は梅)。屋根は「こけらぶき(薄い板の重ねたもの)」でできている。

足元には小さな灯篭がしばらくつづきました。

Photo_7

吐玉泉。夏なお冷たく清らかな玉を吐くような泉という意味。石は常陸太田市の真弓山から運ばれてきた寒水石とよばれる大理石で、50年くらいごとに交換している。これで4代目。で昔は眼病にいいとされ茶道にも使われた。去年の震災のときにはここから湧水をくんで使用した。

Photo_9

太郎杉。樹齢760年。かつては次郎杉など4本くらいあったが今はこの太郎杉が残るのみ。

Photo_8

山道の足元には和紙でできた灯篭が置いてあった。

Photo_6

孟宗竹林。1843年に竹を京都嵯峨八幡から土ごと植えたもの。もとは杉林。

Photo_10

中門。ここで陰の世界は終しまい。

Photo_11

偕楽園記の碑。徳川斉昭公がここに偕楽園と弘道館を建てるという意志を記した石。
「一張一弛」と書いてある。「礼記」にある孔子の言葉で、厳しいだけでなく時には緩めて楽しませることも大切であるという意味である。
文武修行の場である「弘道館」に対し「偕楽園」は修業の余暇に心身を休める場所として作られた。

ここでナイトウォークは終了です。

moon1 キャンドル(庭園内)moon1

Photo_14Photo_12

和紙で作られたキャンドル。

灯りが消えたら小さな子供が点ける役目なのか、せっせと頑張っていた。

Photo_15

「これはなんの絵だろう?」とみんながさわいでいたもの。たぶん、おひなさま。

Photo_16

弾き語りの方々。

Photo_17 Photo_18

ちょこっと出囃子。

キツネ。おかめも見かけた。

Photo_19 Photo_20

梅はほとんどが一部咲きで見ごろではなかったけど、早咲きのものがあって、みんなが写真を撮っていました。

Photo

キャンドルと好文亭。

後半へつづく。

2012年3月 7日 (水)

夜・梅・祭へ (後編・イベント)

今回、好文亭の中にもいろいろ展示してるようなので、入ってみました。入場料190円。

何度か来たことがありますが、そのときはいつも室内は説明板のほかには何もない状態でした。

この日の夜の好文亭

Photo

好文亭のライトアップ。

Photo_2

1階。菊の間。瀬戸物展示。これかな「平成の七面焼」というのは?

Photo_3

桃の間。この部屋はふだんとかわらず何もなし。

Photo_4

つつじの間。

Photo_5

松の間。「結城紬 花田工房作品展」。反物、まゆ玉などが展示してあった。

Photo_6

竹の間。竹の屏風の前には花瓶のような瀬戸物が多数立ててあった。

Photo_7

梅の間。梅のことを「好文木(こうぶんぼく)」ともいい、好文亭の名前の由来でもあるけど、部屋が狭いせいか、展示物はなし。

Photo_8  Photo_10

桜の間。ひな祭りの日とあって、「桂雛 ひな人形」が展示してあった。

Photo_11

「鈴木茂兵衛商店の提灯」Photo_12

藩主の間。「境貞晴 生け花展示」。➜

Photo_13

隣の部屋では、お茶を楽しむ人々。水戸藩武将から茶道と伝統とを受け継がれてきた、「石洲流 水戸何陋会」の「茶の湯」体験。入場料込み500円で楽しめるイベント。本格的な感じ。

Photo_23

次は2階に上がります。暗いしすべり止めないので足元、気を付けて。

Photo_14 Photo_24

2階からの見晴し。赤いのがイベントのキャンドル。右上が千波湖。

Photo_15 Photo_16

殿様の部屋。

ついつい見忘れてしまう畳のヘリ。この部屋は殿様の部屋なので、葵の御紋になっている。

常盤神社

偕楽園に隣接する常盤神社でもイベントをしてるのでのぞいてみた。

Photo_17

19時30分。この時間は、水戸藩YOSAKOI連の踊りがやっていました。

Photo_18 Photo_19

19時40分から「水戸藩徳川家御用神楽 水戸大神楽」がはじまりました。意外と面白い。

手前の書は18時20分にやっていた「揮毫(きごう)書道家 川又南岳 」の跡。なにを書いたのでしょうか。人込みでよく見えませんでした。

Photo_20

そろそろお腹がすいてきました。屋台がたくさん出ていましたがせっかくなので飲食ブースへ行ってみることに。

飲食ブース

場所が吐玉泉のほうなので、神社からはかなり歩きましたが、なんとかバテずに到着。

Photo_21

出店してる店を見ると、ほとんどが去年の11月12日に行われた「茨城グルメフェア」のメンバーだたちだった。

ホームページで見かけた大鍋にらしきものを発見。「千人鍋」とある。一杯200円。

Photo_22

食べてみると、豚肉入りのけんちん汁だった。千人分つくれる大鍋という意味ね。熱いつゆが凍えた体にしみわたって、ほっと一息。

18時40分から5分間、花火が打ち上げられて祭りは終了しました。

花火を横目に帰路についたので写真はとれませんでした。たぶん私のこのカメラではぶれて撮れなかったと思うけど。3時間歩きどおしだったのでちょっと疲れました。おしまい。

2012年3月10日 (土)

本・大草原の小さな家

「大草原の小さな家シリーズ」のこの本は、この主人公であるローラ・インガルス・ワイルダー(1867年~1957年)が、64歳のころから90歳頃までに書きとめた回想録である。1880年代の頃のアメリカ開拓民の生活が事細かに描かれていておもしろい。

前半の本のストーリーは自給自足の生活が書かれてるので、「鉄腕DASH」のような番組が好きならば、なおさら興味深いだろう。

apple  apple  apple

1巻「大きな森の小さな家」

森の中での暮らし。父さんは獣を撃ち毛皮をはいでは町で現金にして生計立てている。その肉で母さんは食事をつくる。ウサギ、鹿、熊、鳥、なんでも食べる。一番おいしいのは豚肉。豚を飼育してとさつしたら部位ごとに調理保存。かわいそうな場面でもあるけどさらっとした表現で、細部までも無駄にしないみごとな調理のほうに意識が向いてしまう。親戚集まってのダンス。銃のお手入れと玉のつくり方。風呂の入り方。バターつくり。カエデ糖のつくりかたなどの日常風景。ローラ5歳のころのはなし。森に人が込み合ってきたので引越す。

2巻「農場の少年」

ローラの夫となるアルマンゾの少年時代のはなし。ローラの家族と違って裕福な生活をしている。この本でも日常が事細かに描かれている。

3巻「大草原の小さな家」

決死の川渡り。草原に丸太で家を簡単に建てる。井戸を掘るとき事故がおこる。得体のしれないインディアンが家の中に踏み入れる。マラリアに家族全員かかるが、たまたま通りかかった黒人の医者に助けられる。兵隊が移住者を追い払いに来るというのでまた引っ越し。

4巻「プラム川の土手で」

引っ越し先の家は、土手下にあいた穴一間の部屋。今回も簡単に家を建てる。はじめて学校へ行く。いじめっ子ネリー・オルソンに出会う。父さんの遭難。イナゴの大群に襲われる。草原の火事が起こる。いい仕事をすすめられてまた引っ越し。ローラ8歳。

5巻「シルバー湖のほとりで」

しょう紅熱で姉のメアリーは失明。長年連れ添った番犬ブルドックのジャックの死。はじめて汽車に乗る。ホテルでの食事。西部の鉄道工事にあるちゃんとした家に住むことになり、その家のたくさんの保存食に驚く。通りかかった移民たちをもてなし収入を得る。農地を見つけまた引っ越し。

6巻「長い冬」

番外編。主役は父さんとアルマンゾ。季節外れの豪雪で汽車が不通になり、町が孤立。餓死か凍死の危機がせまる。ローラたちも食べ物燃料を切り詰めてやりくりをするが・・・。

7巻「大草原の小さな町」

盲目のメアリー大学へ行く。メアリーの大学資金のため、ローラ裁縫のバイトをする。学校でローラとキャリーは、ネリーと先生にいじめられ戦う。将来の夫、アルマンゾ(25歳)に出会う。ローラ15歳。

8巻「この輝かしい日々」

15歳でローラは先生になり、他の学校で生徒に勉強を教える。泊まっている家の夫婦ケンカに怯える。18歳結婚、新居に住む。

9巻「はじめの4年間」

ローラ結婚後の話。長女ローズを出産。家が火事になる。

maple  maple  maple

本の順番は上の通り。出版社によって「長い冬」は番外編扱いになってる場合もある。

私の買私が好きな話は3巻の「犬ジャックの川渡り」の場面。5巻の「鉄道工事付近での暮らし」。8巻の「アルマンゾの吹雪の中の決死の迎え」の場面。

Photo

typhoon  typhoon  typhoon

内容は女性が書いてるので、全体的にほんわかして淡々としているけど、災難の場面も多い。色々な苦難でも、知恵を働かせて回避しようと努力している。ふだんから心の準備してなければとっさの時にこんな行動はできないものだろう。

「大草原の小さな家」(大草原の大火事)

草原が大火事になり、火の手がせまる。家の周りに防火溝を掘り、外側に火をつけ(迎え火)そしてすぐに消すの繰り返しをして、火事をやりすごすことに成功。家と家畜も無事だった。

「プラム川の土手で」(イナゴの大群)

麦の収穫間近になって、空が暗くなるほどのイナゴ(バッタ)が襲来した。肥料を燃やし煙をたてて虫をいぶすが惨敗。結局イナゴは州全体の草木を食べつくした。

「農場の少年」(季節外れの霜が降りる)

7月というのに寒く、霜が降りて作物が凍りだした。夜通し作物に水をかけ回避をはかる。4分の3の作物を守ることができた。

「長い冬」(長い期間、豪雪にみまわれ町が孤立無援の状態)

燃料として、馬のえさであるわらをよじり固くして燃えにくくしてから使用。尽きた小麦粉のかわりにべつのもので調理し食いつなぐ。誰一人死ぬこと無くすんだ。

「いつどんなことがおこるかは、だれにもわからないんだよ。最悪の場合の心づもりさえしておけば、最善のことをのぞめる足がかりだけはできる。われわれのできるのは、そのくらいのことだ」    by チャールズ・インガルス(父さん) (「長い冬」から)

いぶ前に読んで、印象に残っていたところを紹介してみました。ざっと読み返すだけでも4日もかかって、何度か挫折し、ブログネタにするのはやめようかと思ったけど、せっかくなので載せることにしました。速読が出来ればなぁ・・・。書批評は難しい。

2012年3月15日 (木)

MRI してきた

朝起きたてのお腹をさわると時々、野球ボールほどのしこりが浮き出るようになった。

それなので、先月の健康診断は「要精密検査」という結果に。

さっそく専門病院で調べたところ、良性なので問題ないといわれた。

だけど、「しこりの裏側はわからないので調べるなら別の病院で診てもらうことになります」、といい、

「(受けるかどうかは、)どちらでもいいですよ」と先生は言う。

そういう言い方するならたいしたことないんだろうけど、ふと悲しむ愛猫の顔がうかんでしまって、精密検査をすることにしてしまった。

hospital   hospital   hospital

そして昨日、紹介された大きな病院で、MRI をしてきた。

予約なので待たされず来てすぐ検査になった。

MRI はいわば巨大な磁石で体液のながれを投影して見るものらしい。

再三ペースメーカーを付けてるか聞かれ、骨折の金属もダメということだった。

服装は、Tシャツ、セーターは着てていいという。はいてたズボンは金属がついてるので、病院の万人受けする(おっさん好みのような変な色の水色)ジャージを履かせられた。今度来るときは自分でジャージを持ってこようかしら。sweat02

お腹を調べるせいか、お腹まわりになにやら器具を装着され、足首は動かないようにくくられ、筒に挿入された。このまま人間ロケットで宇宙まで飛ばされそうな気分だ。

あまり狭いところは苦手なので、はじめから目は開けないことにした。10年ほど前にめまいで頭部をMRI したことがあったけど狭い空間で怖かったからだ。今回のはさらに狭いので、想像だけでも震え上がるので、できるだけ考えないようにした。

気分転換用に装着させられたヘッドホンからは、知らない曲もあったけど、ごんちちやタイタニックなど知ってるのだったのでよかった。

先生は居眠りするくらいリラックスしてくださいといったが、かなりガーガーと音がうるさく、振動もすごくて寝れたものじゃなかった。工事現場付近にいるようだった。

ともかくぼーっとしてるのは得意なので、20分はあっという間に終わった。

どちらでもいい検査で7260円は、ちょっと無駄使いだったなとおもう。

結果は来週。

clover  clover  clover

前々日に、家人が私のことを「少し前までうつ病に見えてた」と言った。

「どのへんがsign02」と聞いたが「言動やネガティブなところ」といい、はっきりは教えてくれなかった。Photo

わたしがブログをしてること自体、家人は良く思ってないので、資料を貯めこんだり、もやもやネタを考え込んでる私の姿が、おかしな人に見えたのかもしれない。

なんか「精神科に連行される私のイメージ」が浮かび、怖くなった。かなりショック。

次の日、そのショックから精神的アレルギーが出て、両腕がジンマシンだらけになってしまった。ひさびさの発病だ。

ぶつぶつの腕の状態でで検査に来たけど、ほんとにMRI だけで、注射とか薬は関係なかったから副作用が起こらずにすんでよかった。

帰り際、ふと、うつ病のポスターが目に付いた。

(うつの症状)

・眠れない

・疲れやすい。体がだるい

・気分が沈んでいる

・集中できない。決断できない

・好きなことが楽しめない

・何ごとにも興味がわかない

う~ん、トラブルがおこると眠れないこともあるけど、今のところ不眠じゃないし、「何ごとも興味がわかない」以外は当てはまちゃうなぁ。

このあいだネットの診断を軽い気持ちでやってみたら「病院で診てもらいなさい」と出ちゃうし。

体質と性格がうつに近いのか。こどものころからこういう性格なんだけど。

ちょっと複雑な気持ちになった。

2012年3月16日 (金)

アリスの抱っこ

Photo

アリスは抱っこやひざの上に乗ることが大好き。

基本、わたしの抱っこが好きみたいだけど、どうしても我慢できない時には、母や姉に抱っこをおねだりしてるという。

でも、姉も母もヒマじゃないから、20分は長いし面倒だという。

わたしが抱き癖をつけたとプンプン顔だ。

2012年3月19日 (月)

物語の中の干飯・干し肉

「皆人、乾飯(かれいい)の上に涙をおとしてほとびにけり」    伊勢物語から

意味: そこに居た人はみな、乾飯の上に涙を落として、そのため乾飯はふやけてしまった。

shine   shine    shine

当時、高校の「古文」の教科書にこの文があって、「かちかちにひからびたごはん」が、涙でそう簡単にふやけるものだろうか?と疑問におもった。

先日、たまたまテレビで作り方を見ることができた。

<干飯(かれいい)のつくりかた>Photo

①もち米 3合(540ml)を洗って、一晩水につける。

②水を切って蒸布をしいた蒸し器にいれ、強火で15分蒸す。

③もち米をボウルにいれ、水120mlをいれ混ぜる。

④再び10分蒸す。

⑤もち米をボウルに入れ、水150ml入れパラパラに混ぜる。

⑥平らなざるに濡らした麻の布巾をしき、もち米を広げて、天日で約3日間、干す。(夜間は取り込む)

⑦乾いたらすり鉢などで押しほぐし、ビンに入れ保存する。常温で数年間もつ。非常食に便利。

<干飯の食べかた>

①鍋で水100ccを沸騰させたら、干飯を100ccいれさっと混ぜたら、火を止める。ラップをして10分蒸らす。

②粘りが出るように混ぜて、完成。よそって食べる。

食べ方は、カップめんみたいに手軽で早い。水だけでもふやけるかはわからないが非常時によさそう。乾パンよりはおいしそうである。

通常、干飯はもち米で作るのが一般的みたいだけど、ネットで検索してみると、うるち米で作ってる方もいて、やりかたはさまざまのようだ。

clover  clover clover  clover clover clover  clover clover

「かれらは持ってきた乾肉乾し果物、ヴァシャ果とで簡単な昼食を、イカダの上ですませた。」        

グイン・サーガ 2巻 「荒野の戦士」 から

  栗本 薫 著

shine  shine  shine

この小説にはよく乾肉がでてくる。どんなものかと思っていたが、これも同じくこの番組で作り方を紹介してた。

火を通してないのに、生でもたべられるという優れものだ。

Photo_2 <干し肉のつくりかた>

①脂身の少ない牛もも肉 300gを、7ミリ厚さに繊維に対して直角に切る。

②包丁の背で肉をたたく。

③ボウルに肉を入れ、(酒 大さじ2、しょうゆ 小さじ1、みりん 小さじ1、おろしにんにく小さじ1、こしょう少々)を入れ、よくもみこむ。

④目の粗い金網で干し網にいれて干す。天日で2~3日(夜間はとりこむ)。ときどき裏返す。(竹ざるは張り付くのでむかない)

⑤乾いたらポリ袋などに入れ保存。冷蔵庫で1~2週間もつ。

<食べ方>

そのまま生でも食べられるけど、火であぶるとやわらかくなり、食べやすい。バーベキューなどによい。

これもまた、ネットで調べると、塊のまま2週間かけて干すやり方もあって、作り方、味付けなどがいろいろあるようだ。

味付けしてあるから、ペットのおやつには向かないのが、残念。

clover clover clover clover   clover clover clover clover

参考: Eテレ(月~木、5分番組) 

  「まる得マガジン 干物・乾物術」 

            テキスト600円

    講師:奥村彪生 (伝統料理研究家)

他に、「干しキノコ」「干し果物」「おこげ」「干物」「干し菜っ葉」「干し野菜」も紹介していました。

2012年3月20日 (火)

レオンとスリッパ

昨日のこと、早朝8時から日帰り小旅行に出かけてしまいました。

昼ごろになって猫たちは、母が戻ってこないことに不安とさみしさを覚えたようで、わたしのそばから離れようとません。

天気がいいのでベランダに猫たちを出し、一緒にひなたぼっこ。

ふと見るとレオンがスリッパ上に乗っている

Photo

さらによく見れば、両腕スリッパの中にすっぽり収まっている。

Photo_2

どうしたんだろうsign02

しばらくして、レオンは眠ってしまいました。

Photo_3

スリッパに母の匂いが付いていたのかもしれません。さみしかったのかな。

母は夕方6時に帰宅しました。

2012年3月23日 (金)

昔のトイレ2

「昔のトイレ」が、私のブログの検索フレーズランキング10位によく入っているので、写真を載せてみました。

他にも写真があったけど消してしまったようで、かろうじてファイルに残ってたものだけ紹介します。(まさかまたトイレネタを書くことになるとは思ってなかったので)

トイレは薄暗いところにあるので、わたしのカメラではピントが合わないことが多く、わかりずらいのが残念です。

会津武家屋敷(1800年頃)のトイレとお風呂。

Photo

着物は裾が長いので、木枠にかけると邪魔にならないのだ。

殿様のトイレの下には、砂を入れた箱が用意してあって、部下の者たちがそれを見て殿様の健康状態を把握したという。

水戸市「弘道館」(学校)(1841年)のトイレとお風呂。

Photo_2

トイレは会津武家屋敷の大便用と似たものでした。

たしか風呂は蒸風呂だったと思います。ただの何もない板の間にしか見えないけど。ちょっと傾斜がついてた。

石岡市の常陸風土記に移転してある「福島県南会津群の民家」(1900年代頃)

Photo_3

南会津地方の民家の見取り図。雪の多い土地なので馬も家の中に居るのだろう。人と馬の便などは肥料にするためまとまった場所にあるのかもしれない。

Photo_4

外から見た玄関。小便器は大便器と同じ形だったと思う。

Photo_5

大便用トイレ。木樽に溜まるようになっている。ぼっとんトイレ。扉はついてない。

Photo_6

風呂場。この形の風呂は見たことがあるね。

Photo_7

家の中はこんな感じ。仕切り板もなくてけっこう丸見え。移築なのでちゃんと再現されてるかはわからないけど、昔の暮らしをみるのは、おもしろいね。

追記:2012年4月11日

Photo_3

水戸市偕楽園にある「好文亭」のトイレ。東塗縁の部屋、華燈口の隣。畳張りになっている。かなりせまい。かさばる着物で入ったとは思えない。すでに洋服の時代だったのだろうか?もうひとつトイレがあるけどそっちはすこし広め。興味あるかたは行ったとき探してみてください。

2012年3月26日 (月)

ジョージ・ポットマン 「メガネ史」

「ジョージ・ポットマンの平成史」(2011.10.1~2012.3.25テレビ東京)。

人に勧めるにはちょっとためらうような番組だけど、なかなか着眼点がおもしろい。

ベースはエロで下品でふざけたかんじだけど、歴史の文献から漫画にいたるまで、いろいろな角度から大学教授などのすごい方々が検証していて、まじめなつくりとなっている。(たぶんR15指定sweat02

わたしは昔からメガネっ娘(こ)で、常々、「メガネをかけること」に対する世間の冷たさを感じてきた。
自分自身でさえメガネにはいいイメージは持ってない。

真面目、ブス、おしゃれじゃない、・・・など、負のイメージだ。

それはなぜか?

次の「ジョージ・ポットマンの平成史」の22話で検証している。(ざっと紹介)

pencil    pencil    pencil

The 22th chapter「なぜ平成時代 メガネ美人がブームなのか?」

今、おしゃれ界で「伊達メガネ」マストアイテムになっている。Photo
原宿の若者の伊達メガネ着用率は82%。
ほとんどの人が視力は良く、レンズなしの大きな黒縁メガネをつけている。

<眼鏡のはじまり>

日本最古のメガネは、京都市にある創建1509年の「大徳寺 塔頭寺院大仙院」に保管されている、室町幕府 第8代将軍 足利義政公(1436~1490)が実際に使用したというメガネ。downwardleft

Photo_2

1624年には、朱印船船長 浜田谷弥兵衛が外国でメガネ製作技術を習得し、金持ちなど上流階級の人たちが使うようになった。メガネ=金持ち

1

<眼鏡の流行>

明治6年、朝倉松五郎が安価につくれるメガネ技術を習得。眼鏡ブームがおこる。
「近頃はベラボウに大きな眼鏡をかけることが流行りだし」(明治22年「流行新聞」)

明治41年「ゴールド眼鏡のハイカラは♬ 都の西の目白台 女子大学の女学生♬ 片手にバイロン ゲーテの詩 口には唱える自然主義♬」(当時の歌。日本女子大学の女子たちは金縁眼鏡だと歌っている )メガネ=知識人

メガネ男子流行。

Photo_3

小説にも、知識人でモテるメガネを掛けた男が登場。
「金色夜叉(富山唯継)」尾崎紅葉、「其面影(小野哲也)」二葉亭四迷、「虞美人草(小野)」夏目漱石

大正時代。伊達メガネ流行
「眼鏡は、肉眼に、欠点なき者までがかけることになった。虚栄、勉学読書のために近視眼になったらしく装う」(大正11年「奇態流行史」)メガネ=モテのアイテム

<眼鏡人気の衰退>

日本の指導者や知識人の多くがメガネを愛用していた。

Photo_4

そこに着目してアメリカは、第二次世界大戦中、映画や娯楽作品には悪役日本男子メガネ男子として描いた。

1_2

Photo_6

それは戦後になっても変わらず、「ティファニーで朝食を」の映画でもネガティブ日本人はメガネをかけている。

<メガネの受難>

戦後GHQは日本に対し、3S政策をとった。スクリーン(ハリウッド映画)、スポーツ(野球)、セ◯クス(キャバレー、ダンスホール、キスシーン上映)によって、政治から日本国民の興味をそらせその間に、占領政策を行おうという趣旨のもの。そして日本は「六本木族」「太陽族」などの不良文化がひろまっていった。

こうした文化では「知識人」のような存在は当然地位が低下し、1955年には知識人のことを「がり勉」と揶揄されるようになった。
「真面目に勉強するやつダサい」といわれるようになり、「テスト勉強するだけでうらぎりもの」、「小心者」といわれるようになった。
1980年代になってもこのイメージは継続し、メガネ人間は「女にもてない」「セ◯クスも下手」「出世もできない」と週刊誌などに書かれるようになり、この傾向は女子にまで広まった。

Photo_5

メガネ=不美人、モテない、ダメなひと

<負のイメージのメガネキャラ>

「ドラえもん」ののびた、「キテレツ大百科」の苅野勉三、「ちびまる子ちゃん」のミギワさん、「つるピカハゲ丸くん」のブスねーちゃん。

<メガネをはずすと美人キャラ>

「翔んだカップル」のアキミ・スギムラ、「クキングパパ」のお母さん

<平成伊達メガネブーム再到来>

平成に入ると、経済的な格差が一層広がり、ネット社会が到来して、目立った人を簡単に叩くことが出来るようになった。
2006年のホリエモン逮捕や亀田一家にみられるように、違法性を追求するばかりでなく、その人格を否定するような、異常なまでに「出る杭は打たれる」時代となった。

「変顔」「方言」「アヒル口」「八重歯」「メガネ」=自分出すぎてないですよアピール

いまや美人やおしゃれな人は、隙を見せるために伊達メガネをするようになったという結論。

pen   pen   pen

一つの事実も、見方によりいろいろ解釈も変わっていくので、「そういうとらえ方もあるのか」と思う程度で見るといい。

どこまでがほんとで嘘かわからないからね。

この番組は、「CBB共同制作」「ヨークシャー州立大学歴史学部教授ジョージ・ポットマン」と銘打ってるけど、実在しないとウィキペディアに書いてあるから。

なんかまとまってないけど、面倒なので、これでおしまい。

2012年3月29日 (木)

挿絵にしたもの

Photo

「犬も熱中症になる」で描いたもの。めぞん一刻のイラスト。

http://kamokujin.cocolog-nifty.com/blog/2011/08/post-99aa.html

Burogu

「銀魂騒動」での銀魂イラスト。

Photo_2

http://kamokujin.cocolog-nifty.com/blog/2011/09/post-c84e.html

「本の落下」での、攻殻機動隊のイラスト。

Photo_4

http://kamokujin.cocolog-nifty.com/blog/2011/08/post-2d23.html

「浸水車からの脱出」での、ドクタースランプのイラスト。

Photo_3

「離岸流」での、きまぐれオレンジロード。

http://kamokujin.cocolog-nifty.com/blog/2011/08/post-31bb.html

Photo_5

「長い名前だね」での、銀魂のイラスト。

http://kamokujin.cocolog-nifty.com/blog/2011/09/post-49ff.html

ブログの挿絵として使ったイラストを載せてみました。あまり似てなくてうまくないけどね。ネタが古いけど、内容にあった今どきの漫画、アニメが思いつかなかったので、しょうがないcoldsweats01

2012年3月31日 (土)

困惑中・・・

3月29日。
朝方4時頃に高熱になってる気がして目が覚めた。
体温計で測ってみると38度2分。
昨日の熱がぶりかえしていた。
でもなぜか4時間後には37度に下がっている。インフルエンザ的なものじゃなさそうだ。
精神的なものかな・・・。

この日は別件で病院に予約が入っていた。今日は結論を言わなければならない。

1週間前、私のお腹のしこりについて、3つの治療法を先生から伝えられた。

① 薬で小さくする。ただし更年期障害と骨粗しょう症になる。小さくなるかは半々。
② 手術でしこりだけ取る。再発の可能性あり。
③ 手術で子宮ごと全部とる。

女性ならすぐにわかる思うけど、しこりは子宮筋腫のことである。
4人に一人がかかる病気で、命にかかわる病気ではないといわれる。
なので去年の春ごろからうすうす気付いてたけどずっと放置していたのだった。
でも9センチの大きさというのは、他の臓器に支障をきたすサイズで取り除かないとやばいらしい。
周囲でその病気になった人の話は聞かないし、みんなどうしてるんだろう?

今までの人生の運のなさから、手術はうまくいかない気がするので、薬にすることにした。
あるネットにあったものには、漢方と併用すれば骨粗しょう症にはならないとあるし。

問診で薬にすると伝えると、驚いた顔をされてしまった。診察でもそうだった。
手術を選ぶべきだったらしい。
少しすったもんだがあって、結局、お腹に薬治療のホルモン注射を打たれた。
先生はそんな漢方は知らないということで中和することなく、注射を打たれた。

これで骨がスカスカになっていくのかと思うと震え上がった。
もしかして選択間違えたのか?絶対手術やだと言ってたわけじゃないんだけど・・・。
不安が湧き上がってきた。

わたしが「薬で」と言ったものだから、手術ではどういう流れでやるのか教えてもらえず、もやっとした気持ちのまま結論を急いでしまった。なんか先生がイライラしてきてたのもあるし。

帰宅して、今さらながら時間をかけて、ネットで体験談などを読むと、薬治療は50歳くらいの人がやるものらしい。
私の年齢ではやっぱり手術を選ぶべきだった。

体験ブログなど読むと、大抵の患者は、自分のしこりのあまりの大きさに「すぐ切って」という気分になるようで、潔く手術にいどんでいる。

ぐずぐず迷ってるわたしは変わり者か?

命にかかわらないのに、命に関わる手術をする。勇気がいることだ。

きっとわたしもそのうち手術することになるだろう。

入院したら2週間も猫たちに会えなくなる。困ったな、昨年、1日会えなかっただけでも猫が病気になってしまったというのに。手術も怖いけど、最大の問題はここななんだ。

« 2012年2月 | トップページ | 2012年4月 »