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2012年4月

2012年4月 1日 (日)

イゾルテの抱っこ

Photo 犬のイゾルテとの思い出を描いてみました。
もと捨て犬で、拾った時から甘え上手な子でした。
チャームポイントは胸元のセーラーカラー。リボンはないけどね。
わがままなところがいいんですheart01

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2012年4月 3日 (火)

「いま泉」のキムチ

あまり外食する方ではないので、もっとおいしいところがあるかもしれないけど、我が家でのお気に入りのキムチはこの「いま泉」のキムチである。

金額も結構するのでたまにしか買わないけど、これを食べたらスーパーのキムチはもう食べられないくらい、おいしいキムチである。

近くの韓国のお店の手作りキムチを買って食べ比べてみたけどやはり、これに勝るものはない。

おすすめは「海鮮キムチ」「はさみ漬キムチ」「らっきょうキムチ」。

はさみ漬キムチは、白菜キムチに千切りの大根キムチがはさんである。海鮮キムチは、たこが入っている。

1

我が家でよく購入するもの。カクテキ、らっきょう、はさみ漬の入ったもの。(直売のみ?)840円だったかな。

Photo

「絶品キムチ」840円。

いま泉のホームページ。downwardleft

http://imaizumi-kimuchi.com/products/list.php

追記:2012.12.9 ちまきが発売されました。

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プレーンとホタテとキムチ味を購入してみました。
もち米はかなりやわらかめでした。(基本の固さを知りませんが・・・)
ホタテは、丸ごと一つ入ってました。

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半分食べたあたり、ホタテがごろんとheart01おいしかったですheart04

2012年4月 5日 (木)

映画で見る勝鬨橋

昨年11月の「三丁目の夕日」の連載(887話)で「勝鬨橋(かつどきばし)」が取り上げられていPhoto_2 た。

勝鬨橋は、東京の築地と月島を結ぶ、隅田川に架かる可動式橋である。
船が通ると上に開く仕組みになっている。
1940年に完成し、1967年まで一日3~5回跳開されていた。
1970年を最後に開閉が停止し、1980年に電力供給も停止した。
2007年に国の重要文化財となった。

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ある映画に、この橋に似たものが出てたのを思い出して、見てみるとやはり、「勝鬨橋」だった。

「東京の恋人」1952年(昭和27年) 主演 原節子、三船敏郎 、森繁久弥
勝鬨橋を舞台に指輪をめぐる騒動がおこる。

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勝鬨橋の上の都電の中で黒川とユキたちは知り合う。

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ある日、都電の窓から指輪を勝鬨橋の上に落してしまうが、橋が開いて通れない。

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船が走行中。

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ようやく橋が閉まり、車が行き交う中、必死でさがすふたり。どうやら指輪は川に落ちたようだ。

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別の日、橋の中央で黒川は偽宝石つくりの仕事をしてたことについて、ユキから責められる。

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後ろでは安全警備の人が旗を振りながら、はやく戻るようにと叫んでいる。

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「オーライ!!」と係の男。白黒でわからないが紅白の旗を持っているようだ。

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指輪のもとの持ち主は、あきらめきれず自分たちで勝鬨橋の下を、潜水して探そうとするのだった。

※橋の場面だけとりあげただけなので、こんな単調な話ではないですよ。

camera   camera   camera

この映画の時は開閉全盛期である。もうこの橋が開くことはないからとても貴重な映像である。

こち亀の映画でも開いたそうだがそれはCGだったようだ。

今度東京に行ったときにはぜひ見て来ようと思う。在りし日の映画の場面を思い出して感慨深いだろう。

おまけ:世界にはいろいろな可動橋があっておもしろい。ウィキペディアdownwardleft

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%AF%E5%8B%95%E6%A9%8B

追記:2012.9.22

勝鬨橋は、昭和15年(1940年)に行われる予定だった東京万国博覧会の「水路と陸路の入り口・歓迎門・ゲート」としてつくられた。
世界に日本の技術力を印象づけるために、当時の最高技術を駆使して作られたが、日中戦争(1937年)がはじまり、万博は中止に。
勝鬨橋は、実現しなかった夢の痕跡なのです。
参考:「美の壺・東京下町の橋」2012.9.9放送
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2012年4月 8日 (日)

漫画体力

ブログにはまだまだいろいろ書きたいこと載せたいことがあるけど、なかなかはかどらなくて困っている。

私の場合、イラストや漫画で表現したいと思ってるから、時間がかかって全然すすまない。

1ページ漫画を描くだけなのどうしてにこうも大変なんだろう?

もともとは唯一自分の取り柄である絵の才能を取り戻したかっただけなのだけど、時間はあるのに絵を勉強する時間が全然とれない。

遠近法の描写どころか簡単な人物でさえうまく描けない。

最近の萌えきゃらとか単純な体型でさえ、「真似ることで自分のイラストにする」、という初期段階でさえつまづいてしまっている。

10代のころはちょっとした時間でもさらさらとイラストが描けたのに。

つまり、これが「漫画体力」がないということなんだろう。

banana   banana   banana     

今年3月11日に読売新聞で17年9か月連載してた’けらえいこ’さんの「あたしンち」が終了した。

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いろいろな理由が重なっての終了だけど、「体力的に週刊連載がきつくなった」というコメントが印象的だった。いま50歳くらいでしょうか。

見た目としては、簡単な構図だし、キャラは決まってるし、特殊技法はいらないし、ページも週間漫画から比べたらたいしたことがないように思えたけど、やはり毎週掲載は大変だったようだ。

読者からの言葉にも考えさせることもあったようで、
「タチバナ家のおかずの少なさに’ひどい’と怒る方がいたり、お母さんが身勝手だとか、お父さんに気を使いすぎという声もあった。たぶん、もともとあった傷に触ってしまうんでしょう。私が思う以上に家族関係に傷ついてる人が多いのかもしれません」 けらえいこ談

もし結婚してすぐに子供がうまれていたら、今頃はみかんと同じ年頃だったろうから、今どきの子供目線で、また違った「あたしンち」が読めたかもしれないね。

「スタート時「あたし」というのはみかんのことでしたが、いつのまにか母視点で描くようになり、ついには父の年齢を超えてしまったあたりで、ちょっと行く先を見失ってしまいました。去年の震災のショックも大きかったです。」 けらえいこ談

本当に4月から日曜版に「あたしンち」はなくなっってしまった。読売新聞購読者としては、長くあったものがなくなるのはさみしいね。
ともかく、長い間たのしませてくれてありがう。おつかれさまでした。tulip

2012年4月11日 (水)

心のもちよう

昨日、ひとりで梅の名所を散策していると、50代くらいの知らないおじさんがご機嫌で話しかけてきた。

彼は、そこにあるものに対して、思ったことをたびたび私に話しかけてくる。

彼はただ、誰でもいいから感動を分かち合いたかっただけなのかもしれないが、なにかほっこりした気持ちになった。

わたしは昔から、初見で敵対視されることが多いので、こんなふうにまるで友達のような好意的な態度で相手が接してくるなんてことは、ほんとにめずらしいことだった。

わたしは無口なので簡単な相づちくらいしか返せなかったが、おじさんは満足して去っていった。

もしかすると、今の自分の見た目はそんなに悪くないのかもしれない、と、ふと思った。

しばらく戦いに身を投じてないからかな?

はじめて「相手がわたしにいい印象を持っているなら、期待に応えて美しい存在にならなくては!」という気持ちが沸き起こった。美しい字、美しい身のこなし、美しい声。

そうか、自分に自信を持つには、多少のうぬぼれが必要なんだね。

こんなふうにやさしい気持ちを子供のころに味わえていたなら、もっと違ったいい人生を歩んでいたかもしれないのに、と思った。

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偕楽園 梅とさくら

今年は寒さが長かったので、梅の開化がずれ込んで桜と同時に花見ごろになるという、珍しい光景が見られるというので、昨日またまた偕楽園へやってきた。

偕楽園の名称は、「孟子」「古(いにしえ)の人は民と偕(とも)に楽しむ、故に能(よ)く楽しむなり」という一説からとった。

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さくら満開。

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好文亭入口も満開。

「好文」とは、梅の異名で、晋の武帝の「学問に親しめば梅が開き、学問を廃すれば開かなかった」という故事に基づいて名づけられた。

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好文亭の3階「楽寿楼」からの眺め。左側が梅林・・・。隠れちゃってる。

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右側に桜の森があるけど、これも見えない。おしい。

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梅林。花の最盛期は過ぎたようだけど、見ごろの梅もあった。

cherryblossom    cherryblossom    cherryblossom    

「夜梅祭」で紹介できなかったところ。

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偕楽園の池。

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そばにある、「暁鐘」と「学生像」

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好文亭内の当時使われていた食膳用エレベーター。

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偕楽園の大杉森。

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偕楽園の表門。通称「黒門」

おしまい。

2012年4月12日 (木)

弘道館 震災の爪痕

2012年4月10日、好文亭に引き続き、水戸市の弘道館へやってきた。

先日載せた「昔のトイレ」で使用した震災前日に撮った「弘道館のトイレ」の写真がピンボケだったので、
撮りなおしに来たのだが、昨年の3月11日の東日本大震災で半壊して、
建物の中に入れなかった。

弘道館は、好文亭と同じく徳川斉昭(1880~1860)公(徳川慶喜の父)が1841年に開設した総合大学である。
学問、武術、医学、天文台、馬場(乗馬の練習)、調練(兵士の訓練)などを大勢の若者たちが勉強していた。
至善堂は、徳川慶喜が幼いころに学び大政奉還のあとに謹慎生活した建物。
1964年に国の重要文化財に指定されている。

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正門。(重要文化財)
見たところ変わりないようだけど前にはなかった柵が出来ている。
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upwardright前はこんなかんじでした。

それほど被害はなかったように見えるが、敷地の中に入ると・・・。
(本来大人190円かかるけど、半壊で建物内に入れないので無料になっていた。)

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一番の見どころの本館の正庁・至善堂。(重要文化財)
白壁と障子がボロボロになっている。
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玄関側面。

このように中には入れないので、外側を見て回る。

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手前の広場は対試場
かつてはここで武術の試合が行われ、藩主が正庁の間から座って眺めていた。
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前に撮った中の写真「正庁正席の間」 。文武の大試験が行われた部屋で、ドラマの撮影にも使われたことも。
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弘道館内のトイレと蒸風呂。
左の部屋がトイレで床は畳張り。
右が風呂だけど、何もない。床が斜めになっていた。

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見どころの梅の庭の角には、塀から落ちた瓦がまとめて置かれていた。

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裏庭には、震災のことなど、知らぬかのように、今年も梅や他の花々が満開を見せてくれている。
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建物には入れないけど、外からでも見えるように、全開してある。
上側の白いところは、地震でぼろぼろになっている。
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奥に見えるのは、古井戸。

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井戸は無事だったようだ。(たぶん使用はされていない)

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孔子廟。塀の上の瓦はほとんど落ちてしまっている。

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学生警鐘。完全に崩れてしまっている。

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学生警鐘の本来の姿。(昨年震災前日に撮った写真)

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八卦堂。建物は大丈夫だったが、

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写真によると、中の石碑は粉々になってしまった。

震災のときのまま、ほとんど手つかずで放置されているのは、同じ素材の漆喰が見つからないのが原因だろうと、観光客のおじさんが言っていた。
好文亭は同じ壁土が見つかり再現できるようになったとテレビで言っていたので、そうかもしれない。

ネットで見ると、入場料が無料になっていたので変だなと思ったけど、まさか1年経った今頃まで崩れたままとは思わなかった。
昨年、たまたま震災の前日に見学に来ていて、直後にニュースで崩れた壁などを映し出されていたのを見て、ずっと気がかりでいたのだったのだが、ひどい状況だ。
はやく復興できることを願う。このままだと廃墟になりかねないかんじだから。

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弘道館の梅。

tulip   tulip   tulip

追記:2013.2.4

弘道館の敷地の片隅に、売店がある。
入ってみると半分のスペースに「お土産」が地味な感じで並べてあって、「ふ~ん・・・」な印象。
奥は高額な感じがして、近寄れなかったが、実はここも名所だったりするのだった

2012.12.17放送の「加山雄三・若大将のゆうゆう散歩」で紹介されていた。
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「水戸拓(みとたく)」
文書が掘られた版木に「ふのり」を使い和紙を張り付けブラシで数時間叩き、一晩干して、
今度は数日間かけて墨打ちをする方法。

完成品は背後に張り付けてある「黒塗りに白文字」の紙。
紙と版木の密着面が広いから、しわにならないようにするのが難しいという。

「水戸拓」は、この売店の北澤家だけが受け継いでるので、作業はここでしか見ることができない、ということだった。

2012年4月14日 (土)

神崎寺

先日、遠い親戚の法要ではじめて水戸市の「神崎寺」へやってきた。
目の前にある道路はよく通るけど、入口が奥まったところにあり、ふらっと立ち寄りがたい雰囲気があるので、いままで入ったことはなかった。
意外と大きな鐘があることに驚いた。

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。その日は工事の人たちが入ってたので、トラックが。

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なにか一つ一つに壮大さを感じる。

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本堂。

さて、法事なので待ち合い室で待つことになった。
玄関を入いると立派な置物と大きな生け花があった。
部屋に通されると、ありがたみのありそうな高級な小物が置いてあるのが目に入った。
2度と入れないだろうから、写真を撮ってみた。

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ありがたい絵。

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この人物は誰だろう?

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墨のようなものがたくさん額に入っている。馬も味わいがある。

次に本堂へ移動となった。ここはさらに立派なつくりだった。
中央の天井からは真新しいピカピカ金細工の装飾品がぶら下がっている。
天井寄りの壁には、木に神様を浮彫した板が10枚くらい張り付けてあった。
作って間もないようで、金細工が輝いていた。
(写真はちょっと不謹慎な気がして撮れませんでした。)

私が感心したことは、細かなところに配慮がされているということ。
本堂では正座ではなく長椅子に座るようになっていて、ひざの悪い年寄りにも長い時間すわることができるし、床にしいてある真っ赤なカーペットは足裏が凍えないようにホットカーペット仕様になっていた。

また2階にあるトイレも粋で、ホット便座はもちろんのこと、女性用スリッパは黒色サボサンダルのおしゃれ靴にしてあるし、トイレットペパーはかわいく花柄がセットしてあった。コーナーポットも花柄。

ネット情報によると、神崎寺は、1572年あるいは1133年から存在してる歴史ある寺らしい。
・1687年に寺の境内から発見された銅鋳製円筒形の妙法経筒は、一時水戸光圀に献上されたが、書写の後、いまもこの神崎寺に保管されている。県指定文化財。
・水戸藩、徳川藩ゆかりの人の墓がある。
  ・
水戸光圀が大日本史編集のために設けた彰考館の史陣臣・森厳塾と石井三朶花
  ・総裁を務めた神代鶴洞と徳田錦江
  ・桜田烈士の稲田重蔵
  ・弘道館教授の飛田逸民
・観音堂に聖・十二面観世音菩薩が安置され、東国三十三観音の第一番札所として知られている。境内で弘法大師・四国霊場巡りができる。


ネット情報なので、ほんとかどうかわからないけど、そうことらしい。
墓は庶民のものもあって、ところどころ震災の影響であちこち倒れたままになっていた。
知っていたら桜田門外の変の稲田重蔵の墓は見てみたかったと思う。

墓の一角にある五メートル?くらいある仏像。「水戸観音」をみんなで眺めて帰った。

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水戸観音。

念の為言っておきますが、私は先日盗まれた1600万円とは関係ありません。

2012年4月16日 (月)

武道が必修に

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今年の4月から中学校で武道が必修になった。

武道は、柔道、剣道、相撲が主で、場所によっては、空手、少林寺拳法などあり、計9種目から学校が選ぶようになっている。

道具など比較的簡単に用意できることから、多くの生徒が柔道を選びそうだ、と、新聞記事にあった。

その記事には、「2000年~2009年度、10万人あたりの中学校の死亡生徒数」のグラフがあり、

柔道がダントツに死亡数が多く、2376人
次にバスケットボール0.371人
0.27以下のサッカー、野球、陸上テニスと続く。

柔道は頭を強く打つ危険があるので、重い事故になりやすいとあり、脳震盪(のうしんとう)などの処置に関する知識を指導者がしっかり身に着ける必要がある、とその記事は締めくくっていた。

だいぶ前にテレビで見た男の子は、脳震盪のような症状が出てるにもかかわらず指導者が何度も何度も投げ飛ばしたので、植物状態になったといっていた。数年たっても、意識は戻ってない。

脳震盪だろうが、抵抗できない人をおもちゃのようにもてあそぶことの方が、危険なんだと思う。
体力のある人や強い人は、そいうふうに弱い人をいたぶる傾向が少なからずある気がする。

私の体験のように、あたまばかりでなく、背中を打ちつけても息は止まることはある。
もしこの状態で何度も投げとばされていたら、息が回復することもなく、死んでいたと思う。

ある新聞の投稿には、剣道をすすめていた。
剣道は、死亡事故がゼロといい、武具も交換しながら使えばいいと提案していた。

最近の事件では、包丁を持った強盗などが多くなり、剣道ができたなら、モップなどの長い棒で撃退や逃げ道が確保できるんじゃないかと私は思う。

剣道をしてる人は背筋がピンと伸びて姿勢がいいイメージがある。
芸能人では、スマップの木村拓哉、草彅剛、はんにゃの金田哲など。

私も中学のころは、マンガの影響で剣道をしたかったが、剣道部が廃部になってたので出来なかった。高校の時は文化部だったので機会がなかったのが、ちょっと残念。

その影響された剣道漫画は、「夕陽よ昇れ‼!」画・あだち充、作・やまさき十三Photo_2 全二巻



余命の短い転校生、剣一のそばに居たいため、男しかいない剣道部に夕子は入部し剣道に励む青春まんが。美男美女の悲しい恋の物語である。

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2012年4月19日 (木)

マリアと鳥の羽根

ドライな飼い主たちに似て、我が家のペットたちも仲良く丸まったり、遊んだりすることはない。

なので、遊びたいときには、飼い主におねだりするか、一人で遊ぶことになる。

このところ、家にあるすべてのおもちゃに飽き気味のマリアは、さみしそうにしてることが多くなった。

今日も一人で、おもちゃのゼンマイねずみを相手に遊んでいる。

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ちょい、ちょい。

なんかかわいそう・・・。

道端に鳥の羽根が落ちていたのを思い出して、竿の先につけてみた。

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振ってみると、コウモリかツバメのように細かな動きでとびまわる。

なかなかいい。

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マリアも興味津々だ。

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とうっsign01

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キャッチheart04

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うがぁheart01

しばらくはこれで遊べそうだ。

2012年4月21日 (土)

財布の落し物

飼い犬が生きてた10年くらい前は、よく財布を拾った。

子どもの財布1回、大人の財布2回、ビジネスバッグ1回(金銭は入ってなくて資格などの免許証が5枚ほど)。

犬と一緒に路肩を歩くので、車から降りたときに落ちただろう財布が、草むらにあるのをよくみつけた。

中をみれば免許証などいろいろなカードが入ってるから、直接持ち主に連絡とろうと思えばできるけど、毎回基本どおり交番に届けた。

数百円くらいしか入ってなかった子どもの財布は届けただけで終了したが、カードだのお札だのが入ってる財布の場合は、持ち主と連絡とれるまで受付で待ちぼうけである。

どこで拾ったのか聞かれ、持ち主と連絡取れるまで毎回だいたい10分待たされた。(連絡とれなきゃずっといることになるのだろうか?)そして、自分の連絡先を用紙に書いて帰る。

数日後に警察から封筒が届き、’5%~20%以下の報労金をもらう権利があります。落とし主と連絡してください’というようなことが書かれた紙が中に一枚入れられていた。(書類が残ってないので、正しい文章は覚えてないです)

えっ?自分から連絡するの?
くれるっていうならもらうけど、頂戴とは言いいずらいなぁ・・・。

知らない人とのトラブルも怖かったので、連絡はしなかった。
相手からも連絡はこなかった。

(いま検索してみたら、2つばかり落とし主から連絡してお礼をしたとおう話をみかけた。う~ん、やっぱり落とし主からだよね)

なので2回目拾った時には、「お礼はいりません」と答えた。
受付をした警官は、ちょっと’えっいいの!?’って顔をして、「(相手と連絡とれるまで)待たせてすみません」とあやまった。
役所とちがってそこは素直なんだなぁ。

報労金はくれるっていうなら、そりゃ欲しいよ。
でも、トラブルは怖いからおじけづいちゃった。
もったいないことをしたかな。
ヴィトンの財布に、20万くらいのお札にデビットカード、クレジットカード。全財産が入ってた感じだった。
報労金は現金だけに適応なのだろうから、1万~2万もらえたかもしれないなぁ。
こういうところが運のなさだね。

dollar   dollar   dollar

私も一度だけ財布を失くしたことがあって、公衆電話ボックスに置き忘れて15分後に戻ったけど、すでになかった。

すぐに交番に届けたけど、お巡りさんは「まず出てこないと思ったほうがいい」と言った。
簡単な書類に記入しただけの手続きだった。

1週間後くらいに知らない書店から「財布を忘れてますよ」と連絡がきた。
行ってみると確かに私の財布だった。
1万円と小銭を入れていたが、1万円だけなくなっていた。
小銭はいらないというところが、盗んだのは成人男性のような気がした。
いろいろ思考がめぐりまくってテンパって、「すみません」と店の人に返事するだけで精一杯で、頭くらくらしながらそこを去った。

交番に言おうと思ったが、友だちがしなくてもいいよ、などというからそのままにしてしまった。
今も記録が残ったままなのかと思うとやな気がするけど、見つかった方が手続きが面倒らしいから、まぁいいか。15年前だから書類はもう破棄されただろう?

財布は戻ったけど、やはり誰がさわったのか分らず気持悪いので、結局それは捨てることになった。

moneybag   moneybag    moneybag

だいぶ前、友だちがよくパチンコ屋さんで財布を失くした。Photo

後ろのポケットからすられたのかわからないけど、2回も失くすもんだから、ベルトと財布につなげられる紐つきの財布をプレゼントした。

それ以来失くすことはなくなったが、替えの財布が見つからない。

紐でつなぐため、財布の折り目あたりに穴が開いてないとダメなんだけど、通販でも最寄りの店にも見かけない。
あっても何故かウエスタンのような派手なものばかりで、シックな大人用がない。

便利だと思うんだけどなぁ。

格好悪いのかしら?

2012年4月23日 (月)

イゾちゃん、はい!

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たぶん、どの動物もひじを伸ばせば手首が伸びるだろうけど、犬のがいちばんわかりやすい。

試に猫でやってみたら(今は猫しか飼っていないので)、怖がってくねくね身をよじってダメでした。

イゾルテとのかわいい思い出ばなしでした。

2012年4月25日 (水)

オス猫の庇護(ひご)の下に

昨年の秋ごろ、どこからやってきたのか、野良・子ねこが現れた。

見たところ、その子ねこは生後3ヶ月といったところ。

名前は「ちび」。

なぜかちびは、前からこの辺に住んでいる野良の白猫といっしょに行動している。

しろはオス、ちびはメスなので、親子とは考えにくいが、しろちびを面倒みているようだった。

ちびは始終しろにつきまとい、少しでも離れると不安になるようで、しろが私とアリスの散歩を邪魔しにきたときも、ちびは人間が怖いのにもかかわらず、必死で後ろをついてきていた。

どうみても、母親のあとを追いかける子供のようだ。

ちびは、しろのすることをまねて生き方を学んでいるようにみえた。

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ちびは、しろの友達マイケル(オス)とも仲がいい。(昨日の写真)

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2年前から飼いはじめているマリア(メス)は、もとは野良猫だった。

マリアも生後3ヶ月ぐらいのころは、オス猫に世話されて生きていた。

世話してたオス猫の名前はグレ(オス)。さすらいの旅猫だ。

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当時、マリアは小さかったので、小学生の子供たちにかわいがられていたが、飼ってくれるひとは現れず、遊び方がエスカレートしてきたので、やむなくうちで引きとることになった。

引き離された半年くらいは、マリアに合いに来ていた野良猫・グレ
(ピンボケでよくわからないだろうけど、ドアの向こう側にグレはいる。手前がマリア)

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まるで、引き離された恋人同士みたいにみえる・・・。

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10年くらい前に、わけあって野良・子ねこ(メス)を預かったことがあった。

子ねこは生後4ヶ月くらい。名前はない。

飼うつもりはなかったので、飼い猫とは別にして、箱の中で保護していた。

ところが、あまりにも鳴くので、ためしに箱から取り出してみたところ、レオン(オス)がその子ねこを、ひと目で気に入ってしまった。

メス猫のアリスは、子ねこに無関心だったけど、レオンのかわいがりようったらなかった。

毛づくろいしてあげたり、抱きしめたり。

もう、表情がいままでと全然と違うのである。

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子ねこは、運よくすぐに里親が見つかったので、2週間くらいしか家にいなかったが、レオンの悲しみ方はひどく、しばらく毎日、鳴きながら家の中を探し回っていた。
それほど、その子ねこのことが大好きだったレオン。

飼ってあげればよかったと思う。

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このように、たまたまかもしれないけど、血のつながりとは関係なく、オス猫がメス子ねこを世話していた。

自然界では、危険がいっぱいだから、子ねこにとって、守ってくれる大人がいるのは心強いだろう。

でも、子ねこならなんでもいいわけではなく、相性がいい子猫を面倒みてるようだ。

マリアを飼うことになったとき、レオンが子守してくれることをを期待していたが、レオンは威嚇してそばにも寄らなかったからだ。
今も仲が悪い。

2012年4月27日 (金)

ココログ・ケーキの庭

ココログ広場で作っている、「myケーキ庭コレクション」

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途中から写真下に文字が入るようになってしまったから、それを考えて写真を撮らないとだめだね。

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左、白鳥飛来。                         右、2羽のスズメが木箱の上に。

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ココログ広場2周年でもらった花火とともに現在の庭。

しばらくケーキの庭シートでいくつもりなので、いままでどんなかんじにつくっていたか忘れそうだったから、集めてみました。

4週間で草が枯れるから、植えっぱなしも出来ないので、次はどう飾り付けようかな。

2012年4月30日 (月)

レオンと子ねこ(前編)

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10年くらい前のはなし。

ある日、後ろとなりの家のひとが、’お宅の猫が産んだんだからなんとかして’、と、縁の下にいる野良猫を押し付けてきた。

うちの猫たちは去勢や避妊手術してるから’ちがう’と言っても、おばさんは大騒ぎして聞き入れない。

まったく、5、60代くらいのおばさんは駄々をこねるのがうますぎるよ。

というわけで、子ねこを一時預かる羽目になったのだった。

つづく。

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