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2012年4月12日 (木)

弘道館 震災の爪痕

2012年4月10日、好文亭に引き続き、水戸市の弘道館へやってきた。

先日載せた「昔のトイレ」で使用した震災前日に撮った「弘道館のトイレ」の写真がピンボケだったので、
撮りなおしに来たのだが、昨年の3月11日の東日本大震災で半壊して、
建物の中に入れなかった。

弘道館は、好文亭と同じく徳川斉昭(1880~1860)公(徳川慶喜の父)が1841年に開設した総合大学である。
学問、武術、医学、天文台、馬場(乗馬の練習)、調練(兵士の訓練)などを大勢の若者たちが勉強していた。
至善堂は、徳川慶喜が幼いころに学び大政奉還のあとに謹慎生活した建物。
1964年に国の重要文化財に指定されている。

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正門。(重要文化財)
見たところ変わりないようだけど前にはなかった柵が出来ている。
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upwardright前はこんなかんじでした。

それほど被害はなかったように見えるが、敷地の中に入ると・・・。
(本来大人190円かかるけど、半壊で建物内に入れないので無料になっていた。)

Photo

一番の見どころの本館の正庁・至善堂。(重要文化財)
白壁と障子がボロボロになっている。
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玄関側面。

このように中には入れないので、外側を見て回る。

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手前の広場は対試場
かつてはここで武術の試合が行われ、藩主が正庁の間から座って眺めていた。
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前に撮った中の写真「正庁正席の間」 。文武の大試験が行われた部屋で、ドラマの撮影にも使われたことも。
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弘道館内のトイレと蒸風呂。
左の部屋がトイレで床は畳張り。
右が風呂だけど、何もない。床が斜めになっていた。

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見どころの梅の庭の角には、塀から落ちた瓦がまとめて置かれていた。

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裏庭には、震災のことなど、知らぬかのように、今年も梅や他の花々が満開を見せてくれている。
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建物には入れないけど、外からでも見えるように、全開してある。
上側の白いところは、地震でぼろぼろになっている。
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奥に見えるのは、古井戸。

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井戸は無事だったようだ。(たぶん使用はされていない)

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孔子廟。塀の上の瓦はほとんど落ちてしまっている。

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学生警鐘。完全に崩れてしまっている。

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学生警鐘の本来の姿。(昨年震災前日に撮った写真)

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八卦堂。建物は大丈夫だったが、

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写真によると、中の石碑は粉々になってしまった。

震災のときのまま、ほとんど手つかずで放置されているのは、同じ素材の漆喰が見つからないのが原因だろうと、観光客のおじさんが言っていた。
好文亭は同じ壁土が見つかり再現できるようになったとテレビで言っていたので、そうかもしれない。

ネットで見ると、入場料が無料になっていたので変だなと思ったけど、まさか1年経った今頃まで崩れたままとは思わなかった。
昨年、たまたま震災の前日に見学に来ていて、直後にニュースで崩れた壁などを映し出されていたのを見て、ずっと気がかりでいたのだったのだが、ひどい状況だ。
はやく復興できることを願う。このままだと廃墟になりかねないかんじだから。

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弘道館の梅。

tulip   tulip   tulip

追記:2013.2.4

弘道館の敷地の片隅に、売店がある。
入ってみると半分のスペースに「お土産」が地味な感じで並べてあって、「ふ~ん・・・」な印象。
奥は高額な感じがして、近寄れなかったが、実はここも名所だったりするのだった

2012.12.17放送の「加山雄三・若大将のゆうゆう散歩」で紹介されていた。
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「水戸拓(みとたく)」
文書が掘られた版木に「ふのり」を使い和紙を張り付けブラシで数時間叩き、一晩干して、
今度は数日間かけて墨打ちをする方法。

完成品は背後に張り付けてある「黒塗りに白文字」の紙。
紙と版木の密着面が広いから、しわにならないようにするのが難しいという。

「水戸拓」は、この売店の北澤家だけが受け継いでるので、作業はここでしか見ることができない、ということだった。

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