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2012年5月25日 (金)

自由と独立と平泉

2011年に世界文化遺産に登録された、岩手平泉にある中尊寺金色堂は自由と独立を願って造られたものだ。
900年前に藤原清衡が建てた、世界唯一の皆金色のお堂。

藤原清衡の生まれ住む東北は、昔から朝廷のいる京都に支配され、人間扱いされず見下されたあげく財宝もすべて奪われてきた。

清衡の父・経清はついに陸奥守である京都の役人・源頼義に阿部氏とともに反旗を翻したが、源頼義は同じ東北の清原氏を味方につけたため、阿部氏藤原氏清原氏・源氏という東北人同士の戦いとなってしまった。
結果、戦に負けた父・経清は、むごい殺され方で処刑された。当時、清衡7歳だった。(前九年の役・戦争は12年間)

母が敵将の息子・清原武貞と再婚したので、清衡は殺されることはまぬがれ、清原の養子となった。
もともと武貞には嫡男・真衡がいて、20年後、清衡、再婚後生まれた弟・家衡とで争いになった。
真衡清衡家衡
真衡に陸奥守の源義家源頼義の息子)が味方に付き、大きな戦争となった。
真衡が勝ったが急死し、今度は清原の領地を巡り、清衡家衡の戦いになった。
弟・家衡は清衡の家を焼き討ちにし妻子一族皆殺しにしてしまった。
ただ一人難を逃れた清衡源頼義に助けを求めて、弟・家衡を滅ぼしたのだった。(後三年の役・戦争は3年間)

度重なる戦争で次々に家族を失い、ただ一人生き残った清衡は、

もう、二度とこんな争いはしたくない。
戦で犠牲になった人人々や、けもの、鳥、魚、まで、生きとし生けるものすべて平等。
敵味方関係なく極楽浄土に導きたい。

その気持ちから、日本の中心都市・京都にも負けない都市造りをはじめる。

源氏の介入を防ぐため、貢物など(東北名産の金、アイヌ地方でしかとれない鷹の羽など)を京都の朝廷に送り味方に付けた。

東北人同士の戦いがもう起きないよう、全地区交流できるように、「奥大道」という街道をつくった。
全長500kmの街道には、300以上のお堂や塔が並び、
道端には100メートルごとに塔婆が全部で5000本あまり立てられた。

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大きな通りにある倉庫には、京都でさえ持っていない「白磁四耳壺」などの世界の財宝が入れられていた。

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その街道の中心に平泉の町を作り、誰でも拝めるように、どこからでも見える高い位置に金色堂を建てた。
(1288年に囲いの建物が出来るまでむき出しで建っていた。噂がマルコポーロまでとどき、黄金の国ジパングといっていたのは、ここだといわれている)

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金色堂は、当時の世界の最先端技術を使いつくられた。
中も外も純度98%の金でコーティング。東南アジアで採れる木「紫檀」に、アフリカ象の牙でつくられたふち、奄美大島の夜光貝でつくられた模様など。

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これは東北には付き従う部下がいる、サハリンやアジア大陸でさえも思うがままに扱えるんだ、という日本全体に対するアピールでもあった。

堂のなかにある3体の地蔵菩薩は、3つの死後の世界「地獄」「餓鬼」「修羅」に落ちた人をも救うための仏。

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仏教を広めるため、東北全体に広がる1万を超える村ひとつひとつにも寺を建てた・・・。

この意志は子、孫にも引き継がれ、戦いのおこらない平和な時代が100年続いた。

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息子・基衡が建てた「毛超寺」
極楽浄土にある建物を表している。

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孫・秀衡が建てた「無量光院」
これには、人々に浄土の世界を体験させるしかけがしてあり、
旧暦7月16日の清衡の命日には、沈む夕日が阿弥陀とそれを拝む人たちを一直線に結び、金の光で包まれることで、極楽浄土とひつになれるというものだった。

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参考資料:「NHKスペシャル 世界遺産 平泉 金色の謎を追う」 2012年1月8日放送
       「歴史秘話ヒストリア 世界遺産 平泉 奥洲藤原氏100年のゆめ」
                                      2012年3月14日放送 他

shine    shine    shine
長々と、歴史は苦手なのに書き連ねてしまいましたが、感動や思うところがあったので載せてみました。

現場にはほとんどいない部外者的な上司が、たまにやってきては現場を引っ掻き回す(私はこの歴史の出来事がそう感じました)、こういう状態は、現代の仕事のやり方と同じに思えた。
私がいた職場も、他県からそのたびごとに上司がやってきては、いろいろ指図していたが、言い方や態度が横柄で、みんな動揺したり緊張したりしていたよ。
仕事に責任を持たせるためにそういう態度をとっていたのかもしれないけど、職場はぎすぎす。その上司になってから半数が辞めていった。
その上司は普段いないにもかかわらず、現場をまかされたリーダーも同じように横柄な態度をとって、自分の気に入らない相手には怒鳴ったりして・・・。(好きな相手に対してはかわいがっていたが)
ここは’みんなで協力して頑張ろう!’て、人を差別しないでやるものじゃない?嫌いな人を蹴落とすなんておかしいよ。
今やこういうやり方が普通らしいので、それになじめないほうが悪いということになるんだろうけど、昔のやり方(緊張してるのは新人ぐらいで、職場全体に緊張感は走っていない)を知っていると、どうも納得がいかないんだよね。心が頑固なのかな?

先生の心無い発言でいじめが起きたり、親の態度で兄弟間でもいじめが起きたり、上のものの態度でそこの空気が左右されるってことを知ってほしい。
緊張感が好きな勝気な人もいるので、こんな気持ちに対して、同意は得られないと思うけど・・・。

見下されてる者が、人と同じようにみられるためには、平均を追いかけてるのでは、たどり着けない。
ブランドを買えといってるわけじゃないけど、やはり流行の最先端を走らないとダメなのかもしれない。
孤高(ひとりかけ離れて高い境地にいる)を目指すしかないのか。
最近では、レディー・ガガさんのような・・・?

努力と知識とエネルギーが必要だね。

あまりまとまってないけど、書き疲れたのでおしまい。

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