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2012年6月

2012年6月 1日 (金)

髪の香り

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昔の漫画、少年マンガでも少女マンガでも、「憧れの女の子の髪がいい香り」というシーンが、たびたび見られたけど、今は見かけない気がする。

最近はヘアケア商品が充実して、美容液だのつや出しだのいろいろなクリーム、スプレーがあるので、シャンプーリンスの香りを残すのは、10代の若い髪でも難しいのかもしれない。

今わたしが使ってるコンディショナーは、バラの香りがするもの。

いい香りで幸せな気分になるけど、マンガに載せたとおり、全然髪に香りが残らないのが残念。もちろん悪いのは、弱ってる自分の髪のほうである。

2012年6月 3日 (日)

大友克洋 GENGA展へ

5月26日に、大友克洋GENGA展(4月9日~5月30日開催)へ行ってきました。
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最初に入った部屋には、たくさんのカラーイラストが飾られていました。
主なものはAKIRAのマンガ表紙になったイラスト。映画のスチームボーイや幻魔大戦などもありました。
「破壊」をテーマにしたイラストが多く、漫画家よりイラストレーター、デザイナーの人なんだと感じました。

次の部屋には、過去の漫画原稿が飾られてました。
少女マンガ時の表紙もあって、男の人が描いてるとは思えない出来でした。内容が気になりましたがそれはありませんでした。恋愛ものだったのでしょうか?
私の知らない男マンガもたくさんあって、作品掲載年か製作年の表示があればよかったのにと思いました。(わたしが気が付かなかっただけかな?)

さらに次の2部屋は、アキラの原稿が並べられていました。
細い線で、こまかに描かれているのが間近で見ることができました。
よく見ると、枠が「からすぐち」ではなく、ただのペンで描かれていました。
28年前の原稿のせいか、かなり黄ばみシミが多かったです。
マンガは持ってるので、読む必要はないから2部屋はちょっと多いなと思ってしまいました。
そのぶんカラーイラストをもっと見たかったですね。

次の部屋は写真Okなので撮ってみました。
ズン壁。漫画「童夢」での名場面。
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チョウさんという殺人鬼のじいさんがエっちゃんという小学生に超能力でこらしめられる場面に出てくる。

「AKIRA」の主人公・金田が乗ってるバイク。
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マンガでは1巻目に登場。
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壁に貼ってはるのは、「AKIRA」の漫画ページ。
500円で試乗が可能だったけど、わたしの小さな体では不格好になるだろうと思って乗りませんでした。

rvcar   rvcar    rvcar

ホームページを見たところ、「フリーダム」の作品はなさそうだったけど、やはり展示していませんでした。
日清さんのからみがあるのだろうか?絵柄は万人受けするいいキャラクターで好きなんだけど。
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当時の新聞切り抜き。日清カップヌードルの宣伝イラスト「フリーダム」。
よく見ると、タッチが大友さんではないような・・・?。

カラー原画展示には、「MEMORIES(メモリーズ)」1995年、(ショートアニメ)の「大砲の街」のセル画があったけど、

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個人的には、「最臭兵器」のほうがアニメは面白かったね。

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「迷宮物語」1988年(ショートアニメ)の「工事中止命令」(原作・眉村卓)も好きだったけどね。
食事が出されるたび機械まみれの具になってくところがよかったし、大友克洋さんらしさが出てるからね。
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2012年6月 6日 (水)

ガンダムフロント東京へ

ガンダムフロント東京へ行ってきました。
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外にある実物大ガンダム。➜

ダイバーシティ東京の7階「ガンダムフロント東京」があるのだけど、ちょっと行き方がわかりずらかった。
エレベーターが6階までしかないのである。
7階にあるガンダムまでどう行けばいいのか、わたしたち含めお上りさんたちは困惑しまくり。
説明も見当たらないので、とりあえず6階で降りて、反対の壁に向かって歩いた。
はじめのエスカレーターで上がってみると、ROUND1(ラウンドワン)のボーリング場の中に出てしまい、人の庭に入ったかのような気まずさで横切って、ようやく目的に到着した。
帰りにわかったことだけど、6階の突き当りのラウンドワンのゲームセンターの前のエスカレーターで上がればよかったのであった。
1

エントランスゲート。入口。upwardleft
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無料ゾーン。「ガンプラ東京」

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有料ゾーン。
予約時間になり、中の通路で10分くらい待たされた。
小さなモニターには、アニメの場面で、「カメラ禁止」「飲食禁止」「走らない」などの説明ビデオが繰り返し流れていた。(2パターンある。)
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扉が開いて入ると、そこは「DOME-G」というプラネタリウムでアムロとシャァの戦いなどが映し出されていた。
15分くらいだろうか、結構長く上を見ていたのでちょっと首が痛いね。
迫力があって見ごたえがあった。(中は撮影禁止)写真はドームの外側から。

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ドームの外側には、キャラクターの等身大パネルとのツーショット写真がとれるところ「キャラクターフォトスポット」があった。
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ガンダムSEED DESTINYの実物大のもの。

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「コアファイター」実物大。
ファーストガンダムの最終場面で、アムロがコア・ファイターに乗り、ア・バオア・クーから脱出したときのを再現している。
アムロはこのときホワイトベースの仲間をみて、つぶやく。

「まだ僕には帰れるところがあるんだ。こんなうれしいことはない。」


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ファーストガンダムの最終決戦地の「ア・バオア・クー」。
よく見れば「ホワイトベース」があるのがわかる。

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アニメではこんな感じ。upwardright

他に、撮影禁止区域には、富野由悠季の絵コンテや安彦良和さんのイラストもあり、今のガンダムの形になるまでのイラストもありました。

トイレは女子と男子で違ってて、女子トイレには性格占いが掛けてあった。

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ラクス・クライン、ハマーン・カーン、ララァ・スン、キッカ・キタモトの4人のいずれかの性格と同じになるわけだね。

とても楽しめましたよ。

写真はボケてるし、たいした説明も出来てないけれど、載せてみました。
ガンダムはよく見てたけど詳しくはないのでごめんなさいsweat01

http://news.mynavi.jp/articles/2012/04/24/gudamfront/002.html (←ガンダムフロント東京)

2012年6月 8日 (金)

黒タイツと私

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あるべきものがないのは、やはり変らしい。
だからタイツを履かないだけで、エロく見えたようだ。
昔でいえば、着物のすきまから、ふくらはぎが見えるとか襟足が見えるとか、隠れてるべきものが見えてると、色っぽいといったところかしら?

他の人のブログを見ると、数時間で絵を仕上げてるらしい。
このマンガ製作はいつも、配色だけでも3時間かかってるので、もっと早くしなくちゃと思うんだけど、もともとが遅筆なのでなんとかしないとなぁ。
今回は、前日AM2時まで起きてたせいか、自律神経が崩れちゃって線がよたってしまったけど、絵が下手なので分らないか・・・。
文章もいまいちまとまらない。

2012年6月10日 (日)

素足よりも・・・

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最近は繁華街にあまり行かないので知らないけど、10年くらい前には、たまに、こういうスケスケ服を着た、50歳代くらいのおばさんを見かけた。
サマーセーターや薄手の生地のブラウスなどで、このイラストほどではないにしろスケスケ。
本来は下にキャミソールを着るんじゃない?
更年期障害で体が火照るらしいから、しょうがないのかもしれないけど、自分たちを棚に上げて、若者を敵視しすぎじゃないかしら?

このダボダボジーンズ、20年くらい前に流行っていたけど、名前は「ボトムジーンズ」って言ってたように記憶してるけど、検索しても出てこないね。
名前が違ってたのかな?
「レベッカ」のボーカル・ノッコがはいてたイメージ、「パフィー」がはいてるイメージがある。
上に着るTシャツやYシャツも大きくて、ウエストだけきゅっと締まったスタイルになるのが当時おしゃれな格好だったよね。

今回は、ちゃんと自分のマンガ製作時間を測ってみた。
 ネーム 20分、 下描き 90分, ペン入れ 40分、 レイヤー分け(修正) 80分、
 色塗り 60分、  文字入れ 30分
トータル5時間20分・・・。今回は背景がないので楽なほうだったけど、やはり時間がかかってしまう。せめて3時間で終わらせたいナ。

2012年6月12日 (火)

日焼けで水ぶくれに

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当時は、配送の仕事をしていた。

ドライバーという仕事は男女問わず、腕以外は日に焼けないので、顔など肌は比較的白い。車内にいる時間が長いからね。

そういうわけで肌が軟弱になって、やけどをしてしまったらしい。

年齢のせいではないと思う・・・。懲りたのでもう海には行ってないけど。

「日にさらしてないところだけ火傷(弱み)」というところが、なんだかアキレスの話みたいと思った。
アキレス(アキレウス)ギリシャ神話:
母テティスは息子の体を不死身にするため、冥府を流れるステュクスの水に浸したが、かかとをつかんでたためにかかとだけは不死身にはならず、トロイア戦争でかかとを射抜かれて死す。  (ウィキペディアより)

最近のタグは、すすきの葉のようにざらざらしてたり、固い素材で出来たたりする。
昔はやわらか、なめらか素材で出来ていたのに。
かなり質が悪くなったと思う。
これじゃぁ肌が過敏じゃなくても違和感を感じると思うんだけど、全然改善されないね。

この火傷のせいで、ウールのセーターも着れなくなりました。

追記:日焼けで水ぶくれが出来た場合は、水ぶくれはつぶさずそのままにしておきましょう。
  つぶしてしまった場合は、早めに病院へ。跡が残ってしまうかもしれませんから。

2012年6月15日 (金)

触覚ヘア

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「同じ触覚じゃないよ」と思われるかもしれませんが、これはあくまでも私の偏見的考えなのであしからず。

前に新聞で「1970年代に、サザエさんの髪形は実際はどんなもの?という記事があった」という、記事を読んだ。

たしか「看護婦の日記」(1947年)という映画だったろうか?山奥深くにある病院の看護婦が全員、後頭部はまっすぐのぺたんこなのに、前髪と後ろ髪がくるくるパーマがかかっている髪形をしていた。
当時の20代女性のの流行りの髪形だったに違いない。

サザエさんは、その流行りの髪形をしてたといえるけど、30年も経つと、あの髪型は何?という扱いになるんだね。
実写ドラマがたまにやるけど、あのパーマの形はちがうと思う。
毛先は「おばちゃんパーマ」のふわふわにするのが正解なんじゃないかな?
まぁ、どうでもいいはなしですけどね。

流行は20年、30年ごとに復活してくる。
でも、そんな昔のことはほとんどの人が忘れてしまってるから、「なんですか、あれは?」となるわけだね。

2012年6月16日 (土)

速く描けることはいいことよ

先日、’みんな描くのが速いね。私は遅筆だから頑張らないと。’という内容のつぶやきをブログに書きましたが、「自分は速く描けるけど自慢してるわけじゃない」という怒りと悲しみのブログを見かけました。
原因が自分のつぶやきかどうかはわからない。
でも、速く描かけるのは自慢してもいいんじゃないかなぁ?

私は「デジ絵の文法」(2006年放送)という番組を見てから、数年後にペンタブレットを買ってイラストを始めたので(漫画は18ヶ月前から)、ここに出てくる絵師の作業時間を基準に思っていました。
絵柄にもよりますが、みなさん一枚の絵を仕上げるのにかなり時間をかけてます。(一部の人を紹介)

ゆきうさぎ 総制作時間 35時間、 塗り 15時間 (瞳だけでレイヤー12枚)

ゆきうさぎ(アニメのようなイラスト)
 http://snowrabbit.lolipop.jp/public_html/karitop.html

寿士郎 総制作時間 22時間、 塗り 19時間

寿士郎(身体障害者なので口で描いている。リアルなかわいいスポーツ少女)http://www12.wind.ne.jp/kotobuki/ilustindx.html

江草天仁 総制作時間 12時間、 塗り 9時間

江草天仁(3頭身萌えキャラ)http://picata.net/

okama 総制作時間 13時間、 塗り 4時間

okama(ドラマ電車男でのオープニングイラスト手掛けた。色使いがうまいと評判) 
 http://okama.nicomi.com/artIllust.html

ゆうとこうた 総制作時間 3時間46分

ゆうとこうた(写真を模写して写真のように描く)
http://oekyo.org/06/ix/word/-/%82%E4%82%A4%82%C6%82%B1%82%A4%82%BD/1/

葉月京 総制作時間 6時間、 塗り 4時間30分 (レイヤー54枚)

葉月京(漫画、巨乳少女イラスト)
http://atelier-sava.com/

■しろ

しろ (萌えキャラ。淡い色調)
http://longlongtime.org/

「デジ絵の文法」 サイト http://www.ponycanyon.co.jp/digie/digie.html

1ヶ月前にイラストのカテゴリに参加してみたら、多くの人が1時間くらいでイラストを完成させてることを知ったので、いままで時間がかかりすぎだったと反省しました。

そういえば、
「オタリーマン」の「よしたに。」さんは、夜中まで仕事があるのに毎日ブログマンガを更新してるし、

1985年の映画「天使のたまご」の制作ときの天野喜孝さんは、レイアウトを毎日、一日につき30~40枚描き、そのかたわら他の3社のイラストも描いたとあるから、1枚20分くらいでしあげたのでしょうか?

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見習いたいです。と言いつつ、これを載せるだけでもかなり時間がかかってます。
DVDチェックに3時間(つい見入っちゃった)。文章に2時間・・・。
どうやら脳みそをなんとかしないとダメのようですね。

2012年6月18日 (月)

ごはんの表面の部分

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だれも共感しない話をのせてしまいました。

でも、ほんとにごはんの表面はおいしかったのです。

最近では日々、1合しか炊かないので、自分のなかでも都市伝説的になってしまってるけどね。

ごはんのおいしさの順番は、だいぶ前にテレビで旅館の女将がそう説明していました。
②と③は逆だったかもしれませんが、④は押しつぶされてふっくらしてないので最下位です。

ごはんは3合ぐらい炊かないと、良さは出てこない気がします。

2012年6月20日 (水)

ごはんの分量と保温

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数年前に24歳の上司が「ごはんがいつもあまって捨てている」

と他の人にぼやいていたので、

「うちでは1.25合で炊いているよ。お茶碗2杯分、おかわりはしないのでちょうどいい量なんだ」

と口をはさんだら、あきれられてしまった。

切りの悪い分量で炊くのは、他人には変にしか見えないらしい。

捨てるくらい多いなら、少しずつ炊く量を減らして自分の家の分量を探せばいいし、

残ったのを冷凍保存するのだっていいと思うのだが。(わたしはあまり好きじゃないけど)

riceball   riceball    riceball

先日の「ザ・世界仰天ニュース」という番組で、「物を置いておけない主婦」(本当のタイトルは、片づけられない女の最終手段)の話がやっていた。

母親が「いつか使う時が来る」といってなんでも溜め込み、食べ残しも入った容器まで保管するから、家の中はモノがあふれ狭く悪臭が漂っていた。
娘は10歳でその家を飛び出し、離れた父のもとで暮らしたのち、結婚。
すると変な行動が現れはじめた。それは、物を置いていられないということ。
備品でも、買ったばかりの手も付けてない食べものでも、すぐに捨てたくなるのだ。
いつしか家の中は空き家のような状態に・・・。

10歳までしか、問題のある母親と暮らしてないのに、この異常行動。

一時の家族の変な行動などが、後々にまで影響をおよぼすことがあるということだ。

「私の勝手でしょ。好き勝手にさせて」とよくうちの母はいうけど、ひとりの問題ではないのだ。

反面教師っていう考え方もあるけど、そんななまやさしいものではないと思う。

親には、どんな年齢になっても、ちゃんとした態度でいてほしい。

だって未来の自分の姿にも重なるから。

(母にこのことを言ってみたけど伝わりませんでした)

2012年6月23日 (土)

分量は適当に



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料理の分量がはっきりしたのは、戦後になってからのようで、その以前は目分量だったらしい。

新聞の「異才列伝」の「香川 綾」の特集には、

戦後間もない当時、料理学校でも調味料は「ほどほどに」「おいしい味になったら」などあいまいに説明され、味の決め手は「愛情」などと言われていた。
さらに長さの基準は終戦後にメートル法で統一されたものの、重さはグラムと匁(もんめ)が混在。
度量衡法で規定されないティースプーンなどは物によって容量に違いがあり、アメリカ式の「1カップ=240㏄」といった基準も流入してきた。

物差しがバラバラでは教える人によって味が変わり、塩分や糖分を正確に定量することもおぼつかない。

1948年、香川は、200㏄の計量カップ15㏄の大さじ5㏄の小さじを開発し単位として位置付け、「大さじ2」「小さじ1」「カップ2分の1」などと定め、誰もが簡単に味付けできる料理カードを広めた。 

とある。

香川綾(1899年~1997年)は
母方の祖父が紀州藩の食膳係をしていて幼い時から食生活の大切さを教えられて育ってきた。
14歳の時に母親を肺炎で亡くしたことに衝撃をうけ医師を志し、「胚芽米に含まれるビタミンB1が脚気の治療に効果を及ぼす」という研究で、「食べることで病気を治したり、予防できる」ことに感動する。
「病人を治すだけでなく、病人を作らないのが医者の役目」と常に言ってたそうだ。
「料理の鉄人」の岸朝子の女子栄養学園時の師でもある。

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ちなみに、「メートル法」は、新聞の「サザエさんをさがして」の「ものさし」によれば、

(メートル法は、明治22年ごろに入ってきて、1951年に、今まで日本にあった「尺貫法」を本格廃止がはじまった)

日本の計量の単位が、計量法の定めでメートル法に統一されたのは1959年の元旦からだった。

そらまでの日常の暮らしは、じつに多種多様な単位が入り混じり、

買い物では、米や酒は「升、合」、肉や野菜なら「匁(もんめ)」、洋服生地は「ヤール(ヤード)」で和服生地なら「尺」と使い分け、地面の広さは「町、反、畝、坪」になじんでいた。

尺貫法禁止で、商取引や証明に使うことはご法度とされ、違反すれば罰せられる規定までできてしまった。
ものさしの鯨尺や曲尺の製造販売もできなくなり、見つかれば警察沙汰になった。

1976年、永六輔さんは尺貫法の復権を訴え、鯨尺や曲尺を頼りに暮らす老人や職人をないがしろにする悪法を世に知らしめようとラジオ番組で語りまくった。

政府の計量行政審議会は翌年、ついに尺貫法の併用を認めた。

「僕はメートル法より尺貫法がいいと訴えたわけじゃない。
法律の決め方や適用にあいまいで筋の通らないところがあるから、ちょっとヘンだと言ったり書いたりしただけ。
尺貫法を必要としてるのは、おもに年季の入った職人衆。
そんな人たちを捕まえて罰するのは、国家としてとても乱暴なことですよ。」

ものごとの切り替わりには、いろいろ問題が起こったりするもので、そこで戦う人はすごいと思う。
「適当」な話からは、ずれてしまうけど、永六輔さんの話が良かったり、寸法のことは私はよくわからないので、なるほど!と思ったので載せてみました。

cafe   cafe   cafe

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子供のころに使用してた懐かしの炊飯器の写真をネットで見かけたので、それを参考に見ながらマンガを描きました。

2012年6月25日 (月)

赤毛のアンとにんじん

「赤毛のアン」の物語は、カナダの雄大な自然とともに孤児院から来た赤毛の女の子が、マシュウとマリラ老兄妹に引き取られ、親友ダイアナと共に周りの人たちとかかわりながら成長していく話である。Photo

この話の中で、主人公アン・シャーリーは、自分の赤い髪にコンプレックスを持っており、クラスメイトのギルバートに「にんじん」とからかわれ、その後5年間、彼をシカトし続けたほどに怒っていた。

大抵の人はこれを読んで、‘たかがにんじんと言われたぐらいで。アンは過剰すぎる。’と思ったに違いない。でも私は、

アンが気にしている「にんじん」は、野菜のにんじんではなく、ジュール・ルナールの小説「にんじん」のことではないか?

と思うのだ。

shine   shine   shine

ジュール・ルナールの「にんじん」は、「赤毛のアン」が書かれる10年前の1894年に発表された小説で、作者の子供時代の体験をもとに書かれている。

「あとがき」から抜粋させてもらうと、

赤毛でそばかすだらけの少年は、にんじんというあだ名をつけられて、母親から嫌われ、兄のフェリックスや姉のエルネスチーヌと差別されています。
母親のルビック夫人は、いやな仕事やつらい仕事をにんじんばかりやらせて、好きなものもにんじんには食べさせてくれません。
この小説は、ほんとうの母親から継母のようにいじめられるこどもの悲劇であり、ほんとうの母親からきらわれる子供の孤独と反抗をえがいたものといえる。


実際、ジュールの母親は、かなりくちうるさい、ヒステリー気味のひとで、ジュールにつらくあたった母のようでした。
ジュールには、一生のあいだ、子どもの頃の不幸な感じが忘れられませんでした
ジュールが結婚して妻と一緒に故郷へ帰った時、母が自分の妻にしめした敵意をみて、子どもの頃の不幸を思い出し、これを書きはじめたのでした。
1904年の日記には、「わたしに『にんじん』を書かせたのは、自分の妻に対する母の意地悪な態度だった」とかいています。」  

と書いてある。

1894年当時は、「ほんとうの母親からの虐待」はめずらしく、こういうことはほとんど聞くこともなかっただろう。この小説は、世間に驚きをもたらしたに違いない。
しかも主役は、いままでにない、うそつきで動物虐待などするかわいげのない少年なのである。(しいたげられてる人は、相手の顔色をうかがって意見をかえるから、うそつきに思われがちで、ストレスのはけ口を小動物にむけたりするもの。かなり追い詰められた状態といえる。)

さらに、にんじんは、自殺しようとしたことを父親に告白するが、
「いいか、にんじん。幸福なんてあきらめてしまえおまえは、いまから幸福になることなんぞ、けっしてありゃせん。あきらめろ。しっかり武装しろ。それも成人になるまでだ。自分で自分のことが出来るようになれば、おまえは自由になる。わしらと縁を切ることもできるんだ。少なくとも家はかえられる。つまらないことに負けないようにしろ。神経なんか殺してしまえ。」
と父に言われ、何もしてくれない。
このつらい現状が変わることなく、救いのない、幸福の結末を迎えないまま、物語は終わる。

shine   shine   shine

「赤毛のアン」が、この「にんじん」を意識して作られたものだと思える箇所は、ところどころあって、

①アンは、生後3ヶ月で両親を相次いで亡くし、トマスさんやハモンドおばさんのもとで預けられ、子守や使用人としてこきつかわれる。主人が亡くなるたびやっかい扱いになり、ついに孤児院に送られ、ここでもいらない存在となる。そこでマシュウ達から養子の話が来て、
迎え
えに来たマシュウに「あたし、いままでどこの家の者でもなかったんですもの。・・・ほんとうの家族としてはね」と話す。

②マシュウに赤い髪を見せて「これであたしが完全に幸福になれないか分ったでしょう?赤い髪を持った者はだれでもそうだわ。一生の悲しみとなるでしょうよ。」という。

③アンの名前へのこだわり。(「にんじん」では、本名は出てこず謎のままだった。)
始めてあったマリラに、コーデリアと呼んでほしいと言い、本名の「アン・シャーリー」と答えると、

「アンこそ、わかりやすい、おしとやかな、ほんとうにいい名前です。なにも恥ずかしがることはありません」とマリラに本名をほめられ、名前の大切さをそれとなく語っている。

(デイヴ・ペルサーの「Itと呼ばれた子」の本にもあるように、虐待する母親は名前でその子を呼ばなくなる傾向があるようだ。日本だと、「おい」「お前」になるだろうか・・・。本当の名前で呼ぶことは大切である)

④始めて会ったレイチェル夫人に「みっともない、赤毛、にんじん」とけなされ、足を踏み鳴らして逆上するアン。泣いてるアンを見て、

突然古い記憶がマリラによみがえってきた。ごく小さいとき、ひとりの叔母がもう一人の叔母にむかってマリラのことを、「かわいそうに、この子はなんてみっともないんだろう。」と言っているのを聞いたことがあった。そのときの胸をえぐられるような気持ちは、50になっても忘れられなかった。

と書いてある。

⑤ギルバートに「にんじん」とからかわれ、怒って石版で彼の頭をたたく。

ギルバートは野菜のにんじんのつもりで言ったつもりだったろうけど、アンはジュールの「にんじん」と解釈したに違いない。
事前に親友ダイアナから「命からがらの目に合わせるいたずらをする人」と聞かされており、実際にこの直前にクラスメイトのルビーにいたずらをしてるのを目撃してるからである。ルビーはこれが原因で泣いてしまっている。

アンは、辛い人生を歩んできたが詳細は語っていない。
あの赤毛に対する激しい反発を見れば、過去に髪に関して何かあったことが推測される。
また、読書家のアンなら「にんじん」を読んだかもしれないしもし、読んだ人によって馬鹿にされたのかもしれない。

今まで不幸しか味わってこず、空想の中でしか居場所を見いだせなかった夢見る少女に対して、「君はあの‘にんじん’と同じようだね。同じように一生幸福にはなれないんだよ。君に明るい未来はやってこないんだ。」という意味合いの言葉を投げかけるということは、‘死ね’ということと同じで、すごい剣幕で怒るのは無理もないことではないだろうか。

(ギルバートはアンより3歳上の14歳だったが、父の病気の治療につきそい学校に来てなかったため、勉強が遅れていて、アンと同じレベルだった。その引け目とモテる自信からか、いたずらばかり。いままで責められたことはないようで、アンの態度に驚き、この事件以来いたずらはしなくなった。些細なことで人を心底傷つけることがあるを悟ったのかもしれない。)

shine    shine    shine

「赤毛のアン」は、赤毛でそばかすだらけの、人から「いらない」扱いを受けてきた孤独な子どもが、暖かい家庭に迎えられ、平凡な幸せな10代を過ごすという話。
「にんじん」の少年は10歳くらいで、不幸のさなかに話は終わっている。
「赤毛のアン」の作者モンゴメリは、この物語で赤毛の可哀想な子供に幸福なつづきと結末を与えたかったのではないだろうか。

(あくまでもただの個人の想像です。うまくまとめられたかな?coldsweats01 )

2012年6月28日 (木)

飯盒(はんごう)で食事つくり

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十数年前に、菅井きん(1926年~)さんが、「飯盒で、ごはんを炊いてから、味噌汁をつくって、ふたで野菜炒めをつくったの。新婚なのに友だちも同居してるから、3人分つくらなきゃいけなくて大変だったわ」とテレビで語っていた。(記憶違いでなければいいけど・・・)

飯盒は、中学生の時に見かけたけど、私はカレー班だったからさわったことないんだよね。
ごはんを炊く以外でそういう使い方があるのかと、感心したので、記憶に残ってました。

参考、飯盒サイト➜http://www.hangou.net/mame/index3.html

菅井さんがいつの頃結婚したのかはわからないけど、昭和25年頃と思って、人物のファッションは1951年(昭和26年)の映画「めし」から拝借しました。
モノクロだから色はわからないけど、たぶんおしゃれな色合いだったと思う。
終戦から6年しかたってないけど、パーマヘアの人もも多くて、形は今の近いものがあります。

昭和25年頃だとまだ、ガスコンロはなく(昭和30年頃登場)七輪が一般家庭でよくつかわれていたという。
何かの映画で,淡島千景演ずる女性が、2階の窓のところで、七輪に一人前の鉄なべを温めながら、「よってらっしゃいよ!一緒にうどん食べましょ。」と道をあるく主人公に声をかけてるシーンがあった。おもしろかったのでそんな感じにしてみました。

アニメ「火垂るの墓」にもよく登場してたというけど、ちょっと記憶になかったわ。

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