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2012年6月25日 (月)

赤毛のアンとにんじん

「赤毛のアン」の物語は、カナダの雄大な自然とともに孤児院から来た赤毛の女の子が、マシュウとマリラ老兄妹に引き取られ、親友ダイアナと共に周りの人たちとかかわりながら成長していく話である。Photo

この話の中で、主人公アン・シャーリーは、自分の赤い髪にコンプレックスを持っており、クラスメイトのギルバートに「にんじん」とからかわれ、その後5年間、彼をシカトし続けたほどに怒っていた。

大抵の人はこれを読んで、‘たかがにんじんと言われたぐらいで。アンは過剰すぎる。’と思ったに違いない。でも私は、

アンが気にしている「にんじん」は、野菜のにんじんではなく、ジュール・ルナールの小説「にんじん」のことではないか?

と思うのだ。

shine   shine   shine

ジュール・ルナールの「にんじん」は、「赤毛のアン」が書かれる10年前の1894年に発表された小説で、作者の子供時代の体験をもとに書かれている。

「あとがき」から抜粋させてもらうと、

赤毛でそばかすだらけの少年は、にんじんというあだ名をつけられて、母親から嫌われ、兄のフェリックスや姉のエルネスチーヌと差別されています。
母親のルビック夫人は、いやな仕事やつらい仕事をにんじんばかりやらせて、好きなものもにんじんには食べさせてくれません。
この小説は、ほんとうの母親から継母のようにいじめられるこどもの悲劇であり、ほんとうの母親からきらわれる子供の孤独と反抗をえがいたものといえる。


実際、ジュールの母親は、かなりくちうるさい、ヒステリー気味のひとで、ジュールにつらくあたった母のようでした。
ジュールには、一生のあいだ、子どもの頃の不幸な感じが忘れられませんでした
ジュールが結婚して妻と一緒に故郷へ帰った時、母が自分の妻にしめした敵意をみて、子どもの頃の不幸を思い出し、これを書きはじめたのでした。
1904年の日記には、「わたしに『にんじん』を書かせたのは、自分の妻に対する母の意地悪な態度だった」とかいています。」  

と書いてある。

1894年当時は、「ほんとうの母親からの虐待」はめずらしく、こういうことはほとんど聞くこともなかっただろう。この小説は、世間に驚きをもたらしたに違いない。
しかも主役は、いままでにない、うそつきで動物虐待などするかわいげのない少年なのである。(しいたげられてる人は、相手の顔色をうかがって意見をかえるから、うそつきに思われがちで、ストレスのはけ口を小動物にむけたりするもの。かなり追い詰められた状態といえる。)

さらに、にんじんは、自殺しようとしたことを父親に告白するが、
「いいか、にんじん。幸福なんてあきらめてしまえおまえは、いまから幸福になることなんぞ、けっしてありゃせん。あきらめろ。しっかり武装しろ。それも成人になるまでだ。自分で自分のことが出来るようになれば、おまえは自由になる。わしらと縁を切ることもできるんだ。少なくとも家はかえられる。つまらないことに負けないようにしろ。神経なんか殺してしまえ。」
と父に言われ、何もしてくれない。
このつらい現状が変わることなく、救いのない、幸福の結末を迎えないまま、物語は終わる。

shine   shine   shine

「赤毛のアン」が、この「にんじん」を意識して作られたものだと思える箇所は、ところどころあって、

①アンは、生後3ヶ月で両親を相次いで亡くし、トマスさんやハモンドおばさんのもとで預けられ、子守や使用人としてこきつかわれる。主人が亡くなるたびやっかい扱いになり、ついに孤児院に送られ、ここでもいらない存在となる。そこでマシュウ達から養子の話が来て、
迎え
えに来たマシュウに「あたし、いままでどこの家の者でもなかったんですもの。・・・ほんとうの家族としてはね」と話す。

②マシュウに赤い髪を見せて「これであたしが完全に幸福になれないか分ったでしょう?赤い髪を持った者はだれでもそうだわ。一生の悲しみとなるでしょうよ。」という。

③アンの名前へのこだわり。(「にんじん」では、本名は出てこず謎のままだった。)
始めてあったマリラに、コーデリアと呼んでほしいと言い、本名の「アン・シャーリー」と答えると、

「アンこそ、わかりやすい、おしとやかな、ほんとうにいい名前です。なにも恥ずかしがることはありません」とマリラに本名をほめられ、名前の大切さをそれとなく語っている。

(デイヴ・ペルサーの「Itと呼ばれた子」の本にもあるように、虐待する母親は名前でその子を呼ばなくなる傾向があるようだ。日本だと、「おい」「お前」になるだろうか・・・。本当の名前で呼ぶことは大切である)

④始めて会ったレイチェル夫人に「みっともない、赤毛、にんじん」とけなされ、足を踏み鳴らして逆上するアン。泣いてるアンを見て、

突然古い記憶がマリラによみがえってきた。ごく小さいとき、ひとりの叔母がもう一人の叔母にむかってマリラのことを、「かわいそうに、この子はなんてみっともないんだろう。」と言っているのを聞いたことがあった。そのときの胸をえぐられるような気持ちは、50になっても忘れられなかった。

と書いてある。

⑤ギルバートに「にんじん」とからかわれ、怒って石版で彼の頭をたたく。

ギルバートは野菜のにんじんのつもりで言ったつもりだったろうけど、アンはジュールの「にんじん」と解釈したに違いない。
事前に親友ダイアナから「命からがらの目に合わせるいたずらをする人」と聞かされており、実際にこの直前にクラスメイトのルビーにいたずらをしてるのを目撃してるからである。ルビーはこれが原因で泣いてしまっている。

アンは、辛い人生を歩んできたが詳細は語っていない。
あの赤毛に対する激しい反発を見れば、過去に髪に関して何かあったことが推測される。
また、読書家のアンなら「にんじん」を読んだかもしれないしもし、読んだ人によって馬鹿にされたのかもしれない。

今まで不幸しか味わってこず、空想の中でしか居場所を見いだせなかった夢見る少女に対して、「君はあの‘にんじん’と同じようだね。同じように一生幸福にはなれないんだよ。君に明るい未来はやってこないんだ。」という意味合いの言葉を投げかけるということは、‘死ね’ということと同じで、すごい剣幕で怒るのは無理もないことではないだろうか。

(ギルバートはアンより3歳上の14歳だったが、父の病気の治療につきそい学校に来てなかったため、勉強が遅れていて、アンと同じレベルだった。その引け目とモテる自信からか、いたずらばかり。いままで責められたことはないようで、アンの態度に驚き、この事件以来いたずらはしなくなった。些細なことで人を心底傷つけることがあるを悟ったのかもしれない。)

shine    shine    shine

「赤毛のアン」は、赤毛でそばかすだらけの、人から「いらない」扱いを受けてきた孤独な子どもが、暖かい家庭に迎えられ、平凡な幸せな10代を過ごすという話。
「にんじん」の少年は10歳くらいで、不幸のさなかに話は終わっている。
「赤毛のアン」の作者モンゴメリは、この物語で赤毛の可哀想な子供に幸福なつづきと結末を与えたかったのではないだろうか。

(あくまでもただの個人の想像です。うまくまとめられたかな?coldsweats01 )

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