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2012年7月20日 (金)

手塚治虫といじめ

 「ぼくのマンガ人生」 手塚治虫 著 岩波書店
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この本は、手塚治虫が1986年~1988年にかけて講演で話したのを、本にしたものである。

内容は自分の人生の苦労話で、子どもの頃のいじめられた話や17歳の頃の戦争の話、まんがやアニメーション制作の事情などが書かれている。

ここでは子供の頃のいじめ体験を、ところどころを抜粋してみました。
時代は1935年(昭和10年)~1944年(昭和19年)の頃。

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ぼくは子供時代やせていて虫のような顔をしていました。
ひじょうに小さく、体も弱かったのです。
小学校は師範学校付属小学校と呼ばれるところで、つまり教師の研修のためのモデル校だったのですが、そこではクラスメイトからばかにされて、いわゆる「いじめられっ子」でした
ぼくは目が悪くて、小さい時から眼鏡をかけていたので、これもからかわれる材料になりました
ぼくが登校すると校門のところに何人かたむろしていて、ぼくを見るや(はやしたてた)歌をうたうのです。

いじめられてばかりはもちろんいやなので、弱いなりに、いじめっ子からどうやって逃げるか、どうしたらあわずにすむかを工夫しました。
毎日、ぼくは帰るコースを変えて、裏道を逃げるように帰りました。
するとそれを察して、敵もそのコースを予測して先回りしたりするのです。
彼らのほうがとにかく上手でした。

中学になると、もっと暴力的になりました
まず「解剖ごっこ」というのがありました。
これは身ぐるみはがされてしまうのです。
10人くらいに寄ってたかられて服を、シャツからパンツまで全部脱がされてしまい、廊下へ追い出されるです。
休み時間にやられるのですが、服を隠されてしまうので、スッポンポンのまま授業がはじまって、教師が来るまで立っているわけです。
ガキ大将もいましたが、もうひとついびられたのは、クラスの中の成績の良い、つまりエリート集団からでした。
これは、ちょっといびりかたがちがって、ぼくのすることをすべてからかってくるのです。

家へ帰ると母が待っていて、「お帰り」というかわりに、「今Photo日は何回泣かされたの?」と聞く。
「今日は8回だぁ」なんてベソをかいて答える。
母は決まって「堪忍なさい」と言いました。
毎日、「堪忍なさい」の連続で、何を相手に言われても、何をされても、心にぐっと呑み込んでしまって、ひたすら笑っている、そういう癖がつきました

クラスにはいじめっ子でもいじめられっ子でもない、第3のグループがありました。
その子たちはいじめっ子たちが無視するか、あるいはだれからもいちおう好意を持たれている連中で、なかにはかなりの変人もいました。
ぼくはこのグループに近づいて仲間に入ることを考えたのです。
これは結果的にひじょうに成功して、彼らが楯(たて)になってくれて安心もできましたし、なにより、気安く話あえる友人を何人もつくれたのです。

なかに石原実君という子がいました。
彼はクラスでも一風変わった性格の持ち主で、いわゆるエンジニアで、こと科学にかんする知識では舌を巻くほどの情報をもっていました。
なにしろ大きな時計の御曹司で、広壮な屋敷が学校のすぐ裏のものですから、いじめっ子に追いかけられそうになると、すぐ彼の家へ逃げ込むことができました。
こうして、彼のおかげでぼくは天文学に深く興味を持つようになり、ウェルズのSFをむさぼり読む少年になったのです。

ぼくが自己防衛手段として考えたのは、特殊技能をみにつけることでした。
なぜこんなにいじめられるのかなと考えたとき、「ぼくにはなにもできないからなのかな」と気が付いたのです。

ある日石原君が突然、「本を出版してクラスの連中に配ってやろう」と言い出したのです。
内容は科学一般の解説書です。
本を刷っては配り、つくっては配ったのです。
クラスの仲間は大喜びです。
いじめっ子たちもこれには文句のつけようがなく、毎度本のできるのを楽しみに待つようになりました。

つい先ごろ、同窓の連中が当時の思い出をつづった立派な本が送られてきました。
そのなかに、「クラスの中に手塚という変わったやつがいて、当時からマンガを描きまくっていた」と書いています。
それを読んで、マンガを描くということがいかに目立った特殊技能だったかを知りました
そしてそれが学校生活の中で強い武器になったことも確かだったのです。

ぼくの体験から言えることは、好きなことで、絶対に飽きないものを一つ、続けてほしいということです。
何でもいいから、一つのことを高校2年生くらいまでつづけていると、それはかならず何らかの形でみなさんの宝物になるのです。
大きくなってからは、少なくとも2つの希望を持ち、2つのことをつづけることです。
色々な条件で1つが挫折することになっても、一つは残ります

人生の選択をする時がかならずあります。
そのときにえらべるものがあることは、ほんとうに幸せなのです。
一つしか進むべき道がないというのもいいのですが、、道は広い方が自分に向いた道を見つけやすいとぼくは思っています。

友人・石原実さんの話(p41)

大阪弁で「はたえる」ということばがあります。
標準語で「ふざける」とか「じゃれあう」とかいう意味です。
手塚君は自分がいじめられっ子だったように言っていますが、その実態は「ほたえた」のだと思います。
こどもたちはみんなそうしていますよね。「いじめられっ子」というのがいたとしたら、その条件があって、力が弱い、体が小さい、走るのが遅い、体操が出来ないなどです。
ぼくもそうでしたし、ほかにも2.3人いました。
彼だけ抜きん出てその条件がそろっていたのかもしれません。

妹・美奈子さんの話(p96)

兄はずっといじめられてたように言ってますが、私はそう思いません。
確かに眼鏡をかけはじめた頃は、からかわれたかもしれません。
しかし母がとても大切に育てた兄でしたし、私たちは幼稚園に行っていませんから、はじめての外の社会です。
子供たちはおそらく、自分たちと色の違う存在を敏感に感じて、特別扱いをしますよね。
兄はそれを「いじめ」と思ったのだろうし、必要以上に強烈な印象を受けてすぐ泣いたようです。
友達にしてみればいじめたつもりではなくても、兄にとってははじめての経験で、「いじめられた」と被害妄想になっていたと思うのです。

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3日前に、普段行かない図書館へ行ったところ、たまたまこの本が目に入り借りてみました。

開いてすぐの話が、子供の頃のいじめの内容で、これは何かの縁だと思ってブログに載せてみることにしました。

今、あちこちで大津市のいじめ自殺問題が取りざたされてますが、この本の中でも‘それはいじめじゃない、本人の思い過ごし’と、友人の石原さんと妹(治虫の4つ下)は言っています。

昔のこどもは暑い日は全裸で泳ぐこともあっただろうし、銭湯が主流の時代だろうから、人前で裸になるのは、今の時代からすれば、たいしたことではないかもしれない。

でも、思春期の中学生が、ひとりだけ裸にされるのはどうなんだろうか?

これっていじめじゃないの?

手塚治虫(1928年~1989年、享年60歳)
漫画家・アニメーター
代表作:鉄腕アトム、リボンの騎士、火の鳥、ブラック・ジャック、ジャングル大帝

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