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2012年8月 9日 (木)

戦争での日本兵の蛮行

文中に残虐な内容が含まれてますのでご注意ください。

先日、ココログの60代の男の方と口論になってしまいました。
理由は、相手が「戦時中、現地の人はお金目的で自分からすすんで慰安婦になったんだよ。」などと言ったからです。
‘女性はいつの時代でもお金がもれえるなら自分から喜んでそういう仕事に就くもの’だと。

戦時中の日本兵の現地での振る舞いはひどいものでした。
さからえば村ごと焼かれ村人全員処刑です。
誰かが犠牲になって慰安婦になれば、無差別に日本兵が強姦に走ることもないでしょう。
精神的にも耐えられる人が名乗り出たのだと思うのです。

あまりの怒りに心がわなわな震えます。重い話で迷ったのだけど載せることにしました。

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◆戦地での日本兵の横暴◆

1937年南京大虐殺。叔父から届けられた写真には、大きな穴の中に人間の死体が積み重なり、周囲には刀や銃を持った日本兵がずらりと笑いながら並んでいた。そして南京でいかにして中国人の首を切ったかを自慢げに語った。「女は髪が長いからうつむかせ、髪を前にたらす、首の皮一枚残して切るのがうまい殺し方。首が転がるように殺すのは下手なやり方だ。」と。

1940年中国。「敵にひそかに通じている集落なので、家々を焼き払って住民は打ち殺せ」と部隊長は命令する。が、’敵は兵隊のはず。住民ではない。湯茶の接待までしてくれたじゃないか’と私の心は叫ぶ。でも、命令には逆らえずあちこちで銃声が鳴り響いた。

中国。「どうしても欲しかった薬」を取りに自宅に戻った村人の男性を捕まえ、木に縛り付けると、剣のついた銃で初年兵に突かせた。約50人が突き男はボロ雑巾のようになって死んだ。

中国。敵と疑わしいものはだれでも「水責め」で拷問した。路上に押さえつけ口に手拭いをかぶせ絶え間なく水をかけ続け、やがて死んでしまった。あちこちでこの残酷な光景がみられた。

◆従軍慰安婦◆

南京大虐殺の頃は、「もし強姦したなら必ず相手を殺せ」と人事係が兵士に訓示していて、「一日に最低2人強姦した」と自慢いていた軍曹もいたほど、日本人の蛮行はひどかった。
これを世界から非難されるのを避けるため、
翌年の昭和13年、戦場の上海に慰安所(入場料2円)ができた。
従軍慰安婦は兵隊の性欲処理機で、その数十万とも十五万ともいわれる。
朝鮮人慰安婦が圧倒的に多かった。

昭和18年、ラバウル。売春宿・通称ピーヤ
慰安婦の数は少なかったため、ひとりの女性をめぐって将校同士が流血さわぎをすることもあり、若い将校が日本人慰安婦と無理心中しとこともあった。こんないざこざは日常茶飯事だった。
そこで働く女性たちのほとんどは朝鮮出身で年齢は20歳から40歳くらい。待遇は軍属、日常の食事は将校並みか以上だという。しかし酷使させられて2・3ヶ月で交代させられてました。
日本の敗戦が決定的となり、南方の孤島での玉砕が伝わるころには、彼女たちの姿は見られなくなった。

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私の周りの親戚にも戦争に行った人は無く、内容は新聞の投稿から一部を拝借しました。

このほかにも「兵士の毛皮のために供給された飼い猫と飼い犬のかなしい話」や「軍馬として戦地におくられた農民の馬の結末」「原爆を乗せた飛行機がむかってくるのは知ってたが軍はただ何もせず避難もさせなかった話」もしたかったけど、小説のように長くなるのでやめました。

過去の世界の歴史をみても、いつの時代も戦争のさなかは強姦や無意味な殺りくが繰り広げるようです。

新聞に載ってた「戦争の法則」

戦争に負けると、原始時代に戻り、人々は野山に帰る。

戦争に負けると、囚人は英雄に、英雄は闇屋になる。

戦争に負けると、瓦礫(がれき)は遊郭に、乙女は娼婦になる。

戦争に負けると、聖人も君子も堕落する。

戦争に負けると、今までの言葉が通じなくなる。

戦争に負けると、子供たちがグレる。

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追記:

・戦時中の朝鮮人男性

日本は戦時中朝鮮を支配してたので、朝鮮人男性は日本兵の下、戦場で戦わせられました。
日本の楯(たて)として前線(敵と直接に接触する最前列)にいて、体に直接爆弾を巻き付けられて戦車などに突進させられたりされてました。
戦後は日本兵とともにシベリアに送られ、マイナス50度もある極寒のなか強制労働され、食事も微々たる中、病死したり過労死したり多くの人が亡くなった。
1950年までに解放されたが、そのころ朝鮮戦争で国が二つに分かれ、韓国に帰るには境界の北緯38度線を越えねばならず、ここで撃ち殺された人も多かった。
無事故郷に戻れても、ソ連による洗脳教育されてるのを知ってるから、スパイと思われ居場所がなかった。
しかたなく再び朝鮮戦争に兵士として故郷を離れた人が少なくなかった。

こうしたことから、豊臣秀吉の朝鮮出兵(1592年~1598年)を含めて、韓国人の反日感情の理由はここにある。

・日本兵も楽してたわけでなく、
下っ端の兵は特に、

「声は大きく」「めし食いは早く」「3歩以上の移動は駆け足」
これを違反すると、その場で腕立て伏せ30回。
朝6時から夜9時まで、一日中ラッパの合図で行動させられ、息つく暇もなく忙しい。
些細な理由から、殴られたり、1メートルの樫の木でできた精神棒で何度も殴られる。
気を失えば、水を浴びせかけられる

毎晩この繰り返しで、逆らえばリンチで殺されたり、処刑されたりされてたようだ。

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