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2013年8月23日 (金)

夏休みの終わり頃に

小学5年生の頃、同じクラスの女の子、とっとちゃんと友達になった。
近所の子とは違う、気が合ったという理由で出来た、はじめての友だちだった。

この年頃は、友達を自宅へ呼んだり、呼ばれたりの遊びに夢中になるころで、
たぶん、これで接客の仕方を自然と学んでいく時期なのだろう。

とっとちゃんは、私の家には遊びに来たことはないが、
私は、何度か遊びに行ったりした。

とっとちゃんは、自宅が小学校から遠く、学校から遠距離通学補助金をもっらっていた。
わたしの家が学校から5km離れてるけど補助金はもらってないので、
たぶん彼女の自宅は学校から6km以上は離れてたのかもしれない。

とっとちゃんの家までは、バスが途中までしか走ってないので、
遊びに行くには自転車でということになる。

私は、ひとり自転車を走らせ、小学校を経由して、長い坂を上り、
片道11㎞の道のりを、とっとちゃんちへと向かう。
瓶のコーラの自販機が見えたら、すぐそこだ。

とっとちゃんの母親は美人で、品よく、当時CMで見たマダムヤンにそっくりだった。
とても田舎のおかみさんには見えなかった。
たまにしか、遊びに来れない私に、彼女の母は、
「忘れたころに現れる子ね」と微笑みながら言った。

彼女の家のお風呂場は、12畳の土間に、
ポツンとプラスチックの湯船とすのこが置いてあり、間近で靴を脱いで入る仕様だった。
どこで体を洗うのか謎なのと、私は、広すぎる風呂は落ち着かないと思った。
また、開かずの間の存在には、妖怪を想像して、震え上がった。

田んぼの真ん中を走る道路の下には、横切るように農業排水管が横切っていて、
その直径60㎝の土管の中を、四つん這いになりながら、くぐって遊んだ。
私の近所には無いもので、とても興奮した。

だが、こんなに仲良かったものの、小学6年生の頃にケンカ別れしてしまった。
自我のせいで、「どっちがえらいか」「どちが頭悪いか」などの、
くだらない思考に惑わされ、いがみ合いが絶えなかった。
あるときは、いじめにも似た攻撃も受けたりした。

中学に入り、同じクラスだったものの、仲良くはならなかった・・・。

彼女にはひとつ年上の兄がいて、野球部に入っていた。
ひと学年、3クラスしかないから、だれがだれの兄弟かはわかる。
彼は、私の姉のクラスメイトでもあった。

私が中学1年の夏休みに事件が起きた。
とっとちゃんの兄が、海で行方不明になったというのだ。

お盆が過ぎたころ、30㎞離れた海へ、友人数人で自転車で遊びに行き、
そこで行方不明になったという。
遺体が発見されたのは、7日経った頃で、
遠く離れたテトラポット付近で見つかったのだという。
どうやら、荒れた波が砂底をえぐり、その穴に足をとられ、溺れたようだった。

新学期に入った9月、朝礼で、私たち全校生徒や先生たちは、彼のために黙とうを捧げた。

私が在学中に亡くなった生徒は彼一人だった。
私の周りで亡くなった人は、彼が初めてだった。

お盆が過ぎたら海に入ってはいけないんじゃなかったの?

年を越して、1月の新学期に、
「年賀状見た?」と、私はとっとちゃんに聞いた。
とっとちゃんが好きだといってた松本零士の絵を、
彼女を喜ばそうと頑張って描いたのだった。

するとすかさず、ほかの友人が、「喪中は年賀状送らないんだよ」と、遠慮がちに言った。

私は、衝撃を受けた。そして自分の失態に血の気が引いた。
もし、普通の両親だったなら「あの子は喪中だから年賀は出しちゃだめだよ」
と教えてもらえただろう。
我が家には家族の会話というものはない。
などと、親のせいにしつつ、親や自分に対して怒りや悲しみが沸き起こったのだった。

中3になり、進路の高校を決めなければならなくなった。
私は、挽回も含め、とっとちゃんと「一緒の高校に行こうね」と誓い合った。
だが、猛烈な親の反対にあい、一緒には行けなくなった。
親は交通費のかかる遠くの高校は許さなかったのだ。
とっとちゃんを裏切ったようで、気が引けた。

その後、同窓会で2回、友人の結婚式で1回再会したが、会話することはなかった。
いつも、心のどこかに「年賀状の失態」や「裏切り」が付きまとい、
時間が経つほどに重みを増して、私は言葉を失ってしまうのだった。

姉の話では、一緒に海へ遊びに行った彼の友人は、今でも、
自責の念に駆られながら、夢などややりたかったことを封印して生きていると聞く。
私も良心の呵責にさいなまれながら、この先も生きることだろう。

3年前に、友人の結婚式で、幼なじみのしおんちゃんに再会した。
彼女ともかつていろいろあったが、今回の再会で何か思うところがあったようで、
「一緒の友達グループに入る?」と誘ってきた。

どんな友人がいるかで、自分の評価が決まるところもあるから、
これはどうしたことかと驚いてしまった。
私は「(独り)ボッチ族」ですよ!?

しおんちゃんは、
「◯◯ちゃんや、とっとちゃんもいるよ」と言った。
しおんちゃんは、私と、とっとちゃんのいざこざを知らない。
この年になれば、自分がいかにダメか、おやがおうでも認識せざるを得ないから、
「いや、いいや・・・ありがとう」と断った。

社会に出れば、色々な人に出会うけど、気が置けない友人になることは少ない。
結局、気心知れた中学時代の同級生が、友達として一番落ち着くことに気づく。

・・・・・・友達は大切に・・・。

pencil

「喪中の年賀状」 検索でみると・・・
・間違って出した場合は寒中見舞いでお詫びをする。
・喪中というのは、「自分が年始などの祝いが出来ない」のであって、
 「他の人も年賀のあいさつをするな」という意味ではないので、
 年賀状は出してもかまわない。

「遠距離通学補助金」
小学生 片道4キロ以上、 中学生 片道6キロ以上
金額は町により違うが、鳥取県では一月、小学生は1200円、中学生は1500円という。

歌「ひこうき雲」に触発されて書いてしまいました・・・。

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