あれも一種のゆとり教育?
私が生徒だった時代、先生はよく、
「次は飛ばして、教科書◯ページの『△△』を開いてください」
と言っていた。
国語(漢文、古文含む)や英語では、先生はそう言って、
教科書の中から先生が選んだものしか授業でやらなかった。
小学校、中学校、高校も同じやり方だったので、私たちはそういうものだと思っていた。
今年、ツレに
「夏目漱石の『こころ』ってかならず授業で習うらしいね。習った覚えがないや。
教科書に載ってたのかなぁ?先生飛ばしちゃったのかも」
というと、ツレは、
「飛ばすなんて、あるわけなだろう!教科書に載ってるのは全部勉強しなきゃいけないんだから!」
という。
市街で育ったツレは、きっちり教科書どおり勉強したようだ。
私は、田畑が広がる田舎で、生徒の大半以上が農家という環境で育った。
だから、農繁期にはクラスの数人は、家の手伝いで学校を休んだりしていた。
ツレのクラスでは農作業で休んだ人はいないという。
大学に進学する人も少ない田舎では、必死になって勉強する必要もないから、
先生も最低限しか教えなかったのかもしれない。
中学のころは、他校の先生たちが、「不良のいない学校」である私たちの学校へよく研修に来ていた。
私たちの先生たちは、「ほとんどの生徒たちが部活に入ってるから、グレるひまがない」と、
自慢げに言っていた。
それも一因だろうけど、たぶんプレッシャーのないゆとり授業が、
生徒たちの精神を安定させてたのではないかと、今になって思う。
学校全体の学力はあまり良くなかったと思うけど、
8割の生徒は近くにあるH高校へ入学していたので、
そこに入れる学力があればよかったのだった。
それ以上のレベルの高校へ行きたい人は、学校に頼らない方法で勉強すればいい。
学校は、クラスのみんなと楽しく過ごす場所だった。
.
小学6年の頃に、学年一、頭のいいケイジ君という男の子がいた。
ある日、先生は理科のテストをみんなに返した際に、ケイジ君に対して、
「よく『関節」という答えが分ったね!授業で教えてないのに!」
と嬉しそうに言った。
『教えてないのに・・・わかった!?』 私はそれに衝撃を受けた。
「さすがケイジ君はすごいね」という空気が教室に広がった。
習ってないのが、テストに出る・・・これじゃ100点は採れない。
どういうことなのか、ずっと心の片隅に疑問が残ってたが、
今になって、授業のやり方が『ゆとり方式』だったからだとわかったのだった。
その後、この小学校の生徒のほとんどは、同じ町立中学に進学することになっていたが、
ケイジ君は、私立の中学へ行ってしまった。
こんな甘っちょろい勉強法では、上を目指す者にとっては、足を引っ張るだけだと
分っていたのだろう。
.
環境によって勉強の仕方が違ってくる。
私は、あの「ゆとり勉強法」が、ダメだったとは思わないが、
もし、都会に住んでいたなら、今よりもう少し利口だったのではないかと、思ってしまうのだ。
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