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2014年2月24日 (月)

毛が逆立つほどに腹が立つ

母に対する愚痴ともろもろの話です。
(ブログに載せるのもどうかと思ったけど・・・内容も行ったり来たりしてるし・・・まぁいいか)

テレビで連日のように、現代のベートーベン佐村河内守の話題が取り上げられ、
母は、「まー」とか「あらー」などと声をあげながら、食い入るようにそれを見ていた。

私も母も、この騒動が起るまで、この人の存在は知らない。

『全聾(ぜんろう 全然耳が聞こえない)でありながらいい曲を作る人』のはずが
『実は作曲者が他にいた』ということで世間は騒いでるようだが、
昔からゴーストライターなどは聞くので、私は驚きはしなかった。
というより、思い入れが無いので、何とも思わなかった。

この気持ちは、ちょっと尾崎豊が亡くなった時と同じだった。
「話題になってるけど、このひと誰ですか?」だ。
当時、周囲の人に「尾崎豊って知ってる?」と聞いたが、知ってる人はいなかった。
一部の人には超有名人だったらしいが、私のところまでは広まっていなかった。
これ以降、歌が注目され主題歌になったりして、誰もが知るところになった。
佐村河内守の曲も同じように、この騒動によって、
クラッシクに興味ない人まで注目させることに成功したといえる。

佐村河内守のすべてが嘘だったとワイドショーでは騒いでいた。
母は、それを見て私に言った。
「お父さんと同じで、周りの人が壊そうとしている!かわいそう!」と。
知らない相手によくまぁ感情移入できるものだと、驚いた。
私は、
「どのへんが、『お父さんと同じ』で、どのへんが『周りが壊そうとしてる』なの?」と聞いた。
すると、母は、
「わからないの!?シーデー(CD)を回収されたんだよ!!」と叫ぶ。
父は、20年前友人(周り)によって、離婚を勧められ、最終的には家も自分の店も失った。
私が、
「耳が聞こえるとわかった以上、CDに‘全聾’と書いてあったなら、誤表記になるわけだから
回収になるんじゃない?」と、異物混入で回収される食品などを想像しながら言うと、
「お前は芸術家ではないからわからないんだ!!
人に養ってもらってるからわからないんだよ!!」と、なじるのだった。

私は、怒りで自分の毛が逆立つのを感じた。

母は昔から、私が少しの期間でも職に就いてないと許せず、ものすごく怒る。
母の若いころは女性の社会進出が叫ばれた時代だったから、
私にも、「男に負けず働け!」と強要する。
でもね、仕事は好きだけど、人間関係がうまくいかなくて結局いじめで体壊して辞めることになるし、
簡単な仕事でも年齢的に面接が受からないんだよね。
しかも、いまはちょっと病気で無理だし、健康でも現代の職場状況はかなり厳しいものがあるよ。
いままでずっと朝から晩まで趣味をする時間もなく、がむしゃらに働いて来たから、
この無職の期間は神様からのごほうびだと思って、とりあえず5年間は趣味をすることにしたんだ。
(たぶんその間に時代が変わって働きやすくなるかも?)
しばらくは、そっとしておいて欲しいんだけど、母は数か月ごとに騒ぎ出すのだった。
ほとほとうんざりするし、気持ちがかきむしられて、
何にちも何にちも頭の中が怒りの言葉で埋め尽くされてブログ作品が作れない。
紡ぎだす言葉に母の口癖などが侵入して来て、
「ねこつぶ」のセリフさえもトゲまみれになって現れ、完成出来ないこともある。

母は、昔のほのぼのした職場しか経験してないし、健康なうえ、
仕事を趣味としてきたのでわからないのだった。
(最近の高齢者は昔のゆとりある職場をしってるから仕事したがる傾向がある)

また、怒りを倍増させるのは、長年家事手伝いしてた姉には文句を言わないことだ。
姉は、20歳のころに胃潰瘍になりかけたので、かわいそうなのだそうだ。

「お前は芸術家でないから!」
これも昔から母とのケンカのもとなのだった。
母は、絵もなにも芸術のことはまったく興味が無く、仕事だけを生きがいにしてきた人。
でも、私はもの心ついた時から芸術家になるためにずっと頑張ってきたのだ。
それは、父がそう周囲に言っていたからだ。
ずば抜けた才能があったわけではないけど、
「いずれは芸術家になる」と言いふらすので、先生もみんなも期待し、
私は図工や美術を必死で頑張ってきたのだ。
通信簿は常に最高点の5でなくてはいけないし、絵をかけば金賞をとらなければいけない。
高校卒業後は、益子などにいる父の友人のもとで焼き物の修行をする約束になっていた。
だから、アルバイトでその時が来るまで待っていたのだけど、一向に話が来ない。
すべては、父のホラだったのだった。
内にこもって作品を作り続ける芸術家と、率先して仲間と息を合わせながらのサービス業は対照的だ。
職場になじめず辞めるたびに、母は、「働きに行け!働きに行け!」と棒を持って怒りまくる。
今までの人生なんだったのか?
私が「私は、陶芸家になる予定だったんだよ」というと、
母は「芸術家がしたかったの?」とけげん顔。
べつに芸術家になりたかったわけではない。
生まれたときからそういわれて育ってきたから、その仕事に就くと思っていたのだ。
たとえば、星飛雄馬だって高校卒業したとたんにサラリーマンになれ、と言われたら戸惑うと思うよ。
母は、
「お父さんはお前を芸術家にしようなんて思ったことないよ。」
と突き放す。
実際、私は芸術家ではないけど、母よりははるかに芸術のことは分っているつもりだ。

ついでながら、佐村河内守のことに関して思った話もうひとつ。(知らないくせに私しつこい)
「現代のベートーベン」というネーミングからみて、
世間はそのイメージで、集団心理的に盛り上がってたように思えた。
それは、私に1989年に話題になった「一杯のかけそば」をも連想させた。
「一杯のかけそば」は、感動実話をもとにした童話ということで、
テレビなど熱狂的に取り上げられ、映画にもなり、社会現象にもなったのだ。
ストーリーは、
貧しい母と2人の子供の3人が毎年大晦日の夜にかけそばを1杯だけ注文し食べにくる話で、
理由は、亡くなった父が「北海亭」のかけそば大好きだったので、
年に一度の贅沢として食べに来ているということだった。
同情した主人は、ひそかに半量そばを増やしてあげていて、
毎年彼らが来るのを心待ちにしていたがやがて来なくなった。
十数年後、社会人となった子供たちが老いた母を連れて現れ、
3人分注文できるまでに立派になっていた。

一度テレビで作者が、涙ながらに朗読するのを見たことがあるけど、
童話だけあって内容が薄く感じて私は泣けなかった。
当時の「これを聞いて泣かない人はおかしい」といった風潮があったので、
自分が冷めてるのではないか?と心配になったほどだ。
もしかすると、作者が涙ながらに話すので、聞いてる人はもらい泣きしてたのかもしれない。
私は、この「現代のベートーベン」現象に、似たものをかんじた。
「一杯のかけそば」が、「実話でなかった!(うそだった!)」と
大騒ぎになったといったところもそうだ。

ともあれ、この佐村河内守の騒動は、思い入れがないので、どうでもいいことだ。
父のこともどうでもいい。
母は何かにつけ、父の話を持ちだし興奮状態になるけど、もう20年も前のことで
今さらどうすることもできない。
騒いで何が変わるというのだろう?
父は数年前に亡くなってるので、もう昔のことはいいんじゃない?
どうでもいい、どうでもいい。
母のヒステリック、ほんとうんざりだ。

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