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2015年3月 4日 (水)

死ぬも生きるも自分のこころ

中一殺害事件は、はなから気味悪い気がしたので詳しいことは知りたくもなかったが、
テレビなどで喜々として長時間報道してるので、どうしても目にしてしまう。

見たくもないものを見ないようにするには、どうしたらいいのだろう?とも思う。

長時間放送してる割には、内容は薄っぺらく、どう殺されたのかばかり説明している。

私は、被害者、加害者の家庭環境のほうがものすごく気になり重要だと考える。

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私が小学生の頃、親が、とある宗教に入っていたこともあって、
月一回だったか、子どもだけの勉強会(みんなで読教したあと、宗教の説教を聞く)へ行かされていた。

地元の住居の一部屋に、同じ宗教の子供たちが十数人集まるのだが、
私と姉以外は、同じ町とはいえ、学区の違う見たこともない子どもたちばかりだった。

ただ、みんなでおとなしく話を聞いて座っているだけだけど、
どことなく、彼らがみな、品行方正に見え、自分が不良なダメな人間に思えた。

例えて言うなら「買いたてのハンカチと使い古しのハンカチ」「血統書付きの犬と雑種」・・・。

彼らから漂ってくる雰囲気や存在感から、
「父親は規則正しいサラリーマンで、母親は休日になると手作りお菓子を作るような
穏やかな家庭、塾に行ったり、なに不自由のない生活を送っている」というイメージを感じ取った。

それは、ただ単に「都会の人の空気」だったのかもしれない。

私と姉の住んでいるところは、店などほとんどなく、見渡す限りの大自然に囲まれていて、
塾に行ってる子などいないに等しかった。

‘なんて自分は野生児なんだろう?’

自分だって、まじめないい子で育ってきたというのに、彼らの空気に気おされて、みじめに思えた。

萎縮し、肩身が狭く、毎回ながらこの会合は、私と姉にとって居心地が悪かった。

彼らが本当に品行方正かどうかはわからないし、
実際のところ、家庭はすさんでいる場合だってあるかもしれないのに、自分が負けてる気がした。

日頃、勝ち負けなど気にしてないのだけど、敗北感がすごかった。

同じ町に住みながら、商店街側と田園側の差というだけで、この心の苦痛である。

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被害者の13歳の少年は、自然豊かな西ノ島から都会の川崎市に引っ越してきたという。

しかも、多感かつ難しい年頃の小学六年の秋に。

私と同じように「自分が不良に思える。不完全な人間」という気持ちにさいなまれていたとしたら、
同じように欠陥のある不良グループに、仲間感やすらぎを感じてしまっても無理はないように思える。

中学の友達は、13歳の少年を助けようと懇願しにも行ってるほど、いい子たち。

そこがますます、13歳の少年をみじめにさせ、不良仲間に寄っていってしまったのではないか、と。

18歳のリーダ―は、その行為について「チクッたから腹が立った」というが、
「助けようとする仲間や友達がいることに嫉妬」を感じたのではないか?と思う。

13歳の少年は、本来、やればなんでもこなせる子で、友だちも集まるカリスマ性があったようだから、
そういった光が、孤立している18歳のリーダーには、目障りて我慢できなかったのかもしれない。

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「死ぬかもしれない」と13歳の少年は一時は言ったものの、
持続しての危機感はなかったのかもしれない。

人は誰しも「なんとかなるかも」と楽観してしまうところがあるように思える。

危険と知りつつも、かすかな希望や生きる糧を求めて、そこへ向かってしまう人が少なからずいるのだ。

津波が来るだろうと頭では分かっていながら、避難していたのにもかかわらず、
自宅に戻って流されてしまったもの。

今話題になってる、危険なイスラムに向かうイギリス人の少女3人もそうだし、
尼崎事件の仲島茉莉子さんのこともそうだ。

彼女は、いったん逃げ切れたもの「自分である証は大事」と、
連れ戻されると思いつつも免許証書き換えに行き、あっさり捕まり殺されてしまったのだった。

免許証がそんなに命より大事なもの?と私は不思議に思ってしまう。

けれど、人それぞれ、「それがないと、この先生きていけない。命に代えてもそれが必要」と
思うものがあって、
周りが反対したり、止めたとしても、頑として向かってしまうものかもしれない。

13歳の少年にとっては、リーダーの18歳の少年以外の少年たちは、生きるための光だったんだろうな、
と私は感じる。

「微弱のSOSをどうしたらキャッチして助けられるか」が疑問されてるけど、
本人がそこに光を求めて向かいたいと思ってるのに、それを周りが止めることは不可能に近い気がする。

生きるも死ぬも逃げるも、最終的に決めるのは自分なのだ。

しあわせは いつも自分のこころが きめる       相田みつを

追記:

中学でも、高校でも、入学してすぐに、自分より都会の他校出身の人を目の当たりにすると、
カルチャーショックを受け、劣等感にさいなまれたりするものだ。

「自分は流行から遅れてるのではないか、普通(誰もがなぜかおしゃれな人達が基準と思っている)より、
自分は劣っているのではないか?」と。

焦るあまり、道を踏み外したり、周囲に迷惑や心配をかけたり。

本人はただ「普通から逸脱したくない」だけなのだ。

10代には10代の世界や価値観がある。

先日、新聞で見かけたコラムに「クリぼっち」というのがあった。

「クリぼっち」=「クリスマスを一緒に過ごす相手がいないこと」

最近の中学生たちは「クリぼっち」になりたくないと、
男子は花束を持ちひざをついて女子に告白するなど、
ドラマチックな演出で彼女を確保し、恋が冷めても無理してまで、
バレンタインデーにもカップルでいつづけなければいけないという
がんじがらめに陥ってる人が多いそうだ。

大人でさえ、クリスマスに一人の人は多いのに、中学生で何を虚勢はっているのだろうと思う。

そもそも、世界の基準からすれば「クリスマスは家族と過ごし神に感謝する日」である。

話を戻すと、

入学など環境が変わる前に、親や先生があらかじめ、

「自分より都会の他校出身の生徒に焦りを感じることがあっても、
半年、1年もすれば、自身もなじんで、焦っていたものが、たいしたものに思えなくなるので、
心配しないでいい。
劣等感に悩んでいるのは、周りの子たちも同じだよ」

ということを、伝えておくべきだと思う。

10代の価値感は、学校の中でだけで、社会とは違うという事も・・・。

 

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