フォト
2017年4月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30            

カテゴリー

無料ブログはココログ

« カサンドラ・解決できない | トップページ | ねこつぶ(かわいい訪問者) »

2015年6月26日 (金)

親のありがたみ?

「結婚して、親のありがたみがわかったでしょう?」
姑がニコニコと、私にそう言った。
悪気があっての言葉ではない。
彼女の発する言葉はいつも「常套句(じょうとうく・一般的によく聞く文章)」なのだ。
彼女のその言葉には「そうなの、私たち親世代は、すばらしい存在なの。気づいてくれた?」
という意味が含まれてる気がした。
‘この人は、幸せな親子関係を築けたんだな’と私は感じた。
そうでなければ、こんな言葉は出てこない。

もの心ついた時から、両親は殴り合いのケンカしてて、
「いつかとばっちりで、両親から殺されるのではないか?」という不安を抱えてた私の小学生時代。
何かあたっとき、親が守ってくれるという期待は持てなかった。
中学からは、母とはそりが合わず、ことあるごとに母はいつも私に、
「男が欲しいんでしょ?欲求不満なのよ!!」と声を荒げていた。
いま思えばこの言葉はほんとうは、父の女性友だちに言いたかった言葉なのだと思う。
母にとって、ただの、私はうっぷんのはけ口・・・言う相手を間違えてる。

「親の言ってた言葉(忠告など)が、今(だいぶ大人になってから)になってからわかる」とか、
「子どもを持って、ようやくあの時の親の気持ちがわかる」などと聞くが、
たぶん、私は一生思うことはないだろう。
親から教わったものなんて何もない。
ひらがなだって、小学校入る直前に近所の年下の子がひらがなを書けるのを見て、
私はあわてて、自力で覚えたのだ。(幼稚園、保育園など行かせてもらっていない)
両親は「学校がすべて教えてくれる」だとか「世間が教えてくれる」と本気で思っていた。
だから、小学一年の時に時計の見方を知らないと知るや父は、
「となりに行って、教えてもらってこい!!」と私を隣の家に走らせたのだった。
母の口癖は「そんなことも知らないの?学校出てるのに?(笑)」だ。
「それはね、こうすればいいのよ」と指導された記憶がない。
なんたって、教えるのは世間や学校だから・・・。

だからといって両親が放任主義というわけではなかった。
「過干渉」というより、「束縛」「支配」のほうが近いかもしれない。
「◯●しちゃダメだ!」「△△はお前には無理だ」
恐怖心をあおって、私たち子どもの好奇心や行動力を失わせた。
家族で出かけることもなく、学校行事以外には参加させたことがない。
親戚づきあいもない。
家と学校の往復しかしない日々。
近所より外側の世界は、成人するまで知ることはなかった。
でも、私が世間知らずなこともあって、不満も不安ではなかった。
私の将来は、親が決めた陶芸家だから、その道を頑張ればいい。
親の決めた仕事をし、親の決めた相手と結婚する。
頑固な親だから、きっと抵抗は出来ない。
でも、家業を守るためにはそれが一番なのだ。
自己犠牲こそが、家を守ること・・・私は思っていた。

だが、結局のところ、陶芸家の道は用意されてはなかった。父の長年のたわごとだったのだ。
「お前には誰も期待はしてないよ。ふつうに働きに出なさい」と母は言った。
水を全身にかけられたような、大ショックを受けた。
母は、母と同じような人生を娘にも送ってもらいたいと願っていた。それが娘の幸せだと。

働くことは嫌いじゃない。
けど、サービス業は芸術家とは対極的な職業だ。心構えがちがう。
例えて言うなら、自衛隊が保育士なんてなれますか?と。
世間は、長年芸術の没頭してきた職人気質の私を異物として毛嫌いした。
世間で必要な人間は、明るくておしゃべりで、相手に合わせられる調子いいヤンキータイプ。
真面目で口下手な人は目障りで、いじめの対象でしかない。会社の中のほうがいじめがあるのだ。
学校では勉強など頑張らず、友達とふざけ合ってコミュニケーション能力を鍛えておけばよかったと本気で思う。

両親は、子どもは社会に出た途端、何でも出来るようになると思いこんでいる。
(たとえば、結婚したらいきなり料理が作れるようになるとか。)
でも実際は、ほとんどの人は、そこにいたるまでに予習はしているのだ。
両親の働きに行く姿を見て、身支度の手順を学び、
会社での苦労話を聞いては、人間関係のあり方を無意識に学ぶ、と。
日々の生活の親の行動から、いろいろ無意識に学んでいるのだ。
小さな子供時代から、すべての経験が就職など生き方に結びついているのだ。
人生という道は、いつだって地続きなのである。

なのに、親はほとんど家にいなくて、会社の話も聞かされなくて、
私は、社会に出るまで、なにも経験を積んでこなかった。
親の言いなりのままの、命令を待つだけの、ただの生きた人形だった。

そんな人形の私は、いきなり、思いがけず社会に放り出され、イメージの中に荒野を見た----。

私の目をおおっていた誰かの両手が外された途端、目の前に広がっていたのは、
黄土色した荒野だった。
木はほとんどなく、地平線の彼方まで枯れた草がところどころにあるだけ。
思いがけずいきなり、連れてこられたから、
私の格好はというと、Tシャツにミニスカート、足元はつっかけサンダル・・・。
振り向けば、もう誰もいなくて、ただ荒野の真ん中に、ぽつんと私ひとり立っている。
これからどこへ行けばいいのか?どうやって生きて行けばいいのか?まったくわからない。
きっと他のふつうの家族だったら、荒野に行く子どものために、
あらかじめ荒野に合わせた靴や服を準備させたりアドバイスしたり。
自ら行きたいと望んでいた場合は、行く前からすでに情報を仕入れてるだろう。
食べられる草木を学んでおいたり、都会につながる道なんか知っていたら、怖いものなしだ------。

身だしなみのことから、何から何まで、社会に出てからさぐりさぐり自分で見つけるしかなかった。
サラリーマン経験者は、とんちんかんな母だけで、
姉は病気で就職を親から免除されてたから、見て学ぶことも出来なかった。

何でこんなところに自分はいるんだろう?という気持ちでずっと生きてきた。

母は、自分のように平凡に生きてる私を見て満足してるみたいだけど、私の心は不完全燃焼だ。
けど、いまさらどうしようもない。

.

両親が離婚してしばらくした時、父は私に言った。
「お前が誰と結婚しようが何だろうが、オレはかまわない。だから好きに家を出てっていい」
実の父親とは思えない驚くべきセリフ。
父は、娘より愛人をとったのだ。
私が家を出て1年後、腹違いの妹が生まれた・・・・。
..

私が結婚した時、姑が「親のありがたみがわかったでしょう?」とにこやかに言った。
私の心に、七味のようなピリリとしたスパイス的感情が、一瞬、走り抜けた・・・。

« カサンドラ・解決できない | トップページ | ねこつぶ(かわいい訪問者) »

反抗期は終らない」カテゴリの記事