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2015年8月21日 (金)

今年は終戦70年

「戦争」というと、

「たくさんの人の死」 「街の崩壊」 などばかりが、

イメージされるけど、

「その土地の文化が無くなる」

ということでもあるのだ。

「文化」とは、

その土地にもともとあった 「言葉」 「文字」 「ならわし」 「建築」 「信仰」  など。

.

戦争に勝った国は、いつだって、

「自分たちの国の生き方すべてが正しくすばらしい」、と思いこみ、

占領した国の、その土地の風土に合った「慣習」や「宗教」を邪教とととらえて禁止をし、

古くから使われていた言葉や文字さえも廃止して、占領国のことばだけを使うよう強要する。

そういうふうにして、

次世代に伝承することが出来ないままに、

その地の文化はやがて廃れ、忘れ去られていってしまうのだ。

.

第二次世界大戦(1939年~1945年)を扱ったドラマなどで見かける「日本国民の暮らし」は、

「女性はモンペ」というように国民全体が地味な服を着、切り詰めた食生活、

外国語を禁止し、外国人のことを鬼と恐れている姿ががほとんどだ。

だから、現代の多くの人は勘違いして、

「終戦までは、日本人は地味でダサくて、
戦争に負けて、アメリカ軍が占領したことで、おしゃれになった。近代化になった」

と思ってるのではないかと思う。

だが、

「地味でダサくて、外国人をよく知らず嫌ってた」というのは、

終戦までのたった約3年間だけのことなのだ。

それ以前は、おしゃれを楽しみ、洋画や洋曲、外国語を楽しんでいた。

国民たちは外国文化が大好きだった。

外国語教育は実践的で、現代と違って、学べば、外国人と会話できた。

明治時代に入ってきた外国様式は、大正時代には、馴染み、日本独特のおしゃれを開花させた。

それが、ハワイの真珠湾攻撃(1941年12月8日)がおこり、

次の年の1942年から、外国ものすべてが禁止になって、

たった3年間で国民の意識が変わってしまったのだった。

.

戦時中は、

子どもさえも、勉強そっちのけで学校で軍事訓練。

男の子は、時期兵士として育てられる。

中学校も、勉強をせずに、軍事工場で武器製造の手伝い。男子は年齢になると戦地へ送られた。

その結果、この時代に学生だった中には、成人しても読み書きできない人も。

新聞もラジオも、どこかしこも軍国主義、一色。

異論を唱えるもの、つまりは周囲と違う存在は、国賊(国民の敵)とされ、殺してもいいという国民感情。

外国をよく知り、知識や教養もある文化人などが、実状を語ったり、訴えたりしたならば、

密告により、逮捕の上、拷問死。または、死を免れない最前線送りだ。

村八分など、いじめは昔からあったが、仲間意識(違う考えものは敵)という考えは、

これで定着してしまったんだと思う。

被災で逃げ惑い、家を失くし、一家離散、孤児、死別、浮浪など、

日々の食べることさえも、ことかき、風習や家訓など伝承したり、される余裕を失った。

だれもが、自分を守ることで精いっぱい。

自分さえよければ、それでいい。 

他人が苦しんでいようが、かまってるヒマはない・・・。

こうして現代の、他人に関心なく、助けもしなければ、助けを求められないと言った、

孤立社会を作り出したんだと思う。

..

  戦後GHQは、日本語をローマ字化にしようとしたが、日本人の語学力の高さに断念。

  あやうく、日本語の持つ優美さを失うところだった。

  アメリカのあまった小麦を日本に売りさばくために、

  日本人の主食を、米から小麦(パン)に変えるため、給食にパンを出す作戦をとられた。

  戦争に負けた日本は、GHQの管理の下、ほとんど言いなりだった。

  原爆の賠償さえも、いまだにしてもらっていない。

.

戦後日本の近代化への成長ぶりはめざましかったが、環境汚染もすごかった。

工業廃水の川への流出もさることながら、

日本中のあちこちで行われた、川へのゴミ投棄は一体どうしたことだろう?

国民の多くが、こどものころから慣れ親しんだ川へ、一般ごみを捨てまくったのだ。

「お天道様がみてるから、悪いことはしちゃいけないよ」

「次のために、将来のために、全部取らずに、残して置こう」

と言った日本の、周囲や未来への思いやりは、どこへ行ったのか?

.

口うるさい両親なんかいらないといったような「核家族」の流行。

めんどうな子育てはしたくないといったような「2人っ子政策」

「少なく生んで、賢く育てる」といった、プライド意識と子どもを自分の作品と考え操るマインドコントロール教育。

.1970年代に受験戦争時代を迎え、学力主義が当たり前になったが、

いま現代の多くの子どもたちの文字は、成人しても、ガタガタで汚いし、

文章は、会話にもならないほど、伝える力も、聞き取る力もなく、変になってきている。

  大正時代に生きた、川端康成の初恋の相手のPhoto_3
  伊藤初代は、
  たしか小学校を3年生までしか通っていないが、 
  13歳くらいでこの達筆だ。→



  戦前の授業内容は、ちゃんとしてたんだと思う。
  つづり方(文章の作り方)の授業もあったし、
  社会に適応できるようにすることが
  重要視されてたんだと思う。
  

現代では、共働きで両親はほとんど家に
おらず、

兄弟もいなかったりするから、

自宅に、ずっと一人きり。

誰とも話さず、一人で食事。

些細なことにもかかわらず、

なにか失敗すれば、

自分のことしか知らないから、

大事にとらえ、「絶望」なまでに、落ち込む。

世の中、器用な人もいるが、ダメな人だって大勢いることに気が付けない。

そんなことから、犯罪などに手を染めるものも。

.

私は、昔ながらの大家族が、やはり日本人には合ってたと思う。

身近に、年寄りがあることで、老人へのいたわりの仕方を知ることが出来、

小さな弟、妹がいることで、将来の子育ての練習も兼ねていたからだ。

.

私の親や親戚たちは、現在70代。

戦中、幼少だった人たちだ。

運よく、被災などの苦労もしてないし、戦地へ行ったり、戦死したものもいない。

そのせいか、驚いたことに、戦争のことはまったく知らないし、

終わったことなので興味も持たないのだった。

青春時代は、「戦争は終わったんだから、楽しく生きよう」の浮かれた世の中だったので、

その意識がいまだに続いてる感じ。

「うちさえよければ、他の人ことは、どうだっていいの!今を楽しみたいの」

という態度。

なんだか彼らの浮かれた姿勢は、不謹慎にも思え、私は、少々不満を覚える。

親世代も、当時の流行通りに、だれもが核家族で、子どもは2人。

そして、学力主義の時代ということで、子どもの学力だけを自慢しまくり、

がしかし、成人した跡継ぎの子に、家を守るための大事なことを伝承しないのだった。

「子どもは子供の人生があるから」と理解を示してるが、

自分たちも親から教わってないから出来ないのだろう。

わが家で大事なことを、学校では習えないという事を、親世代が分ってないのだった。

親戚の世継ぎの子たちは、未婚もしくは子供なしばかりだ。

だから、いまの時代にそって、いつしか、例外に漏れず

実家は廃屋、先祖代々の墓は撤去になるだろう。

古来から続いた家を守る意識、そのために子をたくさん作るといったものは、

戦争を境に、無くなってしまったのだった。

でも、本人の意思にかかわらず、時代の流れには、どういうわけか逆らえないようだ。

.

話がそれて後半愚痴になってしまったが、

大正時代の華やかな西洋かぶれの日本文化が私は好きなので、

もし、戦争が無かったら、どんなふうに発展しただろうと、残念に思うのだ。

その場合、近代化が多少遅くなったかもしれないが、

もう少し自然と融合した街づくりになってただろうし、

和服もここまで廃れなかったはず。

英語だって、日本人の半数は使えるようになってたんじゃないか?と思うのだ。

.

※ 作者の偏見なので、時代考証が多少、誤解したり間違ってるかもしれません。

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