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2015年10月

2015年10月11日 (日)

弁当屋の猫

9月4日。まだ暑い盛り。

信号で止まるたびに、300円弁当屋の裏口に目をやる。

ここには、常連さんの猫が数匹いるのだ。

今日は、サバトラの猫を発見。

さて、どこにいるでしょう?

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猫は、暑い日差しをさけて、よしずの裏側で、お昼寝しながら、ごはんを待っていた。

2015年10月13日 (火)

ねこつぶ(雨の日くびわと①)

2015年8月16日。この日も雨。

車から降りると、野良猫くびわが出迎えてくれました。

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私の濡れた足先を、くびわは気遣ってくれました。


(つづく)

2015年10月14日 (水)

ねこつぶ(雨の日くびわと②)

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(つづき)

2015年10月15日 (木)

ねこつぶ(雨の日くびわと③)

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(おわり)

2015年10月16日 (金)

ねこつぶ(勘違い)

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2015年10月17日 (土)

白い猫2匹

2015年8月2日。

蒸し暑かったこの日、二匹の猫が、体をくっつけて寝ていた。

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警戒心の強い下の白(メス)が、めずらしくこんなとこで寝てるなんて、
よほどここは風通りがよくて涼しいのかな?

温厚な野良猫くびわ(オス)を楯にして安心してるようだ。

野良猫くびわの友達のシロとちびとは仲が悪いから、
下の白にとっては、ここはふだん落ち着く場所ではなかったりする。

2015年10月18日 (日)

ねこつぶ(前向き)

野良猫シロが、ツツジの陰にいた。

何をしてるのかな?

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なるほど。

2015年10月24日 (土)

ねこつぶ(おかえり☆①)

2015年10月22日

飼い猫アリスを連れて、動物病院から戻ると、野良猫たちが出迎えていました。

1時間ほど前に、エサを上げたり、かまってあげたのですが、どうしたのでしょう?

厚い歓迎を受けました。

車のバックモニターに、真後ろで待ち構えてるくびわの姿が映っていました。

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(つづく)

2015年10月25日 (日)

重度貧血で入院①(瞬く間に)

2015年10月29日(入院当日)

AM7:30 

ツレが夜勤から帰ってきたので、夕食並みの朝食を食卓に並べた。
と同時に、ふと気持ち悪さを感じた。
そして、みるみる極寒の中にいるかのような冷たさが体の芯から全体に広がり、
腕には鳥肌がぶわっと立った。
経験からいってこれは高熱が出る前触れだ。
(インフルエンザだろうか?)
急ぎ風呂を沸かし、温かいお湯に身を浸した。
凍えて死にそうだったのだ。
ゆうべ沸かした残り湯だったので、10分くらいですぐ沸いてくれた。
10分位湯につかっていたものの、なかなか体が温まらない。
ともあれ、長湯するタイプではないので、さっと出ると、
とたんに目の前の洗面台に吐き戻してしまった。
すぐわきのトイレのドアを開ける間もなかった。
吐しゃ物は排水溝を詰まらせるので、吐くならば便器のほうがいいのだ。
(とりあえず横になろう)
よろよろと寝室のベッドにたどりつくと、またしても強烈な吐き気で、
ゴミ箱にリバースしてしまった。
こういう時のために、ゴミ箱は鬼太郎袋を兼ねて、プラスチック容器にしてあるのだ。
今度はさらに、高熱による神経痛なのか腰に激痛が走った。
我慢できないほどの傷み、もだえ苦しむ。
(すぐに収まりますように・・・)
そこへ、朝食を食べ終えたツレが通りかかり、異変を感じて、体温計を持ってきた。
「熱、測ってみろ!」
見れば、熱が39度5分もある。
やはり、高熱が出ていた。
ツレは、「救急車を呼ぶぞ」と私に声をかけた。
私は、苦しさからあまり声を出せず、ただただうなずいた。
尋常ではない傷み、時間が解決してくれる気がしなかった。
ツレは急いで119に電話をかけ、来るまでの間にツレは病院に必要になりそうなものをそろえた。
私は苦しみながらも、外出着として、パジャマの上にガウンを羽織った。 

.

実は私には、自身で「爆弾」とよんでる子宮筋腫があって、いまや20㎝ほどの
巨大サイズになっていた。
それがついに子宮を突き破ってしまったのかもしれないと思った。
筋腫は数年前に不本意ながらも子宮全摘の手術して取る予定だったのだが、
入院当日に37.4度の熱が出て帰されてしまい、そのままになっていた。
私にとって37度を超す熱なんてものは、しょっちゅうで、平熱のほうがまれなのだった。
骨盤内を占めるほどの大きさの筋腫は、常に不安要素で、
いずれは切らなくてはならないだろうと思ってはいたが、いっこうに体調がよくならない。
入院失敗以降、ほぼ毎日体温を測っていたが、37度を超さない週が一度もなかったのだった。
閉経を期待しつつ、様子をみてるうちに、いまにいたってしまったのだった。

.
          
10分ほどで救急隊員が部屋の中へと、やってきた。
そして、さらに10分ほど、彼らは現状を確認するため、私たちから病状や持病などを質問した。
そして救急搬送する必要があるということで、床に広げた我が家のタオルケットに横になるよう言われた。
これを担架代わりにして、救急車まで運ぶのだ。
だが、驚いたことに激痛で身動き一つ出来なかった。
30㎝高さのベッドから、片足すら下すことが出来なかったのだ。
でも、私がそこに乗らない限り運べないようなので、
私は勇気を振り絞って、背中から、そこに落ちたのだった。

.

具合が悪くて、一歩も歩けないなんてことが起こるとは思わなかった。
歩けなくても、這うことは出来るだろうと、ふだん思っていた。

今回、携帯電話は身近に置いてなかった。
一人で家にいたなら、救急車どころか家族にも助けを呼ぶことが出来なかっただろう。
電話が出来たとしても、ドアの鍵まで手を伸ばせない。
誰も、助けに家に入れない。
(救急隊員は、特殊技法でドアを開けられるらしいが)

いつも、絶体絶命の体調になるまでは15分ほどのタイムラグ(時間のずれ)があるので、
今度からは、携帯電話をつかみ、ドア鍵を開けてから、ベッドに横になろうと思った。

.

担架がわりのタオルケットで運ばれながら、そう、反省した。

 (つづく)
  

ねこつぶ(おかえり☆②)

シロとちびも私たちを出迎えてくれました。

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ちび、変な格好、落ちないでよ・・・coldsweats01

(つづく)

2015年10月26日 (月)

重度貧血で入院②(機械的に)

9月29日(入院当日)

救急車に乗せられたものの、なかなか出発しなかった。
受け入れ先の病院を探さなければならないからだ。
救急隊員は、かつて私が入院しかけた個人経営のI病院へ運ぼうと考えてるようなので、
私は「そこは相性悪いので、やめてください」と懇願した。
そこの病院は医師どころか他のスタッフともそりがあわなかったからだ。

救急車は、サイレンを鳴らしながら、くねくね走り、私のメニエール病を刺激しつつ、
I病院とは別の、大病院へ到着した。

病院に到着するとすぐに、激痛に苦しむ中、CTスキャンや心電図、エコーなどの検査が行われた。
まったく歩けないため移動は担架か車いすだった。
う~んう~んうなりながら運ばれる私を、
待合室の患者たちが好奇な目で見てるのがちらりと見える。
もう、死ぬほどの苦しみで、いま自分がどの場所に移動して、
どこに部屋に着いたのか、まったくわからない。
頭に中には、
「くるしい>つらい」
だけの文字が浮かぶ。
苦しくて喘ぎつづけ、口の中はからからに乾き、いつのまにか、唇も乾燥して皮がめくりあがってしまった。
「水ください」
そう言ったが、看護婦からは「点滴してるからのどは乾かないはず」と水をもらうことは出来なかった。
‘死にかけてる人に水をあげると死ぬよ’という戦時中の被災場面が頭をよぎる。
だが、私には自分が死ぬという感じはしなかった。
死の領域までは、あと5歩足りない・・・そう思えた。
(死ぬってなんて大変なんだろう?)
当然ながら、そのまま入院となった。

ベッドに移されたものの、体はまったく楽には、なっていなかった。
抗生剤の点滴をしていても痛み苦しみは治まらず、39度の高熱もそのままで、
うめきながら、身をちぢめて我慢するしかなかった。

そうこうしてるうちに夕食の時間になり、来院後はじめての病院食が出された。
ちらりと目をやると、定食風のメニュー。
食べる気力がなっかったので、ずっと付き添っていたツレにあげた。

何も食べたくない、でも口の中が乾ききっていた。
なんとなくネクターなら飲めそうな気がして、買ってきてとツレに頼んだ。
でも、院内に販売してあったのはイチゴオレとバナナオレとうことで、バナナオレを手に取った。
200gの小さな紙パックジュース。
あんなに飲み物を欲しがっていたのに、力尽きてその晩、半分も飲むことが出来なかった。

9月30日(入院2日目)

夜、夜中も苦しみ悶え、朝になった。
少し動くだけでも激痛で、上半身を起こすのに30秒ほどかかった。
歩くことが出来ないので、トイレに行くときは、車いすにうずくまって乗せてもらい、
看護婦さんに押して運んでもらわないといけなかった。

そんな状態でも、食事は、朝昼夕と定食のようなしっかりとした食事が届いた。
病状を無視したようなメニュー。
まったく食べたい気がおこらない。
手つかずで食事は下げられていく。
(あのまま、破棄されるんだろうな・・・)
食品ロスを気にかけた生活をしてきたが、「残さない」どころか「まったく食べられない」。
きっと、病人の症状に合わせたメニューに変更するには時間がかかるのだろう。

高熱でつらかったので、水のペットボトルを首にあてがって自分で冷やした。

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10月1日(入院3日目)

1怖い夢ばかり・・・。

38度の高熱と体の傷みはまだあったが、一人でトイレに行けるまでにはなった。
だが、食欲はまったくわかず、みかん半分食べるのが精いっぱいだった。
にもかかわらず、この日も、毎度、時間になると定食のような病院食が届いた。
(高熱で食欲が無い場合、とろとろした食事じゃないとダメなんじゃないかな?
消化に悪いものは、体のエネルギーが胃の消化に向いてしまって、
体に治癒が後回しになると聞いたことがあるんだけど・・・?)
病状と食事のメニューのギャップに私は違和感をかんじぜずにはいられないかった。

食事が運ばれてくるたび、 私の頭の中では「バッヘルベルのカノン」のメロディが流れた。
それは、大友克洋のアニメ「工事中止命令」の食事の場面に使われた曲で、
ロボットが時間になると食事を運んでくるのだが、回を増すごとにネジだの針金だのが
混ざって変になっていくことにロボットは気が付かず、機械的に時間になると食事を
運んでくるという場面に使われていた。
「機械的に」というところが、なんだか同じに感じた。

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10月2日(入院4日目) 

朝食は、5口ほど食べることが出来た。
少し食欲が戻ってきた。
だが、まだ、ほとんど食べられない。
なんだろう?白飯の臭いが気持ちが悪い気がする。
妊婦さんがご飯の炊きあがる臭いがダメと言う人がいると聞いたことがあるが、
貧血になると白飯を受け付けなくなるのかもしれない。

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膳を下げに来た看護婦に「ごはんの臭いがちょっとだめみたい」と言ったら、
「白飯(ごはん)以外にも、‘おかゆ’か‘うどん’、‘パン’に変えられますよ」という。
「うどん」にすることにした。

ほんとは「おかゆ」のほうが胃にはいいと思ったのだが、
以前、I病院で入院キャンセルになって帰る時に、食事担当の看護婦が、
「おかゆのことは気にしなくていいですから~!!」と、声をかけられ、
(‘手間暇かけて作ったのに~!!’と言う意味なのだろうか?)と戸惑ったことがあったので、
頼めなかったのだ。
(1日だけのおかゆならレトルトのでいいじゃない・・・?)

昼食は、さっそくながら、主食が「うどん」に変更されて届けられた。
(乾麺かぁ・・・)
冷凍うどんを期待してたので、ちょっとがっかり。
体調のせいか、めんつゆが激塩辛に感じて、味の面でほとんど食べられなかった。
しかたなく、次回から「パン」に変更してもらうことにした。

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夕食、この回から、主食が「パン(=食パン8枚切り1枚)となった。
久々に食べた酢の物のうまさに感激。おでんは半分まで食べることが出来た。
3、4日ぶりに食事がとれるようになったのだった。

だが、子宮がかなり腫れてるため胃がふくらまず、少し食べただけでお腹周りが張って苦しくなってしまった。

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10月5日(入院7日目)

AM11:00

栄養士さんが1週間の食事表を持ってきてAかBのメニューを選ぶよう言ってきた。
私は掲示板で、「病院食は、一食460円だが保険で260円になり、Bは20円増し」というのを
見かけてたので、Aにした。
AもBもさして、おかずに違いはない。
「主食はごはんでも大丈夫です」と言ったが、退院するまで食パンのままだった。

Photo_3葉っぱと卵とパン(8枚切り)・・・かなり粗食


Photo_4味噌汁は付いてたり付いてなかったり・・・。
                            

(つづく)

ねこつぶ(おかえり☆③)

嬉しそうに転がるちびを見て、くびわも嬉しそうに笑いました。

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(おわり)

2015年10月27日 (火)

重度貧血で入院③(ぐだぐだ)

10月2日(入院4日目) 

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血液検査の結果、血中の鉄のヘモグロビンが通常の半分の6しかないということで、
重度の貧血症状を改善する治療をすることになった。

まずは、血中のヘモグロビンを増やすため、鉄剤点滴、注入。赤黒く血の色のよう・・・。

どうやら、私の苦しみの原因は、
貧血によって免疫が下がり、体に入った病原菌が体の一番弱いところ、
つまりは私の場合、子宮に菌が向かってしまい炎症を起こしたということらしい。
での、高熱と腰痛・・・。
40度の熱というのは、成人にしてから、4年に一度の間隔でなっていたが、
やはり持病があると大事になってしまうらしい。
炎症だけでこれほどの激痛ということは、「亀裂」「破裂」だったなら、どれほどの苦しみに
なるのだろう・・・?
いや、たしか、医者は「壊死になりかけてる」と言ってたように、定かではないが記憶している。
壊死であれは、激痛はもっともか・・・。

それにしても、数年前に錠剤で、ヘモグロビンを8から12の正常値までに戻したはずだが、
たった2年位で、半分の数値まで下がってしまったのかと驚く。
なにか対処しなければ、また2年くらいで倒れてしまいそうだ。

午前中、抗生剤の点滴と共に、鉄剤の点滴を3つやった。
だが、まったく、効果なかったということで、午後に輸血をすることになってしまった。
人生初の輸血。
B型だのC型だのの肝炎、もしくはエイズ過去の輸血問題が頭をよぎる。
(大丈夫、多くの人が輸血してるんだもの。もしそうなったとしてもしかたないか・・・。
この先どう私は生きるのだろう?)
不安でドキドキした。
輸血の書類にサインをする。

「重度貧血   輸血 (赤血球濃厚液  濃厚血小板)
          アルブミン製剤 グロブリン製剤   」

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輸血は自分の血ではないため、拒否反応が起こる場合があるといい、
息苦しくはないか、動悸はしないか、など、細心の注意を払いながら行われた。

ちょっとハラハラしたが、体に変化はなかったので、大丈夫だったようだ。

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10月3日(入院5日目) 

今日は、午前中から輸血を2つするという。
昨日から刺さりっぱなしの右腕の針に輸血を通したら、途端に針周辺に激痛が走った。
手首までしびれている。
針が血管からずれてしまったことによる、漏れが生じたようだ。
あわてて看護婦はそれを抜き、あらたに左腕に点滴の針を刺したが血管が見つからない。
(私、血管が見つけにくいんです。)と言いたかったが、テレビでプレッシャーになるので
言わない方がいいと言っていたので、黙って見てた。
言ったところで良くなるわけでもないし・・・。
もう一人の看護婦がチャレンジしたが、やはりダメだった。
両腕のいたるところが採血やら点滴やらで使ってしまってるから、いい場所を見つけるのが難しいのだろう。
医者が来て、さっと成功させていった。
漏れた腕は、3日間、触ると痛かった。

輸血の間、二人の看護婦はそろって私の独特のある名前の由来に興味をもって質問してきた。
小学生以来だな、聞かれるのは・・・。さぞかしこの二人は知的なのだろう。
私の話を聞いて、なるほどと、私の枕元にある本にまで興味をしめした。

と、気のせいかな、息苦しさを感じた。(・・・気のせいかな・・・?)
このあと、体が反発してるのか体温が再び38度4分まで上昇したが、なんとか乗り切ったようだ。

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昼ごろ、高熱でもうろうとしてる中、同室にいた人が退院際、私のベッドのカーテンをのぞき、
あいさつしていった。
「今日退院なんです。(あなたが)とても苦しそうにしてたから・・・」と彼女は言った。
たぶんどんな人か興味があって顔を見たかっただけだろう。
ともかく、返事をしなきゃと思ったが、こういう時どういったらいいのか・・・?
「お大事に」と、ありきたりのセリフをなんとか言ったら、
「いやいやいや」と彼女は手を振り、(私は治ったので帰るのよ)という半笑いをした。
(ごきげんよう、ではないし、またね、でもないし・・・)
モヤモヤしながら私は再び眠りに落ちって行った。

夕方、まだ38度の熱があって辛かったので、看護婦に声をかけたら、枕を出してもらえた。
氷嚢のほうがよかったが、それはないという。

夜7時ごろ、熱などもあってフラフラしながらトイレに行ったら、突如ドアを開けられ、逆切れされてしまった。
「鍵閉めてね~のかよ!!」と金髪のような茶髪の20歳くらいの女子から罵声を浴びへこむ。
しばらく前後不覚な状態で、点滴台を個室にうまく入れることが出来ず、
ながらく半ドアで入っていた癖がついてて、鍵を閉め忘れてしまったのだ。
点滴台は、18時過ぎてるので持ってなかった・・・。
30歳以降だったら「あらあら、ごめんなさい」とやんわり言われるだけで済んだだろうに、
若者は言い方がキツイな。
その女子は超ミニのショートパンツをはき、ギラギラしたデザインのファッションをしていた。
見舞い客かと思ったら、次の日髪を洗面所で洗ってるのを見かけ、
どうやら彼女も入院患者だったようだ。あの服で寝起きしてるのだろうか?
そのときも。超ミニパンツにラメ入り服を着ていた。

夜11時、息苦しさを感じて、寝ていられなくなった。

なんだろう?ベッドに横になると息が苦しい。
寝返って横向きになると咳が出て止まらなくなり、もっと苦しくなる。
1時間ウトウトしては、息苦しさで目が覚めるの繰り返し。
トイレに行ってみたり、自販機まで散歩してみたり、はやく朝が来ないかな?
昨日、同室に入院してきた70代らしき老女も眠れないようで、真夜中何度もすれ違った。
ベッドの上で座ったまま、目を閉じ時間が過ぎるのを待った。

10月4日(入院6日目)

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AM6時10分

検温の看護婦が来て、「朝の4時にドライヤーを使ったら院内に響いてビックリするので、
やめてくださいね。6時まで待ってから頭洗ってね」と注意されてしまった。
真夜中眠れず、することないし、1週間洗ってなくてべとついてるので、髪を洗ってしまったのだ。
院内は、始終産気づいた人がうなったりしてて完全に静かなわけでもないから、
一般的に老人が起きだす4時まで待っったものの、
ドライヤーは音がデカいので迷惑だったらしい。

どうして私って、いつも人生転ばないと前に進めないのだろう・・・?いい年なのに・・・。

「息苦しくて眠れなかったの」
と言い訳したら、看護婦は私の人差し指に機械を挟みこんだ。
血中酸素測定器というものらしい。
看護婦は「これじゃ苦しいわね」といい、こんどは胸のわきに聴診器をあて
「動いてない」とつぶやいた。
(なにが動いてないのだろう?)
1時間後に急きょ、レントゲンを撮ることになった。
レントゲン技師と医者は別なので、撮影後、なんの説明もなく、私は分けも分らぬまま
いつものようにベッドに戻った。
でも、横になると息が出来ないので、ベッドの背もたれを斜めにしてもらい眠ることに。
角度45度くらい。
後で知ったことだが、胸水という肺に水がたまったことにより、横になると息が出来なくなったということだった。

この日から、外国映画で見るような全身上げたままの状態で寝なければならなくなった。

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(つづく)

ねこつぶ(◯◯の落し物?①)

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(つづく)

2015年10月28日 (水)

重度貧血で入院④(友達作り)

入院が思った以上に長引いていた。
私には、ほかに心配事が2つあって、その一つは、引き落とし専用の預金に残高はまだあるかだった。
ツレには「多めに入れてるから大丈夫」とは言ったものの確認しないことには安心できない。
万が一、残高が足りなくて引き落とせなかった場合、振り込み明細が届くらしいが、
そのあとは?引き落とし手続きをまた初めからやらなくてはいけないのだろうか?
ツレの名前でやってるから、ツレを巻き込んであれこれやらなくてはならない。
ツレのカミナリ落ちるぞ~・・・。
ツレは、金遣いにルーズなので、任せられなかった。

もう一つは、猫のアリスが寿命が来て入院中に死んでしまうのではないかという事だった。
アリスは私の猫で、いわゆる私がママなのだった。
子どもが祖父母に育てられようとも、ママの愛を求めてしまうように、
ママの変わりは他の人には出来ない。
死に際に間に合えばいいというものでもない。
‘ママ、いままでどこに行ってたの?さみしかった・・・’
そんな感じで旅立たれても・・・、と思う。
アリスは、1日おきに動物病院で点滴を受けないければ命が持たない状態で、
入院中は、母が代わりにやってくれているが、タクシーで通ってるため、
毎回、出て行く金額が大きかった。
ふだんなら、点滴代の1680円で済むはずが、これに加えタクシー代が3600円かかってしまうのである。
母は、私の代わりに支払ってるだけなので、退院したときどのくらいの金額を
支払わなければいけないのだろうと思うと、怖い。

10月5日(入院7日目)

AM8:15

医者が来て、息苦しさの原因、肺の水の説明をされた。
「両脇に水が溜まってるので、息苦しくなっている。
入院したときにはなかったものだから、輸血のものか、点滴が原因だとしたらすぐ抜けるだろう」
と医者は言う。
私は「今日、MRIの検査なんですよね?」と聞いた。
検査結果が良ければ、あさってにも退院できるのでは?と私は期待をしていた。
痛みもだいぶ和らいだので、通院でなんとかならないかと思ったのだ。
だが、医者は、
「検査?今日はないよ。誰が言ったの?
 MRI?急に予定は入れられないよ。
やるとしたら2週間後だね」
というのだった。
(場合によっては2週間後が退院になるの・・・?)
「退院の予定は?」と恐る恐る聞くと、
「ないよ。それほど重症だったってことだよ」
と医者は言うのだった。

私は、がっかりし、あせった。
(はやく治さなきゃ・・・でも、どうしたら早く治るのだろう・・・?
やっぱり安静だよね・・・。ベッドでおとなしく横になってなきゃ)

.

昼ごろ、トイレから病室に戻ると、今日入ったアラサーと思われる新しい入室者が窓際で、
2人ひそひそと立ち話をしていた。
私の悪口を言ってるわけではないのは明白だが、初対面同士でいったいそんなに何を
話すことがあるのだろう?
「女の立ち話」という行為があまり好きでない無口な私は、ちょっと不愉快だった。
(元気なんだったら、談話室でおしゃべりして!)
聞きたくもないのだが、どうしても言葉を拾おうと聞き耳を立ててしまう私がいて、
なんだか神経が疲れる。
自分が談話室に移動して、本を読もうとしたところ、看護婦さんが私を探してやってきた。
(検温の時間だったか・・・)
ちょっと「おしゃべりがうるさくて・・・」と愚痴ったら、
しばらくして、その看護婦さんが2人を注意してくれた。
ややあってみると、2人はベッドに引きこもってしまっていた。

.

2時間ぐらいたったころ、その2人のうちの一人のAさんのところに見舞いの家族がやってきた。
小さな子供が2人、母親に対して「ママ!さみしかった?」と大きな声で話しかけている。
Aさんはあわてたように、
「静かにして。うるさいって、怒られるから」
言ってる声が聞こえてきた。
結局、子どもたちはすぐに談話室の方へ祖父母に連れられて出て行った。

.

じつのところ、病院はそんなに静かではない。とくに私の入院してる産婦人科では。
真夜中でも産気づいた妊婦のうめき声は始終響いてるし、
何があったのか、検査キッドを乗せた台車がガタガタと走り抜ける大きな音もよく聞こえる。
ベッドでの携帯での会話は、やはり少し大声になってしまうし、私の咳き込みも長く激しい。
同室の70代の老女は、ほぼ24時間、吐き続けてて、食事時には聞いてるこっちが気分が悪くなりそう。
(いつもゲロ音が終わるのを待ってから、私は食事を始めてたが)
それぞれの見舞い客が勢ぞろいした時には、ものすごい騒々しさになった。

(言いすぎたのか?私の自分勝手だった? これじゃ私まるで、部屋の主ね・・・)

前にテレビで聞いた、爆笑問題の社長、太田光代の入院話を思い出していた。

    彼女は先天性股間関節脱臼で1歳半から4歳まで小児科病棟に入院していて、
    足の固定のため立ちっぱなしだったため、病棟の子どもたちからいじめを受けていた。
    だが、いじめをしてた元気そうな子供たちは、小児ガンなど余命のない子たちで、
    彼女よりも早く、次々に死んでいったのだった。

.

‘ごめんなさい’って言いたかったが、それも変な気がして、もやもやと過ごした。

Aさんは基本おしゃべりな人で、旦那がよく見舞いに来たのだが、そのたび、ずっと話していた。
旦那さんはというと、それに合わせて「うん、うん。うん。」とこまめにうなずいている。
話好きな妻に、聞き上手な夫・・・。
私の経験から言って、良くしゃべる人って、職場では上のポジションについてたりしているものだ。
看護婦さんがやってきて、Aさんは、
「今 、主人に、全身にローションを塗ってもらってたんです♡」
とほがらかに答えていた。
(全身にローション??旦那さんは、エステシャン?)
私がそんなこと発言したら、エロいふうに誤解されそうだ。
人を疑わず、さぞかしバラ色の人生を歩んできたんだろうなどと思ってしまう。
本人からしてみたら、「いろいろ苦労してきたよ」と言うだろうが、
人間不信になってない時点で、幸せに生きてこられたと、私は思うのだった。

彼女は自分の前のベッドと隣のベッドの患者とも仲良くなって交流していた。
まるで、昔からの友達だったかのように話す。
Cさんが「年が近いから、意気投合して♡」とAさんの話を看護婦に話してるのが
私のベッドまで聞こえてきた。

あるときたまたま、彼女がベッドの背もたれの向きを自分で変えてるのを見かけた。
ベッドの足元にクランクみたいなものがあり、それを回すと角度が変わるらしい。
私は自分のベッドを見て見たが、ぱっと見、やり方が全く分からなかった。
(Aさんは、入院の常連さん?)
ある時は、婦長さんがわざわざベッドまで訪ねに来てて、
(Aさんはすごい人なの?またはもと看護婦?)と、
私は驚いたのだった。
誰とでもすぐに友達になれるから、慕われるんだろうなぁ・・・。

.

3日後、Aさんは、他の患者と同様に、あいさつもなくひっそりと退院していった。
Bさんも、Cさんも退院して、新たにDさんが同室に入院してきた。
ベッドごとにきっちりカーテンで仕切られてるから、どんな人が入院してきたのかわからない。
深夜11時。室内には、私と、70代の老女とDさん・・・のはずだが、Dさんはいるのか?
寝息も聞こえず、夜の静寂が広がる。
室温は24度に固定されてるけど、なんだか、こころが寒い。
関わりはなかったもの、Aさんの華やかさな空気感に、いつのまにか感化されてたようだ。
Aさんが、懐かしくかんじる。顔もよく知らないのだけど・・・。
とそこへ、看護婦がガラガラと検査キッドの台車の音をたてて部屋に入ってきて、
Dさんのベッドに向かい、ひそひそ声掛けしたり、カタカタと作業してる音が聞こえてきた。
(Dさんはいたんだ・・・)
Dさんは私と同じ日の10日に退院するまで、まるでいないかのように、ひっそりと過ごした。

Aさんたちと態度があまりにも違うため、さぞかし年配の人かと思っていたが、
意外やアラサーな人だった。

これが、ふつうの入院の態度なのだろうけど、Aさんの後だったので、‘そっけないなぁ’という
印象を持ってしまった。
(そうか自分って、はたから見るとこうなのか・・・)

世の中には、ツレションみたいに友達作って密着したがる人がいるけど、
今頃になってその必要な意味が分かったきがした。

ねこつぶ(◯◯の落し物②)

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(おわり)

2015年10月29日 (木)

重度貧血で入院⑤(ヒマなし)

入院中は暇そうにおとなしく一日中寝ているのかと思いきや、
意外とやることが多く、忙しい。

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10月5日(月曜日)(入院7日目)の一日の様子。

AM6:00 起床

AM6:15 検温 (体温計、血圧計、聴診器、血圧酸素測定器)

AM6:30 採血

AM8:00 朝食

AM8:15 担当医者が来て、現状の私の病状を教えに来る。

AM8:30 朝食の時飲んだ錠剤の空ケースを回収に来る。

AM9:10 体を拭くためのタオルを渡される。
       (濡れタオルだけど、パサパサな感じで、キレイになった感じはしない)

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AM9:15 点滴開始。(一度に2本)(ヴィーンD、セフトリアキソン、フルマリン、ソリューケン、ポタコールなど)

AM9:30 タオル5個、バスタオル1個を渡され、棚にしまう。
      (タオルは月、水、金に、パジャマ3つは水に渡される)

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AM9:50 室内清掃が入り、掃除婦が床を拭きとゴミ箱のゴミを空にしていく。

AM10:00 薬剤師が来て、点滴と飲み薬の確認と説明。

AM10:50 点滴を付け替えにくる(3本目と鉄剤)。点滴液に書かれた私の名を毎回確認させられる。

AM11:00 栄養士(?)が来て、食事のメニューをAかBかを選ばされる。
       さほどの違いはないが、Bは20円増し。

PM12:30 昼食 (母から電話が来る)

PM13:00 昼食に乗んだ薬の空きケースを回収に来る。Photo_7

PM14:15 月曜日はシーツの交換。
       ベッドから離れ、教師に怒られた生徒のごとく廊下で待つ。

PM14:30 新たな錠剤を手渡される。

PM16:00 点滴付け替える(4本目) (点滴にある自分の名前を確認させられる)

PM16:45 点滴付け替える(5本目) (点滴にある自分の名前を確認させられる)

PM17:10 医者と薬剤師が来る。「今の状態では、退院は無理だ」ときっぱり告げられる。

PM17:45 今日の点滴は終了。
       点滴用の針は腕に刺さったままで、針周辺の血が固まらない液を注入後、
       チューブなど丸めて腕にまとめる。3日くらいが使用限度だとか。 

Photo_10      

PM18:30 夕食

PM19:00 ツレが見舞いに来る。

PM19:10 夕食に飲んだ薬の空きケースの回収にくる。

PM20:00 転倒防止キャンぺーンの紙にサインをさせられる。「頭から転ばない、転ばせない」
       (貧血やめまいが起きても、頭から倒れたことはないんだけどなぁ・・・。)

PM20:30 検温 (体温計、血圧、血中酸素測定器、聴診器)

PM21:10 ココログに入院してる旨をつぶやきで送る。
       ipadもどきのパソコン操作に手間どり、2行の文に20分かかり、げんなりする。

PM21:30 就寝

.

髪を洗える時間を考えてみたけど、昼間は点滴をしてるし、9時から9時半かな?
この時間ドライヤー使ったら怒られそうだ。

.

このほかに、トイレのたびに、尿の計量がある。
点滴をしてどのくらいの水分が体から出たかを調べるためらしいが、
ジュースを飲めばダイレクトに数字に表れるので、正確性はあまり感じない。

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(つづく)

ねこつぶ(ほら、遊ぶよ①)

2015年8月9日。

猛暑の夏の日の夕方。

野良猫くびわに、野良猫リキが、ちょっかい出していました。

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(つづく)

2015年10月30日 (金)

重度貧血で入院⑥(病は気から)

毎晩、ツレは夜7時台に見舞いに来た。

心配してるのだろうけど、話すことがほとんどないので、用件だけ伝えると、
あとはだいたい沈黙になってしまう。

ツレとは、少し前から仲が悪くなっていた。

ツレは、ストレスに弱いようで、部署替えになるたび言葉が暴力的になるのだった。

理由をわかっていても、嫌味な言い方されたりしたら、心は凍りつき、すさむ。

一言、二言で暴言を吐かれてしまうので、無口な私だけど、しゃべらず、うなずくだけにしようと決めたのだった。

そうなると、もう人生がつまらなくかんじてきて、笑う事すらできない。

(このままだと、きっと私、病気になる・・・)

そう思ったが、しゃべってはいけない魔法がかかってしまって、
自分ではどうすることも出来なかった。

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ツレはふだん、8時ごろ帰宅していたが、見舞いはなぜか7時頃に来ていた。

どういうことだろうと、「早いね、早退してきたの?」と聞いたら、
「お前は気の利かない女だからな。」とツレは言った。

なんとキツイ言い方だろう。病人に対して・・・。

でも、本人はそれにまったく気づいていない。

ツレが「早退じゃなくて、時間を交代してきたんだよ」というので、
「それを言うなら、‘部外者は分からないよな’じゃない?」と私は訂正した。

そして、

「まったく、‘自分のことわかってちゃん’なんだから」と私は、おそるおそる付け足した。

ツレは、ようやく自分の言葉のきつさに気づいたようで、

「もう少し、やさしくなります」

というメールが、しばらくして届いた。

.

ここ1ヶ月、嫌な出来事が続いた。精神的苦痛は、いつも体に異常をきたしてしまう。

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母の「働けコール」。

ある日、テーブルの上に蛭子能収の「とりあえず稼がなきゃ」の新聞の切り抜きが
これ見よがしに置かれてあった。

見た瞬間に、怒りで体全身に電気が走る。

母は、私を、「自分のような生涯働き婦人」にしたいと昔から思っていて、無言の圧力を時々してくるのだった。

人生ほとんど無職の姉には言わず、私にだけ指図してくるのがものすごく腹が立つのだ。

私は、社会不適合者で、外で働くのは向かない。

働くのは嫌いじゃないが、今の時代の職場状況は、私の精神と体調ではやっていけない。

だが母は、昔のご機嫌な職場しか知らないから、「働きに出なさい」というのだった。

せめて子宮筋腫がなければ働きに行けるのに・・・と思うが、エロい発想の母に、
病気のことはあまりくわしく説明できない。

怒りの電気が走ると、体のどこかしらがショートするので、そっとしてほしいのだが、
母にはわからないのだった。

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「ストレスと緊張」

母が舟木一夫のコンサートをバイクで見に行くといい、叔母も一緒に行きたがってるが
足が無いので、あきらめるしかない、と母は私に言った。

じつのところ車で送ってあげてもいいが、叔母の家の場所は複雑で、たどりつく自信がなかった。
また5年ほど前に、ツレの親戚の送迎をして、ストレスから、めまいを悪化させて、
いまだに治っていないという過去があったので、
また何かしらの大病を引き起こすことがあるのではないかと、不安だったのだ。

だが、母姉妹はもう70代の高齢なので、出来る限りは楽しませてあげたいとも思う。

勇気をふりしぼって、コンサート会場までの送迎をやることにした。

すると母は嬉しそうに、「行けるわよ!娘の気が変わらないうちに!!」と叔母に電話をしていた。

母には、私がいじわるしてじらしていたようにしか見えなかったようだ。

当日、あまりの緊張で、自宅から出る1時間前に、私は動悸で倒れてしまった。

パニック障害が再発しそうだったが、そこまでは至らず、腰が抜けそうな思いで身を起こした。

昔ムーミンにあった話で、雪の精が、みんなにうながされて、一緒にたき火を飛び越えたら、
溶けて消えてしまった、というのがあった。

みんなにはたいしたことない行動でも、自分には命がけ、という場合があるのだ。

私はなんとか、無事、母たちを車で送迎することが出来た。

事故運も持ってるから、、ほんとに怖かった。

しかし、そんな状況を知らない母は、行きがけ、
私が働きに出ないことについて‘憎しみ’のように伯母に愚痴っていた。
この人はなぜ、こうしてまで私を恨んでいるのかわからない。

母からお金の支援をされた覚えもないのに・・・。

.

「突然のハプニング」

いつものスーパーに車を停めたところ、バッグの中で、車のキーがガチャと鳴った。

「ん?」と思いつつ、今しがた締まってしまったドアのロックを手で開けたら、
「ブー、ブー、ブー」と大きな警告音が鳴り響き、止まらなくなった。

エンジンをかけなおしても、ドアのロックを開閉しても、止まらない。

止まったかと思っても、すぐ鳴り響く。

あわててないふりをして、思いつく限り操作をしてみたがダメだった。

するとさっきから遠巻きに見てたが赤ちゃんを背負った60代の老女が、近づいて来て、
「1度、鍵穴に鍵を差し込まないとダメ。そして車によっては、その後にエンジンをかけないと
とまらないよ」と言ってきた。

その通りしたら、ぴたっと音がやんだ。

「びっくりしちゃうわよね~。夜中でなくてよかったわね」とその方は言った。

私は恥ずかしいので冷静を装ってたのだが、もともと顔に感情が出るたちだから、バレバレだっただろう。

足が震える思いだった。

.

このほかココログで、散歩に出したアバターが戻らなくなって、テンパったり、
精神をすり減らす出来事が続いた。

占い好きの姉が、「今年は最高の年だから、何か始めるといいよ」と言っていたが、
これのどこが最高の年なんだか・・・。

夏場で、鉄吸収に悪いアイスコーヒーを飲みすぎたのも、良くなかったのだろうと思う

(つづく)。

ねこつぶ(ほら、遊ぶよ②)

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(おわり)

2015年10月31日 (土)

重度貧血で入院⑦(病人でなし)

10月6日(入院8日目) 

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  肺に水が溜まっていて、横になると息が苦しく、たんのからむ咳が止まらなかった。
  点滴は、いつものように朝8時から夕方6時まで抗生剤漬け。
  輸血だけでは鉄分が足りないのか、鉄剤の点滴もした。
  体の傷みは、ほとんどない。

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10月7日 (入院9日目) 

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AM7:00 採血

AM9:30 レントゲン

AM10:00 診察

        肺のレントゲン写真を見せられ、肺の下側8センチほどが水で真っ白になってるのを
        見せられる。
        肺の水は、呼吸だけでも溜まることはあるが、入院時にはなかったものなので、
        点滴によるものだろう
という。
        毎日4本ほどしてた点滴は、今日で終了とのことだった。

AM11:00 医者が唐突にやってきて「明日、MRIすることになったから」と告げ去る。
        2日前には「MRIは、2週間先にならないと出来ないよ」と言っていたのだが・・・?

PM15:40 看護婦がMRIの説明をしに来た。
        
        だが、たかだか37度の微熱だったが、ちょっとぐったりしてて身を起こさないでいたら、
        ちょっとむっとした表情をされたので、あわてて起き上がった。
        (もう、私は病人ではないんだ)という思いがした。
        いままで、看護師さんたちは親身になって優しく接してくれてたが、
        相手も忙しいことだし、もう甘えてはいけないのだ。
        (これからは空気を読んでキビキビ対応しないと・・・
        ・・・でもそういうの苦手なんだよな。)
        いろんな意味で、早く帰りたい・・・。
    

PM20:50 医者と薬剤師が来て、「金曜日の検査次第では外来でいいだろう」と告げ去る。

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10月8日(入院10日目) 

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AM8:00 MRIがあるので朝食は無し。
       でも、お腹すいていないので苦ではなかった。

AM10:50 MRIをするため、なぜか車いすに乗せられる。
        歩けるほど元気なのだが・・・楽しい♡
         MRIの最中のBGMは大好きなジブリ映画曲集で、
         気が紛れ、パニックにならずに済んだ。

PM14:00 入院して初めてシャワーを浴びる。(前日に許可が下りたのだ)

         シャワー室は、脱衣所ふくめ一畳ほどで、部屋のすぐわきにあるトイレの
         裏側にあった。
         
         『シャワー室の紙に部屋番号と名前を書き、次の人が待っていたら、
          終わった時、部屋まで行って空いたことを伝えに行く』
         という事だったが、すいてる時間だったので、やらずにすんだ。

         KY(空気読めない)なので、最初、間違って大浴場まで足を運んでしまった。
         閉鎖してるわ、誰もいないわ、遠いわで・・・。
         それにしても、こんな立派そうな風呂、どの病人がここを使えるのだろう? 

.

10月9日(入院日11日目) 

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       点滴がなくなったのですることがなくなり、看護婦もだれもほとんど来なくなった。
       ちょっと、世の中から忘れられた人になった感覚。
       ‘わたしはここにいていいのか?’という、罪悪感から、気持ちが落ち着かない。

PM13:30 9月分の入院費請求書がベッドに届けられる。
         29日と30日の入院で、3万2018円

         (月はまたぎたくなかったんだけどなぁ・・・。緊急入院じゃしかたないよな・・・。)

PM14:45
   ~14:45 普段と違がって昼間にツレが見舞いに来た。

PM14:40 と、そこへ、いつもながら唐突に医者がやって来て、
         「明日、退院でいいだろう!」
と言った。
        突然の言葉にツレと顔を見合わせ、喜ぶ。

        先日の先生の話では、退院は連休明けと聞かされていたので、驚き。

        私の病状は、
        ‘MRIでは、筋腫は普通の筋腫のようだし、
        子宮の炎症は横ばい。
        肺も水がたまったままだが、そのうち抜けるだろう’

        とのことだった。

        要は治療しても病状に変化がなくなってしまったので、
        治ってないが、自宅療養ということになったのだ。

        おかげでラッキーなことに、次の日はツレが休日なので迎えに来れることになった。
        前から「退院時に誰に迎えに来させるか」というのが私たちの一つの問題だったが、
        ツレが休みを取れない場合、ツレの両親か私の母に頼むしかなかったので助かった。
        (一人で帰れるとは思うのだけど・・・・)
        母は、誰構わずかん高い声でおしゃべりをしまくる人で、騒動が見えてるから
        来てほしくなかったのっだ。義父母はやはり気を遣うし・・・。

        というわけで、退院時に着る洋服をメモに書き、明日持ってきてもらうよう頼んだ。
       .

10月10日(入院12日目・退院)

朝8時は看護婦の交代の時間で、その時間は避けてほしいとのことだったので、
9時半に帰ることにした。

AM8時に最後の病院食を食べ、9時10分に最後の検温。
興奮で高熱が出やしないかとひやひやした。ここで逆戻りはしたくない。

未使用のタオルとパジャマはランドリーに返した。

ナースステーションにあいさつに行き、認識番号と名前が入ったハンドバンドを切ってもらい、終了
・・・だったが、もう一度、ベッド周りの確認をしに戻った。

すると、さっきまで眠っていた同室の70代の老女が目を覚まして身を起こしているのが目に入った。

彼女とは、会話はなかったが、ほとんどの期間一緒に過ごしてたので戦友な気分になっていた。

「入院中、おさわがせしました」

そう私が言うと、その方もさみしそうな顔をして、

「こちらもうるさかったでしょ、ごめんなさいね」と言った。

私は、念願通り別れのあいさつ出来たので、ほっとして、病室を去った。

それにしても、私と違って彼女は日増しに悪化してたから、この先どうなるのだろう・・・?

土曜日だったので、裏口の小さな窓口で10月分の入院費を支払った。

10日分の、12万68866円。
 (3日後、高額医療請求の書類が届き3万55770円払い戻された)

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帰宅後すぐ、その足で実家に行くと、野良猫のシロとちびが、出迎えてくれた。
11日ぶりだというのに、私のことを忘れていなかった。
驚いたことに、ちびは、わざわざ上から降りて来てくれたのだ。
とすると、やはりあの夢は、ちびの念だったのかも・・・?

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アリスも元気でいてくれた。マリアも元気。

猫たちの世話は、日頃私がやってた分も母がひとりでやっていたのだが、
やはり大変で手が回らなかったのだろう、マリアの飲み水用器がカラカラに空になっていた。
入院中の11日間一度も水をあげなかったにちがいない。
エサはあげてたものの、水のことは忘れてしまってたようだ。
だが、猫は、けったいな場所の水を飲む生き物なので、
マリアは、仏壇の水を飲んだり、アリスのエサをふやかす水を飲んだりして、やりすごしていたようだ。
檻で飼われてなくて、よかったと思った。
アリスは点滴してるので水は飲まない。

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10月27日、退院後2回目の外来検診。

 貧血はしてないし、子宮の炎症はおさまってるという。肺の水はもうない。

入院前の症状に戻った、といいたいところだけど、退院後の生理状態が以前よりもひどくて、
子宮の状態が悪化してるのが自覚できる。

先生は、「手術での全摘も視野に入れるように」と言っていたが、
できるならやりたくないものだ。

閉経すれば子宮筋腫との戦いは終わるので、どうにか逃げ切りたい。
(閉経すると筋腫の成長は止まり、多少ばかり小さくなるらしい)

でも、閉経は(40才~52才くらい?)で、50才前後が一般的だそうだ。

だいぶ先すぎて、ちょっと無理そう・・・。

(おわり)

 

ねこつぶ(恋の語らい①)

2015年6月15日

野良猫シロ(メス)が、お気に入りの場所で休んでいると、野良猫リキがそばを通りかかりました。

シロは、がたいのいいリキ(オス)のことが、少しばかり苦手に思っていました。

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(つづく)

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