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2015年10月25日 (日)

重度貧血で入院①(瞬く間に)

2015年10月29日(入院当日)

AM7:30 

ツレが夜勤から帰ってきたので、夕食並みの朝食を食卓に並べた。
と同時に、ふと気持ち悪さを感じた。
そして、みるみる極寒の中にいるかのような冷たさが体の芯から全体に広がり、
腕には鳥肌がぶわっと立った。
経験からいってこれは高熱が出る前触れだ。
(インフルエンザだろうか?)
急ぎ風呂を沸かし、温かいお湯に身を浸した。
凍えて死にそうだったのだ。
ゆうべ沸かした残り湯だったので、10分くらいですぐ沸いてくれた。
10分位湯につかっていたものの、なかなか体が温まらない。
ともあれ、長湯するタイプではないので、さっと出ると、
とたんに目の前の洗面台に吐き戻してしまった。
すぐわきのトイレのドアを開ける間もなかった。
吐しゃ物は排水溝を詰まらせるので、吐くならば便器のほうがいいのだ。
(とりあえず横になろう)
よろよろと寝室のベッドにたどりつくと、またしても強烈な吐き気で、
ゴミ箱にリバースしてしまった。
こういう時のために、ゴミ箱は鬼太郎袋を兼ねて、プラスチック容器にしてあるのだ。
今度はさらに、高熱による神経痛なのか腰に激痛が走った。
我慢できないほどの傷み、もだえ苦しむ。
(すぐに収まりますように・・・)
そこへ、朝食を食べ終えたツレが通りかかり、異変を感じて、体温計を持ってきた。
「熱、測ってみろ!」
見れば、熱が39度5分もある。
やはり、高熱が出ていた。
ツレは、「救急車を呼ぶぞ」と私に声をかけた。
私は、苦しさからあまり声を出せず、ただただうなずいた。
尋常ではない傷み、時間が解決してくれる気がしなかった。
ツレは急いで119に電話をかけ、来るまでの間にツレは病院に必要になりそうなものをそろえた。
私は苦しみながらも、外出着として、パジャマの上にガウンを羽織った。 

.

実は私には、自身で「爆弾」とよんでる子宮筋腫があって、いまや20㎝ほどの
巨大サイズになっていた。
それがついに子宮を突き破ってしまったのかもしれないと思った。
筋腫は数年前に不本意ながらも子宮全摘の手術して取る予定だったのだが、
入院当日に37.4度の熱が出て帰されてしまい、そのままになっていた。
私にとって37度を超す熱なんてものは、しょっちゅうで、平熱のほうがまれなのだった。
骨盤内を占めるほどの大きさの筋腫は、常に不安要素で、
いずれは切らなくてはならないだろうと思ってはいたが、いっこうに体調がよくならない。
入院失敗以降、ほぼ毎日体温を測っていたが、37度を超さない週が一度もなかったのだった。
閉経を期待しつつ、様子をみてるうちに、いまにいたってしまったのだった。

.
          
10分ほどで救急隊員が部屋の中へと、やってきた。
そして、さらに10分ほど、彼らは現状を確認するため、私たちから病状や持病などを質問した。
そして救急搬送する必要があるということで、床に広げた我が家のタオルケットに横になるよう言われた。
これを担架代わりにして、救急車まで運ぶのだ。
だが、驚いたことに激痛で身動き一つ出来なかった。
30㎝高さのベッドから、片足すら下すことが出来なかったのだ。
でも、私がそこに乗らない限り運べないようなので、
私は勇気を振り絞って、背中から、そこに落ちたのだった。

.

具合が悪くて、一歩も歩けないなんてことが起こるとは思わなかった。
歩けなくても、這うことは出来るだろうと、ふだん思っていた。

今回、携帯電話は身近に置いてなかった。
一人で家にいたなら、救急車どころか家族にも助けを呼ぶことが出来なかっただろう。
電話が出来たとしても、ドアの鍵まで手を伸ばせない。
誰も、助けに家に入れない。
(救急隊員は、特殊技法でドアを開けられるらしいが)

いつも、絶体絶命の体調になるまでは15分ほどのタイムラグ(時間のずれ)があるので、
今度からは、携帯電話をつかみ、ドア鍵を開けてから、ベッドに横になろうと思った。

.

担架がわりのタオルケットで運ばれながら、そう、反省した。

 (つづく)
  

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