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2016年4月 7日 (木)

変わっているといわれる

高校卒業直後、中途採用で入った職場で、少し年上の女子の同僚から、

「ひと目見て、あなたが変わってる人だとわかったわ」

と、入社して半年後に言われた。

面接に来た姿を見て、感じたという。

自分がどう他の人と違うのか、聞きたかったが、結局、怖くて聞けずじまい。

.

誰しも、どこかしら他の人とは違う変なところがある。

それが常識からずれていても、大抵の人の場合、おおめに見てもらえて、
ふつうの人の仲間入りさせてもらえる。

変人扱いされる、されないは、どこがちがうのだろう?

人づきあいがスムーズにできる、会話がうまい、ということだろうか?

「ひと目見て変わり者とわかる」のだから、会話は関係ないか?

身なりや人との接し方を普通にしてるつもりだけど、どうしてか、どこに行っても、
私は変人と判断されるのだった。

.

変人なら変人でもかまわないのだけど、
はじめて行った店の店員に嫌がらせを受けたりされたりするのは、納得がいかない。

目つきでも悪かったですか?

障害者にもそんなことするんですか?

私は、障害者以下ですか?

私の父親の仕事は普通のサラリーマンではなく異質の美術関係だし、
母ははちゃめちゃな性格で、たぶん発達障害のようだし、
10代ずっといじめられっこの孤立だったから、ふつうを知らないで生きてしまった。

親がヤンキーなら子供もヤンキーというように、
親の変わった空気を、私もかもしだしているのだろう。

育ちの悪さなんて、なかなか訂正できるもんじゃない。

.

私の姉は、私からすれば、まったくの「普通の人」だ。

ふつうに、世間になじんでいる。

だが、姉は自覚がないのか「普通の人」になることに必死で、いつも、やっきになっている。

「普通に見られたい」というのは、「仲間外れにはなりたくない」という恐怖心の表れ。

農耕民族の日本で生きていくには、ふつうでなくてはいけない。

誰から言われたわけでもなく、DNAが、そう騒ぎ立てる。

姉は、変わり者の私をバカにして見下す。

私だって好きで変わり者をしてるわけではない。

幼少時から頑張ったけど、なれなかったのだ。

優秀か、器用かどうかが、こんなところにも表れる。

今となっては、ふつうでなくてもいいと思えるようになった。

そう、こういう人なんです、自分は。

あとはどう、相手を怒らせないで理解せせるか・・・と言ったところだ。

姉がいつまでも「普通でない」私を毛嫌いしてるようなので、
私はあるとき、姉に言った。

「私たちは、芸術家や漫画家を目指してるのだから、ふつうである必要はないんじゃないの?」と。

「人と違うことをしなきゃ、大物(ビッグ)になれないよ」と冗談まじりに言ったら、
姉は、「気が付かなかった」といったような驚いた表情をしたのだった。

とはいっても、姉は「ふつう」を目指すだろう。

私も姉も、美術関係の学校を出てないし、近場に美術関係の仕事もないから、
ふつうの社会で生きなければいけないから、ふつうでいなければいけない。

「変わり者」がなぜ世間から見てダメだというかというと、得体が知れないからだろう。

扱い方がわからない、異物にしか見えない。

なにか異常なほど独特の趣味に凝ってる人であっても、
その類の何かに所属していれば、世間は違和感を覚えず、認めてくれるはずだ。

よく、アニメにはまってる人を変人に見ることが多いけど、
アニメ関係の仕事を目指していたり、その仕事だったりしたならば、世間は白い目で見ないし、恐れない、といったように。

自分が何に属しているかを知り、ちゃんとその属性の環境に入ることが出来れば、何の問題もないのだ。

本来いるべきところと、違う世界にいるから、駆除の対象になってしまうのだ。

.

2016年4月6日の朝日新聞「折々のことば」に、

美術は人と異なったことをして褒められることはあっても
叱られることはありません
                            北川フラム

の文が載っていた。

いまさらだけど、美術の世界こそが自分の生きるべき世界だったな、と思う。

才能は、もはや、ないけど、そう、あの場所こそが自分の居場所だったと、
ほんとに、いまさらだけど、最近になって思うんだよね。

テレビ番組「しくじり先生」で松村邦洋さんが出ていたけど、かなりのバカで、
高校を落第、原付免許は7回かかってとったと言っていた。

彼は、人間の動作に興味がありすぎるあまり、授業に集中出来なかったようだ。

モノマネを人生の重要なものと本能がとらえ、
そのモノマネを仕事に生きることができるというのは、なんと幸せなことだろう。

運命のながれで、そこに立ちりつけるなんて、ほんとうらやましい限りだ。

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