フォト
2017年7月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          

カテゴリー

無料ブログはココログ

« ねこつぶ(情熱のふたり②) | トップページ | ねこつぶ(やせ我慢①) »

2016年5月 9日 (月)

私の言葉は・・・

Cimg6655 2016年5月9日の朝日新聞の記事から

ブログで記事を書き始めてから5年半くらい。

だいぶ、文章が書けるようになった。

文章というより、会話が出来るようになってきた。

いつも、言いたいことまで到達できずに言葉が途絶え、句読点までたどり着けなかったけど、
短い時間内に話せるようになった。

感情が先だって、涙で、何からどう説明したらいいのか分からず、無言で終わっていたのが、
主張できるようになった。

ロビンソンクルーソーのモデルのアレキサンダー・セルカークは、
4年4か月?独り無人島にいたために、言葉が片言になり、正常にしゃべれるようになるのに、
7年くらいかかったと聞く。

私の人生は、どういうわけか、常に独り。

家にいても、学校にいても、職場にいても、結婚しての家庭でも独り。

ほとんど要件を言うだけで、おしゃべりなどがない。

おしゃべりする環境に、どういうわけか、私は参加できない運命のよう。

‘あなたの言ってるとこは、わからない’

世間の人たちは、そういって、私をバカにする。

言いたいことはたくさんある。

けして、人見知りや、人を避けて、毛嫌いして無口になっているわけではない。

どこから、どう話し始めたらいいのか、わからないだけなのだ。

やみくもに口を開いても、主題までたどり着く前に、さえぎられたり・・・。

植物人間から覚醒した身障者のマーティン・ピストリウス青年が、

『中には、彼らが期待する通りのことを、
私が話すときだけ耳を傾ける人たちがいることに気づきました。
それ以外の時には注意を払われず、
彼らが良かれと言う方法で振る舞います。
心のコミュニケーションとは単に、メッセージを物理的に伝えるだけではなく、
耳を傾けてもらい、敬意が払われるようなものであるべきだと悟りました。』

といっていた。

おしゃべりは、相手が求めるものに沿ったなかで、どう踏み外さず、話せるかにかかる。

おしゃべりなどほとんどしたことが無い私には、
相手がどういう話の流れの仕方をほしがってるのか、高度すぎてわからない。

ブログは、自己中で書けるのが利点だ。

時間をかけて、自分の納得できるまで、推敲することができる。

苦手な分野だから、なかなかうまくまとまらず、数日かけても出来なくて、
ボツにせざるを得ないことも多いけど、文章の訓練になる。

長年、日記を書いたり、本を読んだり、文章に親しんではいたけれど、
やはり、誰かに伝えるために文章を書くのはレベルが全然違う。

気合の入り方が違うというのか、ほどよい緊張感が、脳の文章能力を上げるようだ。

言いたいことを、道からそれずに説明できるようになってきたが、
『相手の会話の軸を間違えない』というのと、
『自分の言葉に含まれる不快感を失くす』というのが課題だ。

人魚姫は、足と引き換えに、声を失ったが、
魔女のだみ声になったために話せなくなったとか・・・。

話せないなら、文字で表せば?とも思ったこともあったが、
文章に毒気が出てしまうのかもと思った。

そういうつもりはないのに、毒のこもった言葉が口から出てしまうことがある。

両親の夫婦喧嘩による罵声を聞きながら育ち、
いじめなどで、悪口を浴びせられる。

言葉ばかりでなく、周囲の環境が殺伐していて、知らずに自分の心がすさんでいるのだろう。

話す言葉ばかりでなく、文章でさえも、毒気がにじみ出る。

‘あなたって、本当は性格悪いんでしょう?’

自分のことを本気で、悪い人間だと思う人なんて、いる?

自分が気になったことや、気づいたことをブログに書き綴る。

自分が受けた理不尽なことも書いたりするから、悪口と感じることもあるだろう。

誰かを矯正するつもりはなく、ちょっとした注意勧告の意味合いもあるけど、
ほとんどは、叫びというか、心の悲鳴かな・・・?

誰かが私の記事を読んだことで不快になることもあるとは思っている。

自分でも駄作と思っていても、意外にも「これいいね」と思う人もあるから、
とりあえず、書きまとめられたら、公開することにしている。

どう、受け取るかは相手任せ。

たったちょっとした一文で、大嫌いになることはよくあることだから、
そのことで、さけられたり、恨まれたりされることは仕方ないことだと思う。

文章どころか、自分の生き方自体がつたないから、上手に自分を表現できない。

それでも、なぜ書き続けるのかというと、どこかにたどり着くためなのだ。

どこかとは、私もわからない。

大物になった人の多くは、がむしゃらに立ち向かって、しがみついてそこにたどり着いたわけではなく、
運の流れにまかせたらそうなったときく。

とりあえず、自分が今したいと思うことを、夢中になってみることが、
何かの流れに入り込む方法なのではないかと思う。

どこにたどりつくのか、つかないのか、先のことはわからない。

ただ、今の頑張りは、今しかできない。

『振りかえれば、どうしてあんなに頑張れたのか、自分のことながらすごいと思う』と
思う時が来る。

だから、今の瞬間、出来ることをしたいと思う。

とめどもなく脳内に湧き出ることばやアイデアを書きとめる。

この衝動は、冷めきった自分の魂をたぎらす。

生きてる証。

・・・にしても、この長文になるくせ、どうにかならないかな・・・?

« ねこつぶ(情熱のふたり②) | トップページ | ねこつぶ(やせ我慢①) »

つぶやき」カテゴリの記事