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2016年9月 6日 (火)

浦島太郎のやうに

あとから聞いた話では、その女には、夫があり、しかも5人の子どもがいて、
ボロボロの家に住んでいるとのことだった。

そんな女と父が出合ったのは、近くのとあるスナック。

女はそこの雇われスタッフだった。

父の友人は、「結婚したらいいよ。男の子(後継者)を産んでくれるよ」などとはやし立て、
その気になった父は、その女と付き合うようになった。

父は、もう後継者のことなどは考えてはなかったと思うが、
接客業ゆえか世話好きな感じが気に入ったのかもしれない。

父も、もう50過ぎで、介護というほどではないが、面倒みてもらいたい年になってしまったのだろう。

父はその女と暮らすために、
ちゃらんぽらんではあったが長年、金銭面ではささえてくれた母を、追い出してしまった。

そして家事や家業を手伝い支えていた私の姉も、
母を心配して一緒に家を出ていってしまったのだった。

家に残されたのは、父と、家事をしたことがない私。

父は、もともと次女の私になんの期待もしていなかったから、
洗濯や料理をしろとはまったく言わなかった。

思えばずっと同じ家に居ながら、父とは生活が一緒だったことがない。

父の洗濯物が干してあるのも見たことがないし、食事のときもほとんどいなかった。

父って、どこでどう暮らしてたの?って不思議に思う。

そうしてるうちに、その女が一緒に住みだした。子供一人だけ連れて。

父は、「外食だけでは、体が壊れるから」などと理由を私に言う。

女の年齢は30歳。私より10歳上で、父より20歳若かった。

4人の奇妙な生活のはじまり。

そうしてしだいに、私の心の居場所がなくなっていった。

ほかの3人も、私がいることで心が落ち着かないらしかった。

結果、父が「家を出て行け」と私に言った。

じつは、新築のこの家は、私の子どものころからの念願だった。

私は生まれてからずっと倹約して、家を建てる目標のために両親に協力してきたつもりだった。

だが父は「俺が建てた家だ!」と自分の努力や稼ぎだけで建ったような口ぶり。

私は、良い家、いい暮らしをすれば、漂う雰囲気には気品が現れ、いいところに嫁ぎたかったのだが、
夜逃げするかのように、私は家を出るしかなかった。

その後、両親は離婚し、父がどう暮らそうが、もう関係なかったが、近所の人のうわさ話は、
我が家にまで届き、たびたび詳細を知ることになった。

どうやら、昼夜、仕事もせずに二人そろって遊び歩いてるらしい。

新婚で浮かれていたのかわからない。

父はきっと、「またバブルが来て大きく稼げる」と楽観し、
女は、新築の家をタダでもらった気になっていたのだろう。

そうこうしてるうちに、家のローンが払えなくなってしまった。

女は働かないし、小学生の連れ子もいるし、赤ちゃん(私の腹違いの妹)が生まれ、
仕事の期限を守れず信用を無くした父に、仕事の依頼は激減。

もう、だれ一人、稼げる人がいなかった。

ついに、父たちは、せっかくの家を手放し、賃貸の家を転々とた、
貧乏暮しに逆戻りになってしまったのだった。

‘女は父を陥れようとしたのか?’とも思ったが、
女は、もとの家族に帰ることもなく、最後まで父と暮らし、看取ったのだった。

父の晩年は生活保護を受けるほど困窮してたので、女はなんの得もしていない。

ただ、二人はただ、楽しい楽しいと楽しさだけで暮らしてたら、気が付けば全部失っていたという事だ。

まるで浦島太郎のように、楽しみ続けた果てに現実に目を向けたときには、
近所の人や友人や兄弟でさえからも、すっかり誰からもかえりみられなくなってしまっていた。

父の葬式には、だれも参列せず、さみしく、関係者のたった5人だけで執り行ったということだった。

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