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2016年10月22日 (土)

誰もが小さな神様

真面目な話、
1年前テレビで、川村遼太君殺害事件現場に、同情ばかりでなく、
日本各地から悩める人々が手を合わせに来た姿を見て、
‘遼太君は神様になったんだな’と思った。

マイケルジャクソンが、亡くなった時も、
ファンたちの思いを見て、
同じく‘神様になったんだな’と思った。

亡くなる前は、あんなに世間はマイケルに対してバッシングしていたのに、
この世間の変わりよう。

神様として認められるには、
一度、苦悶を味わなければいけないのだろうか?とさえ思う。

キリストや釈迦の人生を思い返しても苦行がある。

菅原道真や平将門が人間から神様になったのだから、
他の人だって、なりうることなのだ。

神の手を持つ男、ゴッドハンド。

超越した何かがある人は「~の神」と呼ばれ、

いたわりのある女性は、「~の天使」、

「~の女神」というのもある。

人間として生きている間でも、

極めれば神様になれるのだ。



あた、あるいは、たとえば、
目の前の小さな水たまりに、小さな虫、あるいは小さな生き物がおぼれていたとする。

手や棒などを使って助けるか、
自然の摂理とみて、ほっとくか、

生かすも殺すも、自分次第。

目の前の小さな生き物は、死に際で精一杯だが、
自分からしてみれば、助けるのはまったく簡単なこと。

まるで、空から見下ろす神様の立場と同じだ。

小さな生き物が、助けの声を上げたり、
水の音で注意を引いたから、振り向き、気が付くことが出来た。

神社などで、柏手を打ったり、お金の音で神様の注意を自分に向かせるのは、
そういうことなのだろう、とイメージする。

目の前の水たまり以外でも、助けを求める生きものがいたとしても、
気が付かなきゃ助けられない。

また、たくさん助け絵を求めるものがいた場合、
後回しになったものは、時間的に間に合わなくて死んでしまうこともある。

と、いう想像から、
神様だってすべての人を助けたいが、手が回らない時もあるのだろうと思う。

大きな災害や、戦争、たくさんのトラブルがあるほど、
本当に助けたい人に目が届かなくなる。

目先にいるものから助けるとなると、悪人までも助けることに。

つまり、いさかになく平和であれば、本当に困ってる人に助けが届くようになる。

なるべく自分で出来ることは、自分でやれば、
そのぶん神様の手は他に人に差し伸べることが出来る。


ということが、
たまに、頭をよぎる。

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