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2018年10月 7日 (日)

子宮筋腫手術日記(1)「予兆」

もう、かれこれ2年以上も前のことなので、もはや、記憶はあいまいだけど、
とりあえず、書き残してみました・・・。
(文章がまとまらず、2年がたってしまっただけなんだけど・・・。)
.

◆「予兆」 (※「重度貧血で入院」の内容と重複します) 

2009年頃だったか、
トイレで、用を足そうと下着を下ろしたとき、生理ナプキンの上に、
こんもりと、おはぎのような、血の固まりがあった。

うわさに聞く「子宮筋腫の病気の現象のひとつ」に似てたので、
私はそれを見た途端、動揺した。

すぐに、かかりつけの‘内科’で、めまい治療のついでながら、
悩み相談的に、このことを告げてみた。

ここの個人病院の院長は、病気のことならなんでも相談に乗ってくれる。

老医師は、あお向けになった私のおなかをさわると、
「子宮筋腫らしき、しこりのようなものはないよ」と言った。

「大きな血の塊」は、その時一回きりだったので、
‘たまたまだったのではないか’、という診断結果になったのだった。

本来、子宮筋腫の専門は産婦人科だが、
そこは、どんな病気だろうと、恥部を検査する(らしい)ので、
内向的な私は、怖くて行けなかったのだ。

ともかく、子宮筋腫は、命に係わる病気でないし、
生理もいまのところ普通だし、体調的に問題はなかったので、
しばらく様子を見ても大丈夫だろうと自己判断したのだった。

それから数年後、
筋腫は、驚くほどの大きな異物となって、下腹部に成長してしまっていた。

2012年、あお向けになると、へこんだおなかに、
野球のボール大の物体が、盛りでていた。

病院で診てもらわなくても、なんとなく子宮筋腫(脂肪の塊)だと、私にはわかっていた。

異物は固く、うつぶせになれば、おなかの下に丸めた靴下をはさんでるかのようで、
あおむけになれば、お腹が重くて、横向きでないと寝れなくなった。

まるで妊婦のようだ。

けれども、私のは、育ったところで、夢も希望もない。

日々、自分の重いおなかが邪魔でしかたなない。

なんとなく「泳げ!たいやき君」になった気分。

明るい結末は、待っていない。

子宮筋腫は、閉経すれば、筋腫の成長も止まり、治療しないですむという。

閉経は53歳ごろが一般的と電子辞書には書いてある。

早期閉経なら40歳ごろ。

私は初潮が早かったので、だとすると、そろそろなのではないか?と期待があった。

だから、手術しないで、現状維持したい。

子宮筋腫といえど、異物がある以外は、とくに問題はなかったし、
生理過多でもないし、異物の圧迫による排尿、排便障害もない。

つまり、‘なんともない’のだから、
手術を選ぶほうが、むしろ危険ではないか?とさえ思う。

世の中には、まれに、簡単な手術で、死ぬ人もいるじゃないか。

未知である手術が怖い。

産婦人科に行くのが怖い。

手術とか産婦人科とかにかかった人に、直接話を聞いたことがないから、
自分だけが、異常な状態に置かれてる気がして、
怖くてしかたなかった。

下半身の病気なんて、‘遊びすぎ’が原因だと、世間は思うだろう。人生の恥。

私でさえ、理屈では「違う」と、わかっていても、下半身の病気と聞けば、
「ふしだらなことを、しすぎたからじゃないの?」と思ってしまうのだから、
世間はなおさら、そう思うにちがいない。

結婚当初から、セックスレスなのに、非情な病気。

誰にも相談できない。特に母には。

母は、ゲスな話が大好きだから、話したその日に、
近所中に、笑い話として、ひろめられてしまうだろう。

きっと、人の目が気になって家から出られなくなる。

知ってるのは、男である夫だけだった。

そうしたモヤモヤした中、めずらしく市から健康診断の通知が届いた。

健康診断は、ここ何年もしてなかった。

夫は、「他の病気のことも考えて、市の健康診断を受けてほしい」としつこく言ってくる。

ほんとに、けんかになりそうなほど、しつこい。

そんなの受けたら、「即、検査→通院→手術」になるとわかっていた私は、
ほとほと困ってしまった。

市の健康診断には、「子宮がん検診」が必ず含まれているから、
この大きな異物だもの、当然、ひっかかる。

もはや『たき火を飛び越える遊びに参加せざるをえなくなった雪の妖精』の心情だった。

‘ここを踏み越えたら、私、消えてなくなる(死ぬ)かもしれないよ・・・。’って。

こうして、市の検診で「再検査」となった私は、
産婦人科へ行かなければならなくなってしまった。

最初、どこがいいのかわからなかったので、ふだんから看板を目にしてた、
家から近い、個人の産婦人科病院に行くことにしたのだが、
どうやら、過去に一度来たことがあるらしかった。

忘れてたが、結婚前に膀胱炎で来てた病院がここだったらしい。(泌尿器科はもっと行きづらい)

受付で、私の苗字と住所、電話番号までもが違うのに、
過去の記録から、下の名前と、誕生日だけで、同一人物だと即わかったらしい。

ふと、そのとき、当時の嫌な記憶が頭をよぎったが、
受付をすませてしまったので、そのままここで検査することにしたのだった。

(この病院が悪いわけではないが、わたしとは相性が悪かったんだと思う)



その個人の産婦人科には、大型機器がなかったので、
子宮筋腫の状態を調べるため、
MRIは、医療センターまで行かなければならなかった。

2012年3月14日、
医療センターでMRIを撮った。
(いまは違うと思うが、この頃の入院病棟のナース服は、なぜかピチピチ、スケスケ)

ここでは、私が、「部外患者=お客様」のせいか、あたりがやわらかく、
ちょっと楽しい気分になれた。

いま思えば、この病院へ紹介状を書いてもらえばよかったのかもしれない。

この後日、そのMRI検査結果のCDROMが、自宅に送られてきたのはびっくり。

画像は、100枚ぐらいあっただろうか、今まで見たことないものだったので、
震える思いで目を通した。

それらには、おなかの中央に、まん丸の形をした筋腫がはっきり映し出されていた。

直径9㎝・・・、ほんとうに野球のボールだ。

Qr000002

Qr000009 9㎝x9㎝

これらのMRI画像は、その個人産婦人科にも届けられていて、
診察時、60代(?)の女医は、当然のように子宮全摘手術を勧めてきた。

私が若くないからだろうけど、
世の中には、まだ、私の年齢で出産してるひとも少なくもいる。

女性に生まれた以上、一度は、自分の子どもを産んでみたかった。

・・・が、セックスレス。(→どうしたら、改善できる?)

チャンスは皆無だけど、子宮は残して置きたかった。

だが、子宮温存手術より、子宮全摘を、病院側は押してくるのだった。

「また筋腫が出来てしまうかも」という理由で。

子宮がなくなれば、子宮がんになるリスクもなくなるというが、
まったく魅力的に思えなかった。

私が手術決断するまで、ずるずると続く診察。

なかなか私が決断しないので、
病院側と、どんどん険悪な状態になっていってしまった。

子宮筋腫の手術法は、世の中にいろいろあるのは知っているが、
私が行ける範囲の地域では、、一般的なものしかやってないようだった。

あちこちの病院をあたるなんてことは、交渉能力の低い私にはできない。

様子を見るという現状維持も許されず、ほんとにどうしたらいいのか。

万が一、手術がうまくいかなくて、寝たきりになって、後半生がダメになったらとうするの?

幸せな妊婦だらけの待合室で、私は、病院に来るたびに思い悩んだ。

針のむしろにいるような居心地の悪さ。

あるとき、とある婦人病の女性患者が、テキパキと他の病院への紹介状を書いてもらうのを目撃した。

私もそうすべきか?と悩んだが、結局、転院する勇気はもてなかった。

検査を一からやりなおす手間や、
どこへ行っても、トラブルになるだろう人間運の悪さで、動けなかったのだ。

精神的に疲れ果て、半年ほどの長い期間ごねたあげく、
病院側の圧力に屈して、私は子宮全摘手術に承諾した。

心のどこかで、この病院と関係性が悪くなってるのに、
この人たちに、いい顔したかっただけのかもしれない。

まさに、いじめられっこの性分・・・。

手術を思い悩んでた私に、夫は、「子宮がなくなってもかまわないよ」と、さらりと言った。

なぐさめのつもりだろうけど、内心、「お前は必要じゃない」と言われてる感じで悲しかった。

私たちが、子供を作らなかったら、家系は断絶というのに、
長男なのに、この男は、一族の未来のことを何も考えてない。

将来が、暗闇。



そうして、2013年、5月28日、入院当日、
夫と二人で、病院を訪れた。

受付に行くと、即座に2階の入院部屋に案内された。

私専用のベッドのところで、看護婦から渡された体温計を、私はわきの下に挟んだ。

取り出すと、メモリは、37度3分。

それを見た、看護婦は驚いた表情になり、
途端に、手術は中止となってしまった。

ふだんから、平熱は37度なのだが、言い訳する間もなく、帰ることになってしまったのだった。

病室を出ると、ふと、背後から看護婦の叫ぶ声が耳に聞こえた。

ふりかえると、ナースステーションから若い看護婦が、再び、
「おかゆのことは、気にしなくていいですから~lつ!!」と
私たちに向かって叫んでいた。

彼女の真顔の表情には、
『おかゆが無駄になっちまったじゃね~かよっ』と言う感情が読み取れて、
私は、震え上がってしまった。

受付では、次回の予定もなにも言われず、
おまけに気まずさから逃げるように病院を去ってしまったので、
そのまま、その病院とは疎遠になってしまったのだった。

私から連絡が来ないことにより、
さぞかし、病院側からすれば、めんどくさい患者がいなくなって、
ほっとしたことだろうと思う。

それから私は、どこの病院にもかからず、筋腫はそのままだった。

入院騒動から、1年たったころ、ついに、「生理異常」が起こりだしたのだった。

生理は、なんと、4日間から、3倍の13日間という長さに!

生理初日~3日目の3日間は、経血が、24時間、はちみつのように出続け止まらず、
トイレでリキめば、尿のように血が噴き出るしまつ。

その出血量はものすごく、すぐにロングナプキンがびしゃびしゃになり、
1時間ともたないほどで、油断すればズボンまでぐっしょり血が浸みてしまうのだった。

こんな状態でありながら、死なないのが不思議なくらい。

ただ、やはり、極度の貧血で、鉄不足状態なわけだから、立ち上がるたびに「立ちくらみ」が起き、
頭髪がごっそり抜けるようになってしまった。

わき毛なんかは、まったく生えてこなくなった(2018年10月現在も)。

それに加え、問題なのは、アンモニア臭。

生理期間が終わると同時に、こんどは、膣から透明な汁が出はじめ、
大さじ一杯の少量ながら、強烈なアンモニア臭を放つのだった。

傷などに出る「浸透液」というものだろうか?

その匂いは、服を通り越して、自分の鼻にまで届くほどのすごさ。

トイレで拭いた程度では、匂いは取れないし、
時に、染み出るときに、尿が出るような感覚があるので、ひやっとあせるのだった。

おまけに、いままでになかった生理痛が起こるようになり、
毎回、頭痛と吐き気で、丸2日間寝込むようになってしまったのだった。

丸一ヶ月、つまり、一年中、生理中なかんじで、体がおかしかった。

それでも、病院へは行こうとしなかった。

これが、危機のサインとも知らずに。

2015年9月29日のある朝、
ついに、子宮は悲鳴を上げ、
私は猛烈な腰痛で身動き取れず、日赤病院へ緊急入院になってしまった。
(くわしくは、「重度貧血で入院」にて)

入院は、2週間と長期だったものの、
治療は、炎症を抑えるだけのみで、手術はされなかった。

どさくさにまぎれて、手術してくれれば恐怖もなくよかったのに、と思ったが、
体調がととのってないと手術はできないらしい。

この緊急入院でかかった治療費は10万円強。

個人病院での子宮筋腫の手術は8万円の予定だったから、
予想外の痛いムダな出費となってしまった。

「あの個人病院の入院時、手術できていれば、こんなことには・・・」、
なんてことは、あとの祭り。

そうして、話はふりだしに戻ってしまったのだった。

病院は日赤病院に変わっただけの違いで、
またしても、「手術するの?」「しないの?」が繰り返しの日々へ。

手術するまで、診察は続くのだった。

(つづく)

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