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カテゴリー「病気」の40件の記事

2019年1月 9日 (水)

子宮筋腫手術日記(9)退院

◆ 2016年12月26日 (月) ◆

夜中の11時に、夫から緊急メールが届いた。
「中学生からの友人の父親が亡くなった」という。
「葬儀の日が、退院日の28日とかさなるから、退院時間を早められないか」と夫はいい、
葬儀開始時間が11時なので、9時には病院を出たい」というのだった。
前年の入院の記録からすると、退院時間は朝の10時ごろ。
とりあえず私は、「看護婦に相談してみる」と、メールを返信した。
バタバタしそうな予感。

◆ 12月27日 (火) 

・あさ6時10分 検温などの検査に看護婦来ず。

・あさ8時 朝食時間

1



配膳の音が聞こえたので、あわてて食前の薬をのんだ。
あの、せっかち看護婦さんが担当だったら、大変。
案の定、彼女が配膳を持って現れ、すぐに「薬は飲みましたか?」というので、
私は、即座に、空になった薬の袋を見せた。
はぁ、ギリギリセ~フ・・・。

あさ9時半 内診検査

執刀した女医から説明を受ける。
「手術で取り出した筋腫はまだ検査中」とのこと。
退院後の来院の予約をいれる。

・朝10時半

ナースステーションで、
「明日の退院は、葬儀のため、8時半に(病院を)出たい」と告げたら、
「仮の会計を今日出すことが出来る」と看護婦はいう。
「もし不足分が出た場合は、後日支払いで。」ということだった。

・ひる12時半 ランチ

3

ゆうがた4時半 「仮の会計」が届けられる

看護婦がやって来て、「仮の会計」用紙と共に、
大量の下剤も置いて行った。
退院後に飲む下剤30日分ということだが、
なぜか手つかずの「残ってた入院中に飲むべき大量の下剤」は没収となった。
この下剤は「私には効きすぎるので飲んでない」と前に看護婦に告げたんだけど、
こんなにたくさん、飲まないのに、困るなぁ。
(下剤は、
 酸化マグネシウム:おなかが冷えて傷んだり、張るなどを改善。
 ツムラ大建中湯エキス顆粒:胃酸を中和して便をやわらかくする)


看護婦と入れ違いに夫が現れ、
夫は、今届けられた「仮の会計」用紙を持って、すぐに支払いに向かった。

入院費は、9万5713円。

・よる6時 夕食

4

・よる6時10分

 婦長らしき人がやってきて、「退院おめでとうございます」と言う。
他の方たちは、手術中なので来れなかったとのことだが、
手術し、退院間近になると、あいさつにくる仕組み?

・よる7時

通路を歩いていると、
バタバタと、手術を終えたばかりの患者を乗せたストレッチャーが、
目の前を通り過ぎた。
患者は老女で、苦しそうに目を閉じ、酸素マスクを口にはめ、あお向けに横たわっていた。
ストレッチャーの足元部分には、酸素ボンベと尿袋が付けてあった。

Img0012
その患者は、自分のベッドに到着すると、
「ストレッチャーのマットレス」ごとベッドの上に乗せられ、
そしてマットレスを引き抜かれて、自分のベッドにおさまった。

手術直後の私もあんな感じだったのだろうか、と思いながら見入った。
あとで、夫に、このことを話したら、
「君は、手術室から出てきたときには、すでにベッドに寝かされてて、
そのまま病室に置かれたんだよ」というのだった。
そう、今寝てるベッドは、手術室から出てきたものだったのだ。

◆ 12月28日 (水) ◆ 「退院の日」

『夢』
飼い猫のアリスが寝そべって嬉しそうに私を見てる夢を見た。
私の手術を、あの世から心配していたんだね。
2年ほど前に亡くなった飼い猫のアリスは、いまも私の守護神だ。

・あさ8時 朝食

Photo

8時半に出る予定だが、15分でしたく終わるだろうと、
のんびりかまえて、朝ドラのべっぴんさん(8時~8時15分)を見ながら食事をした。

8あさ時半 退院予定時間

予定してた時間が来たものの、
たいした荷物や着替えがるわけでもないのに、支度が間に合わず、
夫にイライラとにらまれて、あわてふためく。
念の為、忘れものがないか、たんすの扉を全部開けて、
夫にも確認してもらおうと、声をかけたが、
夫は、一歩も動かず、遠目から見ただけで、「ないない」と適当に返事をした。
夫の頭は、これからいく葬儀のことでいっぱいのようで、
「駐車券はどこ?」と、何度もそのことばかり、聞くのだった。

2 駐車券

8時40分 ナースステーションで腕のバーコードを切ってもらって、病室関係は終了。
支払いは、前日に終了してあるので、車へと直行し、急ぎ帰った。

あさ10時半 病室にわすれもの

夫は葬儀に出かけ、私はひとり自宅に残り、
入院で使用した荷物を洗濯かごに入れるなどしていた。
すると、何度か、知らない番号から自宅の固定電話に電話がかかってきた。
一回目は無視したが、必死感を感じて、ためしにとってみれば、
さっきまで入院してた日赤病院からだった。
なんと、「デジカメのわすれものがある」という。
病室のタンスには、小さな引き出しがあり、
そこを、うっかり確認し忘れてしまったらしい。

Cimg1401 病院のタンスの小さな引き出し

急ぎ病院に戻り、ナースステーションに尋ねると、
ビニール袋に入れられたデジカメを手渡された。
おなじ引出しに入っていた調味料がないので、
「いっしょに、配膳に出されてた調味料もあったはずですが?」ときくと、
看護婦は、「いえ、これだけです」という。
引出しには、デジカメと調味料しか入ってなかったのだけど、
調味料だけゴミだと思われて捨てられちゃったわけ?
ショック。
たとえくしゃくしゃのティシュがあったとしても、捨てちゃダメだと思う。
中に、指輪、コンタクトレンズなど、
大事なものがしまってある場合があるんだから。
ゴミらしい、まぎらわしいものは入ってなかったのに。調味料捨てられちゃったかぁ。
退院後に味わおうと楽しみにしてたのに。
入院費には、この代金だって含まれてるわけだしね。
前日のうちに、しまっておけばよかった。
写真は撮ってたのだから・・・downwardleft

Cimg1426 忘れたがために捨てられた調味料

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◆ 12月29日 退院の次の日 

自宅に戻れた安心からか、9時間も、こんこんと眠ってしまった。
入院中は元気に思えたが、まだ、病人だったようで、
趣味のパソコンに向かおうとしても、
1時間もすわってるのが限界で、すぐにぐったり疲れてしまうのだった。

◆ 1月3日 ~ 1月8日 
38度5分の熱が出て寝込む。
こんな時期に病院へ行くと、かえって病気をもらってくる可能性があるので、
自力で治す。
食欲がない私のために、夫はあれこれと、ヴィダインゼリーなどを買ってきてくれた。
このころ、姑も(脊髄骨折で入院)退院直後で、自宅で寝込んでいたので、
夫は、そちらも面倒みていた。
夫は寝込むほどの病気をしないほど、タフなので、
そんな大変な作業も、苦と思わず、やりきった。

<酸素マスクのトラウマ>

退院後、ふと何度か、息苦しい酸欠のような感覚に襲われた。
酸素マスクの閉塞感や不安感が、脳裏に残ってしまったらしい。

忘れていたが、注射の副作用のホットフラッシュがいつの間にか起こらなくなっていた。

◆ 1月23日 退院後 一回目の再診 ◆

問診、内診(触診、エコー)

診察は、私の手術を執刀した美女医師コヤノ先生だった。

切り取った筋腫を写真で見せてもらった。
横幅15㎝、重さ730g。
肌色がかったうすいピンクオレンジ色で、第一次発酵させたパン生地のようだ。

Img0018

いろいろ気になったことを質問してみた。

Q 風呂に浸かれない理由は?

A 傷口から水が浸入するというわけでなく、
 血行が良くなりすぎて、出血しないため、とのこと

Q 大きなものを取ったのにおなかがへこまないのは?

A 上にあがってた内臓が下りてくるため、とのこと。

検査で異常がなかったので、次回は2ヶ月後ということになった。

治療費・1810円
.

<気づかず太る>

「おなかがへこまないのは?」と私が質問した時に、
「あなたのおなかが、もともと出てるからでは?」と女医から遠慮がちに言われてしまった。
ショック・・・。
数年前まで、あお向けになると、おなかがへこんでいたのに、なぜ!?
1年前の子宮壊死しかけで入院ししたときは、いつもの47kgだったのだが、
たしか、今回の入院の時は、53㎏だった・・・。
筋腫の重さで体重が増えたと思っていたが、
手術前の生理を止める注射リュープロレリンで、
半年のうちに、一気に5kgも太ってしまったらしい。
副作用の更年期のひとつなのか、
多量出血しなくなったから栄養が逃げなくなったからなのかはわからない。
これ以降も怠惰な生活をしてるが、体重が増えてないところを見ると、
やっぱり、注射が原因に思える。

◆ 医療費控除 ◆ 3月9日に手続き

昨年、一年間に10万円以上、医療費がかかったので、
夫が税務署で、昨年かかった医療費のレシートをかき集め、申告してきた。
戻ってきた金額は2735円。
「苦労の割に少ない」と夫がぼやき、「次からはやらない!」と言っていた。

◆ 3月13日 (月) 再診2回目 

問診、内診(触診、エコー)

問題なかったので、子宮筋腫の診察、治療は、これで終了。

医療費:1810円

性交できるか、確認しないでしまったなぁ。この先することもないとおもうが・・・。

<筋腫をとっても、不調は残る>

寝起きの腰痛は、あいかわらず毎日ある。
寝返りをあまりしないので、6時間以上眠ってると、腰がいたくなる。
立ちくらみも時々ある。
生理が始まる前の幼少期から、貧血なので、
まぁ、しかたないところだろう。

✿~~~~~✿~~~~~✿~~~~~✿~~~~~✿

◆ 「80代の伯母が‘乳がん’手術で入院」 ◆ 2017年5月

夫方の伯母が乳がんになり、手術するため、
私が入院してた日赤病院に入院することになった。
伯母には、子どもがいないので、甥っ子の夫(と私)が付き添うことになった。

入院前日、伯母は、‘直前まで市販の風邪薬を一週間飲み続けていた’ということを、
病院側に告げたら、「手術は延期です」と折り返し連絡が来てしまった。
伯母は、‘手術前に他の薬を飲んではいけない’ことを知らなかったのだ(私もだけど)。
準備してたのに、がっかり。
ところが、当日になって、「とりあえず来てください」と病院から連絡が来て、
予定通り、入院することになったのだった。

だが、風邪薬を飲んだことは大問題で、
病院のベッドに執刀医、担当医師など3人の医師に囲まれ、
「薬の影響で危険も考えられます。どうしますか?」と
伯母は決断を迫られることに。
伯母は、「(要介護5の)夫を残して、肺炎で死ぬわけにはいかない」とつぶやき、
10分考えたのち、「手術します」と言ったのだった。

医師立ちが退去し、私と二人きりになると、
伯母は、持ってきた入院支度を棚に納め、
にこやかにパジャマのズボンを少し上げて、私に履いているオムツをチラリと見せた。
「オムツ、はいていてきちゃった♡洗濯しないで捨てられるでしょう?」と伯母は言う。
私には、屈辱的に思えたオムツを、彼女は平然と利用していたのだった。
年寄りは、オムツに抵抗がないというが、本当だった。

次の日、伯母の手術は、あさ10時にはじまり、1時間半後の、11時半に終了した。
手術室から出てきた伯母は、苦しそうでもなく、酸素マスクも嫌がってる素振りも見られず、
おとなしく、ベッドに横たわっていた。
しゃべる元気もあって、多少、、麻酔でうつらうつらしているものの、
ひとことふたこと夫である伯父と会話出来た。
私と違って、術後はなんの問題もなかった。

伯母は、「この年まで病気知らずだったから」と、乳がん発覚にショックを見せてたが、
幼少から病気がちの私からみればうらやましい話だ。
そばにいた伯父が、私に「若いから元気でいいね」と言う。
私が、前年に子宮筋腫手術したばかりなのを伯父夫婦は知らないから、
私は、話をあわせるように「そうですね」と答えた。

80代でも、乳がんの心配があるのかぁ。

◆ 「75歳の叔母の子宮脱」 ◆ 2018年10月

母方の叔母から、
‘子宮脱(しきゅうだつ)になってしまい、病院へ行きたいけど、
不安だから、母(叔母の姉のこと)に付き添って欲しい’と連絡が来た。

そうして、伯母と母を車に乗せて、遠くの産婦人科まで、
何度か送迎することになった。

「子宮脱」、私は、そんな病気があることを今まで知らなかったが、
‘膣から子宮が出てきてしまう病気’があるらしい。

叔母は、子宮の中に入れる輪っかをやるかどうか、数か月悩んでいた。
今の状態では、おまたに卵をはさんでるような不快さで、
すれて出血してしまうそうだ。

私が、手術で筋腫ごと子宮をとってしまったことを、夫以外知らないが、
叔母は、‘子宮がないからこれにならないくていいね’と言わんばかりに、
「手術して、どう?楽になったでしょう?」と言った。
私は「えぇ、まぁ」と返事をし、
母は、「取った筋腫みた?ハムみたいだったでしょ?」とケタケタ笑った。
母は、若いころ産婦人科で働いていたが、やっぱり母はゲス発言ばかりだ。

後日、叔母は、輪っかを入れる方法をとり、「やってよかった」と言った。
叔母の通ってた病院では、輪っかは、一ヶ月に一度、診察が必要で、
医師に入れ替えてもらってるようだ。

<骨盤臓器脱>

2018年11月にNHKの「チョイス」で放送された内容によれば、
そういう病気を、「骨盤臓器脱(こつばんぞうきだつ)」というそうだ。

出産経験者に多く、
膣から、「子宮」や「直腸」「ぼうこう」が飛び出てしまう症状。
子宮を取った人は、「小腸」が飛び出やすいということだ。

Img_1839

原因は、股を覆っている「骨盤底筋」という筋膜が、ゆるんでしまうことで、
内臓が落ち、膣から出てしまう。

症状が軽ければ、「骨盤底筋体操」で防げるが、
中症状だと、ペッサリーという機具を膣の中に入れる方法になる。

Img_1841


Img_1845

重症だと、手術で、膣を閉じたり、内臓の固定をしなければいけないということだ。
.

叔母が、子宮脱のせいで、行動に制限が出来、落ち込んでいた。
私が「その歳(76歳)まで、元気だったんだからいいじゃないですか」というと、
「100歳まで元気な人はいるんだよっ!!」と言われてしまった。
私、幼少から病気に悩・・・(以下省略)。

長生きって大変だなぁ・・・。

<骨盤底筋体操>

骨盤底筋体操は、膣を、しめたり、ゆるめたりする運動。
私は、マンガで、「技」として知ってたけど、
ふつうの女性は、そういう動作は、知らないと思う。

下は、エッチなマンガ、岩谷テンホーの「かずのこ伝書」(1990年出版)にある、
「8の字筋体操」=「骨盤底筋体操」の場面。

Photo
世の中の仕組みも、
性のことも、日本では、「友だちから学べ」が主流で、困るよ。

(おわり) 子宮筋腫手術日記、完。

2018年12月16日 (日)

子宮筋腫手術日記(8)同室の人

◆ 12月24日(土) 術後4日目 

昨夜は、ひさしぶりに、夜12時から朝まで眠ることが出来た。
日課の昼寝をしなかったのがよかったようだ。

・6時ごろ 起床

検温、血圧測定に看護婦現れず。

・あさ8時 朝食

1

・8時半 「看護婦の薬チェック」

「食後の薬」を飲んだかどうか、看護婦が確かめにやってきた。
私は、飲んだ薬の空き容器を見せると、
 「カマは飲んでないのですか?」と、看護婦が聞くので、「カマ?」と聞き返したら、
 下剤の『酸化マグネシウム』のことだった。
 「便が水のようになるので、飲んでないです」と答えると、
「じゃぁ、飲まなくていいですね」と彼女は言い、去っていった。
私は便秘症ではないせいか、下剤は効きすぎてしまう。

・あさ10時 看護婦の問診

ふだんより2時間遅れて、
検温、血圧、さらに手術傷のチェックをしに看護婦がやってきた。
私は、「お腹の縫い目に覆うようにテカテカしてるものはテープですか?」
と聞くと、テープではないと言う。
じゃぁ、なんだろう?のりかな?
テカテカしたものは、かさぶたのような感触で、ひっかくとはがれるのだった。
それにしても、血も体液も染み出ないなんてたいしたものだと思う。

看護婦は、つづけて「昨日の朝9時から今朝の9時までのトイレの回数」を聞いてきた。
トイレで記入してる測尿ノートを見ればいいのに、
数えてなかったため覚えてなかったので、だいたいで答えた。
すると、測尿はもうしなくていいとのことで、、
めんどうな「計量カップにおしっこ」は、終了となった。

ついでに私は、「(購入した)腹帯をひとつ返却してもいいですか?」と聞いてみた。
傷の上に直接、包帯代わりに、ガーゼ素材の腹帯が巻かれているが、
傷からは、何も出てないので、2つ目はいらない気がしたのだ。
すると看護婦に、曖昧な表情をするばかり。
あとで売店でみたところ、単品では販売してないようなので、
ややこしそうだから、返品はしないことにした。
そもそも退院まで、ひとつをつけっぱなしも不衛生にも思えたので、
2つ目も使うことにした。

Cimg1402

・あさ11時 久しぶりのシャワー

シャワーの許可が下りたので、19日以来の5日ぶりに体を洗った。
傷口は・・・、ショックを受けたくないので、直視はできなかった。

・ひる 12時半 昼食

2

夕方4時 ヒマな時間 散歩へ

夕方4時、予定がないので、1階にある売店へ散歩がてら、
のぞきに行くことにした。
500円玉一枚だけを手ににぎりしめて行ったら、
本を衝動買いしようとして、レジで「20円不足です」と言われ、大恥。
レジの50代と思われる女性店員は、
「私一人ならおごるのだけど・・・」と、同情までするものだから、
じぶんが、おつむの弱い子みたいで、恥ずかしかった。
ふだんなら、こんな暗算失敗しないのに、
まだ、頭がはっきりしてないらしい。

・同室に新たに老女2人入る。

同室の入退院の状況を見ていると、大抵のひとの入院期間は意外と短くて、
4日間くらいが多く、最短は「一晩」。
子どもの頃、私が交通事故で入院した時、「2週間しか入院しなかった」と、
「車にはねとばされたのに、神がかりの無傷」を自慢に思ってたが、
意外や、長いほうだったらしい。
婦人科病棟で、こんなにも入院の長さの違いがあるなんて、
同じ女性でありながら、女性の病気は色々あるんだなぁと思う。

Cimg1427

私の入院してた部屋は、6人部屋で、
使ってるベッドは、角の4つ。
はさまれた中央のベッドは、プライバシーを守るためか、めったに埋まることはなかった。
とはいえ、適応力がいいのか、ベッドが近いもの同志で仲良くなる人もいる。
とくに、年齢が近いと、打ち解けやすいらしい。

いつから入院してきたのか、向かいのベッドに、80代の老女が入院して来ていて、
並んだ二つとなりの、つまり、はしっこのベッド同士で、
60代の女性となかよく、毎日、大きな声でおしゃべりしていた。
はじめ友達同士なのかと思ってたら、そうでもないようだった。
似たもの同志、意気投合したらしい。

・6時半 夕食 「クリスマスイブ」

3_2

12月24日のこの日は、クリスマスイブだった。
と、いうことで、病院食に、ローストレッグとカップデザートがついていた。
病人に、ローストレッグ?食べずらそう・・・。
すると、
同室の80代の老女が、「ケーキだ!、ケーキだ!」と大はしゃぎしている声が、
カーテン越しに聞こえてきた。
この程度だったら、コンビニでも買えるのに、すごい喜びようだ。
「ケーキ」といっても、チョコムースなだけで、スポンジが入ってないのが、ちょっと残念。
ローストレッグは、驚いたことに、病院食とは思えないほどの塩辛さで、
骨の際の肉までしょっぱかった。
夏から漬けこんでたか?と思ってしまうほどだった。

昨年に入院した時には、メニューは和食が中心で、
煮物や、酢の物がよく登場して味付けも抜群だったのだが、
今年の病院食は、味がないか、しょっぱいかで、
しかも、盛り付けがさみしいものばかりだった。
昨年の調理師がいなくなったのだろうか?
おいしい和食を食べられると楽しみにしてたのに、がっかり。

 術後5日12月25日(日曜日)

よく眠れた。
夢に、可愛がってる野良猫の「くびわ」が出てきた。
心配のあまり、がんばって夢にやってきたようだ。
ありがとう、もうすぐ帰れるからね☆

・あさ7時20分 婦長らしき人が来る

60代と思われるの貫ろくある看護婦が様子を見に来た。婦長だろうか?
きっと、日曜日だから、いつもの若い看護婦たちが休みなのだろう。
看護師たちが少なめだった。

・あさ8時15分 朝食 ‘ドレッシングがない’

1_2 サラダにドレッシングなどなし

「日曜日はパンなのよ」と、同室の老女の話し声が聞こえてきた。
日曜日のメニューは、パンと決まってるらしい。
彼女は、入院の常連さんなのかもしれない。
すると今度は、80代の老女が、「ドレッシングがない」と騒ぎだし、
60代の老女が、「パン用のメープルシロップが合うよ」と答えてるのが聞こえてきた。
今回のメニューに添えてある調味料は、「塩、ソース、マーガリン&メープルシロップ」。
これだと、サラダに使えるのは塩かソースしかない。
ゆで卵があるんだから、添えるのはマヨネーズのほうがよかったのに。
やっぱり、今回の病院食は変。
さて、私はどうするのかというと、いままでの配膳に出され、
使わなかった調味料をとっておいてたので、
そこからドレッシングを取り出して使用したのだった。
(※老女に分け与えるほど、数をもってるわけでもなし、親しくもなし。)

・ひる12時20分。食前の薬チェック

配膳の10分前に、一人の看護婦が、「食前の薬」のチェックをしに来た。
「食前のくすり飲みました?」と聞くので、
「まだ飲んでないですよ。ほうじ茶が来てないので(配膳がまだなので)」
と私は、のほほんと答えた。
私は、去年の入院時も含め、いつも、食事に添えられている「ほうじ茶」で薬を飲んでる。
なので、動かずにそのままでいたら、看護婦も動かず、ギラギラした目で私を見下ろしてる。
いらだった表情で、‘いま、この場で飲むまで動きません’オーラが出てるので、
しぶしぶ、私は水を汲みに行き、看護婦の目の前で薬を飲んだ。
もしかすると、下剤の時の、排便チェックをした看護婦と同じ人かな?
ものすごい、せっかちさん。

・ひる 0時30分 昼食

 3_3

・同室の老女たちと親しくなる

Cimg1399

カーテンは、ふだん、すべて閉まっていて、空のベッドでさえ様子は見えない。

夕方4時半、カーテンの向こう側で、Img00111
80代の老女が、「今夜のテレビ何があるか聞きに行く!テレビ番組がわからないから、看護婦に聞いて来よう!」と、騒いでる声が聞こえた。
仕事バカな私は(※今は無職)、
‘看護師たちは忙しいんだから、そんなことしたら迷惑でしょ!’と思い、
おもわず相手のカーテンをめくって声をかけてしまった。
驚いたことに、外からは分からなかったが、
中の仕切りカーテンは全開にされ、
ひとつの大部屋になっていた。
そういう使い方もあるのか、とびっくり。
私は、テレビ画面から番組表が見れる方法を
目の前の80代の老女に教えてあげた。
リモコンは、BSも見れるタイプだから、
見た目ややこしそう。
理解してるか微妙だったので、60代の女性に向かって、
「若いから、わかりますよね?」と声かけたら、
老女2人して、へらへらするばかりだった。

これをきっかけに、80代の老女と、すこし親しくなった。
歯磨きの時に、洗面所で80代の老女が私に声をかけて、
「卵巣のところに生まれたときから毛や水がたまてって、
今頃になって大きくなったので手術したのよ」と彼女は言う。
そして、「あなたは?」と聞くので、
ポロッと子宮筋腫を子宮ごととってしまったことを言ってしまった。Img00123
正直に全部言うこともないのに、自己嫌悪。
老女は、「明日、退院なの」といい、
「毎日見舞いに来て、えらい旦那さんだね。」と彼女は私に言った。

・夫が来る

夫は、だいたい2時から4時の間に毎日やってくる。
夜勤に行くついでに、ここに立ち寄ってくるのだ。
彼は、背が高いので、カーテンを開ける前に、
上のレースのところから顔をのぞかせ、
「よっ」とあいさつしてから、カーテンを開ける。
たぶん、設計では、「そんなところからは、
のぞかれないだろう」ということだたろうに、
なんとなく私は「そういうことするのって、ダメじゃね?」と
思うのだった。

・よる6時半 夕食

4

この日は、12月25日、クリスマスだけど、食事はふつうだった。
同室の80代の老女は、「ミートローフが出ると思ったのにー!」とぼやいていた。

・ウォシュレット事件?

夜7時 80代の老女が「ウォッシャブルが壊れてる」と騒いでいた。
トイレのウォシュレットのことだろう。
このところ誰かが、ウォシュレットの水圧調節ダイヤルを最低にしてしまうので、
水流が恥部まで届かず洗浄できなのだった。
私は「ダイヤルを回すといいんですよ」と老女に説明したが理解してもらえず、
彼女は2日間も看護婦にも訴え、騒ぎつづけていた。

Photo
それにしても、だれが、全部の便器の水圧を下げてしまってるのだろう?
ま、掃除婦なのだろうけど、迷惑な話。
.

◆12月26日 (日) ◆

あさ7時。
早朝から、また、同室の80代の老女がが「ウォッシャブルが壊れている」と騒いでいる声が、
遠くから聞えた。
彼女は、今日で退院だ。

・あさ7時15分 

 採尿、採血

・あさ8時朝食

1_3

・担当男性医師がやってくる

あさ8時半 担当の男性医師がやってきて、「退院について考えよう」と言って、
去って行った。

それを見た同室の80代の老女は、色めき立って、
「今の人だれ?名前は?どこの部屋(診察室のこと)にいるの?
会ったことないんだけど?」と質問してきた。
「タケダという先生ですよ。いい感じの先生ですよ」と答えると、
「タケダ?♡」と名前を復唱した。

タケダ先生は、見た目は30代半ばくらいで、身長は170㎝くらいの中肉中背、
がっしりしていて、声もほどよく、私のわがままを受け止められる気さくな医師だ。
担当医師以外は、会う期会がないので、知らないのも無理はないが、
けしてジャニーズ系ではない。

少しして、80代の老女と、60代の老女が退院していった。

・あさ9時半 タオルセットと掃除が入った。
2日後に退院なので、シーツの交換はことわった。
相手のひとは、「助かります」と言った。

・ひる12時半 昼食

2_2

・ひる14時半  一人の妊婦とテレビカード

することもないので、散歩へ出かけた。
といっても、院内の、
1階にあるアイス自販機が目的地。
ふだん、アイスなどの甘いものは食べないのだけど、Img001_3
せっかくのなで、いろんな味を楽しもうと思った次第。
病室を出て、しばらく廊下をすすんだら、
その先に、退院するだろう妊婦と、その家族が、
生まれたての赤ちゃんを囲んでたむろっていた。
わきを通り抜けようとしたら、20代らしきその妊婦が振り返り、
「使わなかったから」と未使用のテレビのカードを,
私にくれようとした。
場所的に、昨日見かけた妊婦かもしれない。
じつは、前日の散歩のとき、
若い妊婦が、配膳片手に、自分の病室(個室)のドアを開けられないでいたので、
開けるのを手伝ってあげたのだ。
きっと陣痛がきてて、力が入らないのだろうと思ったから。
未使用のテレビカードは1000円。
ふだんなら、1000円ももらえるのなら喜びたいところだが、私は、
「出産後はお金がいりようだから、1階の警備所の中に、返金用の機械がありますよ」
と教えてあげ、受け足らなかった。
返金できないのなら、もらうのだけど。

・姑退院の知らせ

夕方3時20分 夫が来た。
そして、数時間前に、骨髄骨折でほかの病院に入院してた姑が退院したと聞かされた。
姑を自宅に送り届けた、その足で、ここに来たと言う。
夫以外は、みんな病人で、仕事のかたわら、
みんなの面倒みてるなんて、すごいと思う。
寝込むほどの風邪をひかない人は、体が、タフだね。
そうして彼は、10分くらい私と会話した後、
「今夜は会社の忘年会」だといって、うきうきと出かけて行った。
なんか、一人の生活でも楽しそうだね。

・夕方4時15分 
執刀した女医と担当のタケダ医師が来て、
「明日検査して、あさっての朝退院しよう」と言った。

・夕方5時シャワー

・よる6時半 夕食

3_4

・夜9時半 就寝アナウンス

・夜、11時、重度貧血の緊急患者が担ぎ込まれる

深夜11時過ぎ、バタバタと数人の足音とともに、あの80代の老女がいたベッドに、
20歳くらいの若い女性が担ぎ込まれた。
点滴で鉄剤などをされてるところをみると、重度貧血のよう。
ケガはしてなさそうだから、生理過多だったのかな?
痛みはないようで、彼女は、静かに寝ている。

騒々しかった老女2人がいなくなったので、
さみしさもあいまって、真夜中の静けさが、なおさら身にしみた。

(つづく)

2018年12月 2日 (日)

子宮筋腫手術日記(7)術後

◆ 手術の次の日 ◆ 2016年12月21日(水)

前日の手術直後から、38度5分の熱が出てしまい、
手術の傷の傷みとは関係なく、体全身がつらくて、一晩中ほとんど眠れなかった。
日赤病院という大病院であっても、高熱の対処は、氷枕と保冷剤のみ。
熱は、なかなか下がらず、3日間、高熱と神経痛に悩まされた。

あさ8時。

朝食の時間だが、朝食なし。けれども、食欲がないので苦でもない。

看護婦が術後の様子を見に来る。
腹帯型包帯をめくって、傷から出血してないか、
腰の下あたりに床ずれはないかをチェックしていく。
一日寝込んだぐらいで、床ずれが起こるとは思えないが、習慣にしてるのだろう。
看護婦は、2~3時間ごと(?)に、確認しに来てた。

私の体には、術後から機器がつけられていて、
これが、まるで拘束されてるようで、不快だった。
もともと、締め付けるようなものは好きではないから、邪魔でしょうがない。
まずは、酸素マスク。
酸素などが出てる感覚は無く、鼻と口が密閉されてるので、いまにも窒息しそう。
両足のひざ下には、加圧ポンプがはめられてあり、
マッサージ器と思えればよかったのだが、足を押さえつけられてるようにしか思えなかった。
尿管。自覚は無いが(麻酔が塗られてるため感覚は無いらしい)、
管がが差し込まれて、ベッドわきの袋にたまってるらしかったが、
夫に見られてたかと思うと、ちょっとはずかしかった。
おむつ。実態は見てないが、寝返り打ちごとにずれて、特大サイズの生理ナプキン?のよう。
下剤で腸の中はからっぽだから、出るものは無いと思うが、
赤ちゃんのようにおむつ替えされたらどうしよう、と心配してたので、
そうされることはなかったので、その点はよかった。
が、おむつは2つ購入したはずだけど、
2枚目に切り替わったのはいつだろう?
手術中なのだろうか?まったく記憶がない。Cimg1383

・あさ10時頃

看護婦がやってきて、‘歩きなさい’という。
そして、
「歩かないと、尿管取れませんよ。弾性スッキングもとれませんよ」という。
看護婦付き添いのもと、転倒防止のための点滴台を持ちながら、
よろよろと、廊下を30mほど歩いた。
クリアしたので、尿管と加圧ポンプなどが外された。

しかし、室温26℃設定(28度だったかな?)だとはいえ、
冬の点滴台の金属部は、触ると超冷たい。
今回のは、取っ手がプラスチックでなく、
金属だけのものだったので、触るのがしんどかった。

・ひる12時半。

昼食なし。 
「水分はとっていい」とのこと。

午後は、なんの予定もなく、することがなかったので、ぼーっとすごした。
高熱が続いてたので、テレビを見る気力が起きず、
かといって、眠くもないので、もてあました。
ラジオがあればよかったのかも。

・よる6時半 

術後初めての食事。

夕食 おもゆ (全部汁ものだけ)
Photo

出されたものはすべて水分だけだった。
おもゆ、スープ、お茶、ゼリー、ヨーグルト。
食欲なかったが、なんとか時間をかけて完食。
カラの御膳をもって通路に出たら、配膳台車が去ろうとしてるところだったので、
小走りで追いかけて渡した。
が、その直後、食べたのも全部リバース(吐き戻す)。
ギリ洗面所に間に合って、セーフだったが、
無理して食べたのがいけなかったんだろう。
この次は、がんばって食べないことにした。
配膳台は、エレベーターのわきに、24時間置かれてるから、
あわてることはなかったのだ。

・よる9時15分、就寝時間。

夜12時すぎても、まったく、眠れず。
高熱はあるし、手術で疲弊してるはずなのに、眠れなかった。
よその場所に来てるせい?
本を読んでまぎらわそうにも、周りに光が漏れると怒られそうで出来ない。
自宅だったら、録画したものの見る気がおきない映画を見ちゃうのに。
不眠のときは、気難しい映画内容でも、地中で眠らずに成し遂げられるから、
不眠有効利用できるのだ。

睡眠薬は、ナースステーションで言えば出してもらえるとのことだったけど、
悩んだあげく、しなかった。
結局、朝まで眠れず。

.

術後2日目◆ 12月22日 (木)

一睡もできず、朝を迎え、朝6時15分、検温、検圧。

・あさ、8時15分 朝食 三分がゆ

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・ひる 12時半 五分がゆ

2_2

ひる2時

新担当医師の美人女医と旧担当の男性医師が、私のベッドにやって来た。
女医が「ガス・うんちでました?」と聞くので、「出てないですよ」と私は答えると、
途端に、女医さんの顔が曇った。
Img0016
Cimg1435
私は、言い訳がてら
「食べたのさっきですし、ゆうべのは全部、
吐いてしまったので・・・・」というと、
「他の人は、出してるんです」と、ちょっと怒った口調で女医は言い、
二人は、去っていった。

‘出る人は、宿便があったんじゃないの?’と思う。

しばらくしてから、下剤2種がベッドに届けられた。
大建中湯エキス顆粒と酸化マグネシウム顆粒。
一つは、腸の中を潤わせ、もう一つは、便をやわらかくするものだという。

飲んでみたら、‘腸内うるわす’作用が効きすぎてか、
下痢というより、ほとんど透明な液体ばかりが出る。
そのことを来た看護婦に伝えたら、「片方の薬だけでいいですよ」ということになった。
これらの薬は腸内のの動きが活発にするということで、
飲めば、おもしろいように、するすると出た。
腹痛などは起らない。
過敏性腸炎のときに、この薬はもってこいかもしれない。
十二指腸あたりで、下痢がはじまったとき、肛門まで到着するのに、
30分~1時間かかる時があり、出るまで死ぬ苦しみを味わうから、
この薬によって、軽減されるかも。

・ひる2時半 脊髄の注射針抜き

ようやく、背中にあった脊髄の部分麻酔の注射が外された。

同室の入院してる女性が、担当医師に、
「酸素マスク外したい」とごねてるのが聞こえてきた。
酸素マスクに閉塞感を感じるのは、私だけでなかったらしい。

またもう一人は、手術中に口に入れられた麻酔菅(?)のせいで、
「声が出ない」としゃがれた声で看護師に訴えているのが聞こえた。
「しかたないこと」だし、「そのうち出るようになる」と、看護婦が答えていたように思う。

・よる 6時半 夕食 全粥
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この夜もまったく眠れず。
ぼーっとしてるうちに朝になった。

◆  術後3日目 12月23日 (金) ◆

熱が下がって、元気が出てきた。

・朝6時20分ごろ 検温、血圧

・あさ8時 朝食 今日から普通の食事
1_2
Cimg1395

昨日背中の注射を抜いたばかりで、シャワーも浴びれないため、
洗面所で先髪だけをした。ドライヤーはナースステーションで借りられる。(→写真)

・あさ10時20分 避難

目の前のベッドの患者が、そのまま寝てるベッドでレントゲンを撮るという。
ベッドに寝てた私に、看護婦のひとりが、「逃げて!!」というので、
着の身着のまま走り出したら、10m進んだあたりで、「もう大丈夫です」と声をかけられた。
ベッドでレントゲンを撮るなんて、彼女は、いったいなんの病気なのだろう?

・ひる 12時半 昼食
2


めまいと頭痛で夕方4時までダウン。
体が回復してないのに、シャンプーが早すぎた?

尿道の調子がもどる。尿管の後遺症で少し出方がおかしかったのだ。

・夕方 6時半 夕食

3_3

・夜7時  【クリスマス会】 (※24日、25日は土日のため)Llpd

放送で、クリスマス会の説明があったあと、
たくさんの看護師たちが廊下に現れた。
男女の看護師たちは、それぞれキャンドルを持ち、
廊下に一列に並んでクリスマスソングを歌い始めた。
4~6曲は歌っただろうか。
英語のところは、自信がないのか、ごにょごにょ歌うので、
看護師は英語が達者だと思っていた私は、
ちょっと笑ってしまった。
歌い終わると、数人の看護師が、ベッドに横になっている私たちに、
順番に手渡しで、一枚のカードをくれたのだった。
クリスマス会が明日の24日でなかったのは、
土曜、日曜で医者と病院が休みだからだろう。
束の間だったが、めずらしい光景を見ることが出来て、楽しかった。

Photo_3 もらったカード

     無事、手術が終わり、ほっとしましたね。
     来年は、今年以上に、良い年になりますね。
          2-3病棟 スタッフ一同

【入院中の、ちょっとマメ節約】

◇ テレビ ◇

テレビは、1000円の専用カードで1000分見ることができる。
(イヤホンがないと音が聞こえないので、イヤホンは、持参するか、院内の売店で購入を。)
テレビの中の番組表で「視聴予約」設定をすれば、
見たい番組がきっちりの時間に点き、
「もうじき始まるからつけとこう」の数分の無駄を省ける。
ただし、医者から呼び出しがかからない夕方時5時以降がおすすめ。
基本、「残数の金額は返金しない」というが、
私の入院してた病院では、警備室に、このカードの返金機があり、
現金で、残量がもどってきので、あきらめず、病院に聞いてみましょう。

2_2 テレビ視聴カード

◇ 飲み物 ◇

ペットボトル飲料は、女性には、ちょっと飲みきれない。
そこで、談話室(家族や見舞いの人が集うところ)には、
出す量が調節できるお茶やお湯が出る給湯器があるので、それを活用。
薬を飲みたい時や、口を潤したいだけのときには、最適だ。

◇ 残した、食事のデザート ◇

食事の量が多いわけじゃないが、寝たきりだし、体調などの関係で、
デザートを手つかずで残してしまうことがある。
これだって、料金に組み込まれてるものなのだから、
無駄にするのは、もったいない。
保存がきくものであれば、談話室の冷蔵庫に保管がおすすめ。
談話室には、患者が利用していい冷蔵庫があって、
私物にはマジックで名前を書くことになってるが、
水滴で、字を書くことは難しい。
そこで、配膳についてる名前入り用紙を使い、
薬についてた輪ゴムで包むと、区別がつきやすい。

もっとも、配膳用紙の名前を確認しながら、
食べた量をチェックしてる病院では不向きだけども。

2p_3

(つづく)

2018年11月11日 (日)

子宮筋腫手術日記(6)手術

◆ 手術当日 ◆ 2017年12月20日(火)

手術の予定は、昼の12時半。
胃腸を空っぽにしなければいけないので、
朝6時から断食に入る。 ただし、10時までは水分補給OK。
下剤を使うせいか、犬猫の手術のように『丸一日断食』にならず、楽である。

【食事制限】
・あさ6時~10時 水分500mlまで飲める
 
 (X果実入り、抹茶入り、乳製品、濁ったもの、炭酸、コーヒ―、紅茶などのカフェイン入りはダメ)
・あさ10時から禁飲食=断食

*************************************

<手術当日の行動>

AM6時20分

ベッドにて検温(36度7分)、血圧測定

・AM6時40分

【浣腸】
処置室へ行き、ベッドの上でくの字に横になり、
看護婦から、液体の下剤を、肛門に浣腸される。
そしたら、目の前にある個室トイレに入り、
薬が腸を浸透するまで、2~3分、出すのを我慢したのち、
腸内のものを出しきる。
途中、看護婦がドア外から「まだですか、まだですか!?」と、うるさくせかしだし、落ち着かない。
腸は、8メートル以上あるから時間がかかるというのに、まったく勘弁してほしい。
流す前に、看護婦のチェックが入り、目視だけで、
「排泄物が全部出しきれたか」を確認。Img0012
ふつうの洋式便器のため水に沈んでるものを、
そんなやりかたでわかるとは思えないが、とりあえず、
「はい、オーケーでーす!」の言葉はもらえ、終了した。

前に手術入院しかけた個人病院では、たしか、
下剤は小瓶に入った透明液体で、
戦時中の自決用青酸カリを連想させて、怖くて飲めなかったが、
今回のは「浣腸」だったので、勇気をふるう必要はなく、よかった。
「トイレが遠くてもれそうだった」と言う話もきいてたけど、
便器まで、10歩もかからないほど近かったので、
もれる心配もなかった。
また、「浣腸スタイル」が、「四つん這い」でなかったので、
恥ずかしいことにならず、ほっとした。

・AM9時

【手術前の最後の体洗浄、体ふき】
病室のベッドに、ホットタオル3つが届けられ、それで体をふいた。
術後、いつ、シャワーを浴びれるかはわからないので、
しっかり、ふきたかったが、毎度ながら、タオルは完全脱水されてるから、Img0013
ふいた気がしなかった。
タオルは、手絞りか、脱水時間を20秒程度におさえたほうが、
ほどよい湿り気になると思う。

【手術着】
手術着が、ベッドまで届けられた。
形は、着物のように、前合わせで、腰ひもでむすぶタイプ。
脱着しやすいよう、肩にホックがつらないっている。
上半身裸、下半身は、パジャマズボンとパンツの格好の上に、
手術着をはおう。

【左手首に点滴用の注射針、装着】
ベッドに看護婦が来て、
左手首に水分補給点滴用の注射針をしこまれた。
針が太めなので、刺すときすこし痛かった。
私は、
「けんしょう炎で使い物にならない右手のほうにしてほしい」と、Photo
針を刺す前に、お願いしてみたが、
「左手と決められてるので」と断られてしまった。
心臓の場所と関係あるのかもしれないが、
左利きの人は、不便かもしれない、と思った。

・AM10時

【弾性ストッキング】
売店で買わされた弾圧ストッキングを履いた。
エコノミー症候群予防というけど、
家にあるハイソックスより、ゆるゆるだ。
一日しか使わないので、使い回しで充分だと思うけど、
買取り商品。
学校の教材と同じで、ムダな出費だ。

・AM11時

【硬膜外麻酔】5
手術のときは、麻酔は、血管と脊髄にの2ヶ所に入れる。
まずは、脊髄の注射をする。(←痛みどめ用)
車いすの乗せられ、看護婦の手押しで、1階の麻酔科へ。
点滴してるので、両足は点滴台に乗せたほうが、
車いすと一体化して、移動がしやすいと、言われた。
麻酔科につくと、診察ベッドに横向きに胎児のように丸まり、
背中をさらけだして待った。

脊髄注射は、まれに神経を傷つけ、
半身不随などにになることもあるそうなので、
少し不安だった。
雨上がり決死隊の宮迫博之さんが、
‘脊髄注射はものすごく痛い’と言っていたので、
なおさらだった。Mini

注射は、
腰と背中の中間の脊髄に、
太そうな針がぐりぐりと入る感覚があった。

薬が、注入されると、
皮膚の下を、木の根が伸びていくような、
さらに、その先を葉っぱが開くような、
異様な刺激を感じた。

新世紀エヴァンゲリオンの23話、
綾波レイが自爆死する直前の、
使徒による浸食を連想させた。(※エヴァの綾波レイ→)

部屋に帰る道すがらも、
看護婦が、私の車いすを押して行った。
車いすを利用するのは、
この注射で、ふらついてしまう人がいるからだそう。
転倒防止対策なのだそうだ。
私は、車いすというものを、
ほとんど乗ったことがなかったので、
アトラクションみたいで、ちょっと楽しかった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「麻酔のしおり」から

2e

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・AM12時。

【夫が来る】
手術の立会人の、夫がやってきた。Photo_2
ふと、彼に目をやった瞬間、
背後の通路に、
ストレッチャーが、横づけしてあるのが目に入った。
それはまるで、看守のように、
私が逃げ出さないよう見張ってるかのようで、
ギョッとしてしまった。
嫌な感じ・・・。

・AM12時半

【手術室へ】
ストレッチャーがベッドに横づけされ、
私は、指示に従い、パジャマのズボンを脱いで、
ストレッチャーの上に横になった。
毛布をかけられ、ゴロゴロと音をさせながら、
運ばれた先は、手術の象徴ともいえる、
あのライトの下だった。
‘まさか、この私が、ほんとに!?’
手術なんて、目の前の出来事に信じられなかった。
看護婦が、「下着を取ってください」というので、
ぬいで看護婦に手渡したが、
勝負パンツに変えるのを忘れてたことに気が付いた。
もっといいパンツ持ってきてたのに、というか、
ベッドからノーパンでよかったんじゃない?ストレッチャー移動なんだし。

ストレッチャーから、手術台に移動し、横になった。
左手首に仕込まれてる注射針に、薬が注入され、
ピリッと刺激がきたかと思った瞬間、意識はとんでいた。

麻酔は、私のイメージでは、酸素マスク的な、または、
口にくわえた筒からされるのかと思っていたので、
呼吸が、うまく出来なかったらどうしよう、といった心配があった。
現に、事前の説明で、麻酔の女医が、
「麻酔の筒を噛みすぎて歯が折れることもある」と言っていたから、
閉所恐怖症がうずきそうで不安だった。

けれど、実際のところ、麻酔は、腕にしこまれた注射針からだった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「麻酔のしおり」から

6p

2p_2

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「麻酔のしおり」から

3p

2oy ←子供は点滴から麻酔

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

【術後の目覚め】
手術は予定通り、2時間くらいで終ったらしい。Cimg3307

私は、ハッと目覚めると、白い天井が目に入った。
と同時に強烈な寒さに襲われた。
まるで、雪山遭難したかのような、耐えがたい寒さ。
いまにも凍死しそうなほどで、気が変にもなりそう。
この状況を、早く誰かに何とかしてもらいたくて、
「寒い、寒い」と声に出し、
おおげさな程に、体を揺らし震わせた。
閉じてる目を、再び開けて見ると、
動揺し、不安でこわばった夫の顔が見えた。
しばらくして電気毛布が運ばれ、数枚の毛布と共に、
私のからだを覆った。
しかし、すぐには温まらず、安堵出来たのは、
15分ぐらい経ってからだった。
が、温まったのもつかの間、
今度は、猛烈な暑さに見舞われ、
パニック障害の発作がうずきだしたのだった。
不安、過呼吸、動悸、めまい。
これらが発動しそうだった。
経験者しかわからないが、Cimg3306
これもまた死の苦しみなのだ。
私は、発動させまいと、
いそいで「電気毛布をどけて」と言った。
だが、一人の看護婦が、
「電気毛布は使ってません」と、
冷たく言い放ったのだった。
じゃぁ、この熱いのは何??
とりあえず、夫に毛布をめくってよけてもらっ
てたところ、
別の看護婦がやってきて、
「電気毛布、持っていきますね」と言って、
片づけていったのだった。
(ムムム・・・、電気毛布あったじゃん・・・)

私は、これらの作業は、
病室に着いてからのことだと思っていたが、
あとで夫から聞かされたことには、
手術室のエレバーター前でのこと
だったらしい。(=待合室前)
つまりは、移動中での出来事だったそうだが、
乗せられてるベッドが、動いてたなんて、
まったくわからなかった。
自覚はないが、麻酔でもうろうしていた
のかもしれない。

しばらくして、体温計ではかると、
38度5分の高熱が出ていたことがわかった。
免疫力、病気への抵抗力が低いから、
手術で高熱が出てしまったのかな?
虚弱体質な人は、
体調変化が起きやすいから、
対処が機敏な、設備がそろった病院で
手術はしたほうがいいと実感した。
あの、個人病院で、手術してたら、
どうなってただろうと思う。

高熱対策に、氷のうが届けられた。Img0011112_2
しばらく、我慢するしかないらしい。

【寝返り】
術後も、まだ、脊髄に針が差しこまれ、部分麻酔がされていた。
そのおかげで、手術傷の痛みはなかったが、
高熱の神経痛のようなものにはきかないようだった。
熱で体がつらい。苦しい。じっとしていられない。
たえず、1分ごとに寝返りを打つが、なんともいえない体のつらさは消えない。
手術で体が疲弊してるにもかかわらず、まったく眠れないし、不安が心をしめていく。
手足についた、医療器具は、全身拘束にかんじ、
はりつけされた実験動物になったかのようで、ストレスがたまる。
両足には、エコノミー症候群予防の加圧ポンプ。
左手は点滴、口には酸素マスク、
胸の上には麻酔のキッドの袋、オムツに包帯代わりの太いガーゼベルト、尿管・・・。
もともと、体をしめつけたり、何かがまとわりついてるのは苦手だから、
これらが、うっとおしくて、しかたなかった。
高濃度酸素なんだろうけど、
酸素マスクなんてものは、かえって窒息になりそうで、
口の上に置いてるだけでも、耐えがたかった。
どうしちゃったの、自分。死んじゃうの?
天国へ旅立った、ペットたちを思い起こさせ、心が寒くなる。
みんな、これらの恐怖を超えて、あの世へ旅立っていった。
私には、こんなもの越えられそうもない。

真夜中、何度か看護婦が来て、毛布をめくり、手術の傷や、M
点滴などをチェックしていった。

次の日の朝、看護婦がやってきて、
ひんぱんにする私の寝返りをみて、
「寝返りうてるんですね!」と、
少し驚いた口調で言った。
他の人は寝返りうてないのだろうか?と思いつつ、
「えぇ、まぁ」と照れてみせた。

寝返りの方法は、だいぶ前に、
NHKで見かけ、覚えてたものだ。

「てこの原理」で、
‘腕を寝返り打ちたいほうに置き、片足で背後をけり押す。’

介護番組でで石立鉄男さんが、
介護される役になって紹介してた。

ファンだった石立鉄男さんが、
知らぬ間に、老人になってて、ショックを覚えた番組。

次回、術後の生活

(つづく)

2018年11月 4日 (日)

子宮筋腫手術日記(5)入院

◆ 子宮筋腫手術入院の初日 ◆ 

・入院の手続き
2016年12月19日、月曜日。
朝9時半に来院すると、一階の奥まったところにある入院相談室というところで、
入院手続きをした。
この日は、入院する人がたくさんいて、想像以上に混雑していた。
手続きには、印を押したり、サインをしたり、必要な書類など提出するものがいろいろあり、
手術のことだけでも頭がいっぱいなのに、なかなかめんどうな作業だった。

それを終えると、一人の看護婦に導かれ、自分の病室へと案内された。
病室は、偶然にも前年に緊急入院した時と同じで、
ベッドの場所が向きが逆以外は、「入口そば」も一緒だった。
これでは、もうろうとしたときに、前回のベッド、つまり、
間違えて「反対側にある他人のベッド」に行ってしまいそうだったので、
前年と同じベッドに変えてもらった。
そのベッドは、まだ誰も入ってなくて、たまたま空いていた。
看護婦の話しだと、
『ナースステーションのパソコンに入力確定の前であれば、ベッドの場所の変更はできる』
とのことだった。

と、まぁ、このときは‘前年と同じ病室とベッド’と、思っていたのだが、
実際のところは、前年の入院のベッドは、隣の部屋だったらしい。
この入院中、一度だけへやを間違えたことがあって、
カーテンをめくってみたら、知らない人がベッドに寝ていて、ぎょぎょっ!!とびっくり。
脳では忘れていたのに、体が、前回の入院部屋を記憶していたらしい。
一度身に着けた帰巣本能ってあなどれないものなのだ。

・体調チェック
自分の入院ベッドが決定すると、看護婦がやって来て、入院前の体調チェックである、
採血、血圧、体温測定をした。
数年前の別の病院での入院時に、微熱で入院が中止になったことがあったので、
もともと37度と体温が高い私は、今回も帰されるのではないかと、ドキドキした。
肝っ玉が小さいから、知恵熱的なものがでないともかぎらない。
私のわきの下から、電子体温計を取り出すと、表示は、37℃だった。
どうなるのかと看護婦の顔を見やると、彼女は平然としていて、なんの問題にもならなかった。
さすが、大きな病院。多少の熱でも対応できるってことね?
そして、ふと、カルテに目をやったら、余白に「平均体温 36.9度」と手書き文字が見えた。
昨年の入院で、私の体温が高いことが、ちゃんと引きつがれていたってことらしい。


・病院のパジャマセット
しばらくして、病院の『入院セットレンタル』の、
レンタルパジャマ(2着)、バスタオル1枚、フェイスタオル4枚がベッドまで届けられた。
レンタル代324円×入院日数。
私としては、お金節約のつもりで、自前のパジャマを使いたかったのだが、
夫が、「洗い物を増やしたくない」と拒んだため、レンタルになったのだった。
病院のパジャマはウエストのゴムがきついのが難点。ま、しかたあるまい。

同室の80代の老女が、あるとき、「若い人は、レンタルパジャマを使うよね」と私に言ってきたが、
周りを見渡せば、たしかに高齢者ほど、着てるものは、自前のルームウェアだ。
たぶん、レンタルパジャマは、丈の長さや、ウエストの幅が、高齢者には、合わないのだと思う。

・「入院診療計画書」を渡される
さらにしばらくして、看護婦から「入院診療計画書」という入院予定表を渡された。
それには、入院から、退院までの日数がきちんと決められてあり、
「食事」「シャワー」「排泄」「くすり」などの行程が、事細かに書かれてあった。
このとき、ようやく、自分の退院の日が、12月28日だということを知った。
やっぱり、型にはまった工程は、あったのだ。
入院は10日間・・・、これくらい、あのとき電話で教えてくれたっていいのに!

さっそく夫は、次の日すぐに、退院日にも仕事が休めるよう、会社に休暇届を出したのだった。

Cimg3794p 入院診療計画書

・手術セット購入
時間が空いたので、このすきに、
手術に必要な、『手術用Cセット 2592円』を院内のコンビニで購入した。
どういうわけか、これらは、自分で用意しなければいけないのだ。
数年前に、個人病院で手術入院しなければならなかったときは、
手術用おむつをどこで買ったらいいかわからなくて、
店を探し歩いた苦労の経験があったので、
病院の中ですべてを買い揃えることが出来るのは、なんて楽だろうと思う。

Cセットの中身は、
腹帯2枚(包帯の代わりに傷を覆う、ガーゼで出来たコルセット形)、
紙オムツ2枚(見てないが、大きな生理ナプキンのよう?)
T字帯(オムツを固定させるための、ふんどし。)

少し前に、入院中の義母のオムツの状態を知ったこともあって、
「オムツをつけなければいけない」という私の屈辱感は少しは和らいだかんじだ。

ただ、それを付けた後、どうなるのかは分らず、恥ずかしいことにならなければいいが、
と願うばかり。

Photo_2 手術Cセットと弾性ストッキング

・爪切り
午前11時ごろ、看護婦が来て、爪切りを渡された。
両手両足の爪を、白いところが見えなくなるくらいまで切れと言う。
理由は聞かないでしまったが、どうやら、爪の中のばい菌で感染症になるのを防ぐためらしい。
それにしても、おもちゃのような小さな爪切りだったので、持ちづらいうえ固く切りづらかった。
病院でしょっちゅう使うものなんだし、よく切れるふつうの爪切りを常備してればいいのにと思う。
きっとこれは、看護婦のマイ爪切にちがいない。

・無駄毛処理
昼12時。
処置室に通され、無駄毛処理をされることになった。
お腹の手術だから、アンダーヘアは剃ることは、あらかじめ知っていたので、
昨夜のうちに自宅で自分で処理してきてた。
少し前にテレビで、アイドルの指原梨乃が、半ヌード写真集を出した時に、
自分で陰毛をそった話をしていたので、それを思い出しながら、私も頑張ったのだ。
コツは、はさみで短く切ってから、カミソリで剃る。
毛は、いきなりカミソリだと、うまく切れない。
自分では見えない場所だし、風呂場の鏡は見えないし、
手探りでやれねばならず、かなりヒヤヒヤした。
場所が場所だけに、傷つけたら、大変なことになってしまう。


というわけで、処置室に入るなり、私は、「処理してきましたから」と、
無駄毛処理を拒否したら、
「でも、へそ毛が・・・」と看護婦が言うのだった。
「へそ毛?」と疑問顔の私、
しかたなく、しぶしぶ、ズボンと下着を脱ぎ、産婦人科特有のイスに乗ると、
看護婦はカミソリを持って近づいてきた。
そして、恥部のところを見て「あぁ、(毛は)大丈夫ですね」と言い、続けておなかを見て、
「あれ?へそ毛ない!」と、その若い看護婦は驚きの声をあげた。
女性でもへそ毛はえるのだろうか?
もともと私の体毛は薄いので、腕毛もすね毛もほとんど生えてないのだ。

これで病室に帰れるのかと思いきや、今度は、「おへそをきれいにする」という。
看護婦は、綿棒とオリーブオイルを使って、私のおへそを丹念に時間をかけて掃除をしだした。
‘ぬかった、おへそは掃除してこなかった・・・。’と後悔。
ノーパン開脚のまま、約5分。
おへそというのは、指や、タオルでクリクリと洗ったくらいじゃ、きれいにならない。
「へそのごま」という言葉があるように、へその奥のしわには、
黒い垢がたまりやすいのだ。
昔、アイドルさがしの人が、「おへそをきれいにしない子が多いのよね」と、
オリーブオイルと綿棒で、若い娘のおへそをきれいにしてから、
オーディションさせてたのをテレビで見たことがある。
とはいえ、おへそをきれいに洗ってこようが、手術の切り口になるところだから、
掃除されるはめになったとは思うが・・・。
しかし、その間、布をかけるなり、下着ぐらいはかせてもらってもよくない?
とおもうのだった。
部屋には、看護婦と二人きりではあるけど、やっぱり、女同志でも、
ちょっと下半身丸出しはねぇ・・・。

そういえば、20年前くらいに、
アンダーヘア専門店なるものが、テレビで紹介されてたけど、どうなった?
毛染めとか、編み込みするってことだったけど?

・ ランチ (昼12時半)
手術は、次の日。
この日までは、食事制限はなく、普通の食事ができた。
1 普通の食事

・手術法の説明
午後3時。
私を執刀するという女医から説明を受けた。
内診の膣からのエコーのあと、私の筋腫が大きすぎるという理由で、
「場合によってはへその上まで切り込みを入れることになります」という。
そうなったら、きっと気分がずっと落ち込み立ち直れないだろう。
筋腫は、切り刻んで取り出せないものなのかしら?
Cimg6532p 女医が描いた「場合によってはへそのわきまで切るの図」

・シャワー (一畳ほどの個室で湯船はない)  使用は無料。
夕方5時、込み合う前にと、通路の角にあるシャワー室で、体を洗った。
次の日が手術で、そのあとは、いつシャワーできるかわからないので、ふだん以上に丹念に。

・夕食 (夕方6時半)
手術前の最後の食事。
2普通の食事

・採尿について
前回の入院同様、今回もトイレに行くたび、採尿しなければいけなかった。
点滴した水分が、ちゃんと体外に出ているかチェックするためだ。
採尿は、自分専用に渡された計量カップに、尿をして、
量と時間を用紙に記入する。(尿は捨てる。自己申告)
これが、意外と大変なのだった。
計量カップが大きいものだから、洋式便器とおしりとの間を、
どこにもさわらずに移動させる慎重さが求められた。
あわてればこぼれるし、ちょっとぶつけただけでもこぼれる。
今回は、利き手がけんしょう炎になって痛いから、なおさら大変だった。
何度かやってるうちに、「後ろ手」ではなくて、
股から、カップを出しいれすれば簡単なことにようやく気が付いたが、
私は潔癖症なので、どっちにせよ、不衛生なことは嫌なのだった。

Cimg1397 採尿コーナー

・睡眠
就寝は、夜9時15分。
昼間、看護婦が「夜眠れますか?眠れないと治りが遅くなりますよ」と言ってた。
私はふだん、寝入りが早いので大丈夫だと高をくくっていたが、
なんと、入院初日から不眠症に!
手術への不安や緊張かどうかは、わからない。
眠れない時は、ナースステーションに言えば、睡眠薬を処方してもらえると言われたが、
毎晩、悩み悩んだあげく毎回そのまま朝を迎え、薬をもらうことはしなかった。
「傷の治りが遅い」とは、いわれなかったので、
とりあえずは、大丈夫だったのだろう。
.

次回、手術の話・・・。

(つづく)

2018年10月28日 (日)

子宮筋腫手術日記(4)術前にやること

◆ 入院直前のできごと 

子宮筋腫の手術予定日か決まり、しばらくたったころ、
テレビで、私と同じく子宮筋腫手術をするというタレントの矢部美穂さんのニュースを目にした。

◇ 【 タレント矢部美穂さんの子宮筋腫手術 】 ◇
2016年10月22日ごろ、テレビで、
『矢部美穂さんが子宮筋腫の手術を受けることをブログで発表した』ということが、
とりあげられていた。
筋腫は大きいもので6㎝、小さいものが8~10個があるという。
全開腹手術になるだろうとのことだったが、「UAE手術」に変更したそうだ。
それは、筋腫を大きくさせる養分や酸素を運ぶ血流を一時的に止め、
筋腫を、小さくさせたり、死滅させる方法だと言う。
10月25日に手術は終了したと、後日、報道された。

東京であれば、いろいろな手術法があり、そこから選択できるのがうらやましい。
何かを実現させるためには、交渉能力も必要になるから、
コミュニュケーションが下手な私にとっては、身近なところで解決するしか方法がない。

.

◇ 【 「立会いの日」は、本人ですら電話では教えてもらえない? 】 ◇
2016年10月31日。
夫から、
「会社に休日願を出したいので、入院中の『立ち会わなければいけない日』を聞いておいてほしい」
と、言われた。
それを聞いて、なんとマヌケな私だろうと思った。
手術の不安ばかりで、そんな大事なことを想定していなかった。
入院の日も、退院の日も、何にも知らない。
すっかり、受け身な体勢だった。

すぐに、自宅の固定電話から電話した。
日赤病院内の産婦人科の受付につないでもらうと、
「次回の診察の時ではダメですか?」と電話相手の若い看護婦は何度も言うのだった。
なので私も、
「ダメなんです。2ヶ月前までに夫の会社に連絡しないといけないので。」
と、何度も答えなければならなかった。
次回の通院日はというと、11月25日である。
入院は12月19日だから、それだと3週間前になってしまう。
どう考えたって、職場に休日願を出すには、遅すぎだ。
しかし、相手の看護婦は同じ言葉のくり返すばかりで、答えてくれないのだった。
しかたなく、質問の仕方を変えて、「じゃぁ入院日と退院日はいつですか?」と聞いてみたが、
やはり、うやむやにして、おしえてくれない。
私がしつこくきいてるせいか、電話相手が中年の女性に代わったが、
こんどは、私が何を言っても返事は無言で、
しまいには、「カルテを見てから折り返し電話します」といってきた。
私はようやく電話を切ったが、1時間以上待ってもかかってくることはなかった。
聞き方がまずかったのかと思い、夜勤で寝てた夫を起こし、
固定電話から、かけてもらったが、
夫の話力をもってしても、教えてもらうことはできなかった。

個人情報保護法で、教えてくれないのかもしれないが、
聞いてるのは、私本人。
しっかり、カルテにも書いてある自宅の電話番号からかけてるのに、
どうしたら、本人だとわかってもらえるのだろう?
他人に入院情報がもれても、私は、べつに問題はない。
情報を隠すか、隠さないかの選択を、あらかじめ聞いて決めておけばいいのに!

しかたないので、だいたいで休暇願いの日にちを決め、
夫は自身の会社に連絡するしかなかった。
子宮筋腫の手術は、珍しくはないから、
入院日がわかれば、退院の日も決まっていそうなものを。
‘ルーティン(決まりの手順)はないのだろうか?’と私は不満に思った。
.

◇ 【 術前検査 】 ◇
2016年11月25日。
問診の時に、担当医師に、立会いの日や手術の日を聞いたら、
拍子抜けするくらい、あっさり教えてくれた。
まったく、個人情報保護法ってやつは・・・(怒)。

生理を止める、リュープロレリン注射は5回目の今回で、最終だった。

この日は、手術に備えての検査があった。 
  血圧測定
  体重測定
  エイズ検査の書類にサイン (←エイズだったら前回に入院した時の輸血のせいになるよ)
  尿検査
  血液検査
  梅毒検査
  肺活量検査(筒をくわえて息を吐く)
  心電図
  胸部(?)のレントゲン
  入院の説明
  ・・・など47項目調べられた

 医療費:12490円

◇【 入院の保証人 】 ◇ 

保証人の用紙を渡され、サインをもらってくるように言われた。
保証人は、「同居してない人」でないといけないらしい。
もともと、私には親族がほとんどなく、頼める人が少なくて、結局、実母に頼るしかなかった。
できるなら義父母のほうがよかったが、姑が緊急入院してしまい、それどころじゃないし、
私の姉は、そういうことしてくれるタイプじゃない。
母は、昔から、なんでも、いやらしいほうに解釈しがちなので、病気のこと自体話したくなかった。
子供時代から、そりが合わず、いまも、週に一度は、なじられる。
母にとって私のどこが気に食わないのか、ともかく、相談できる相手ではなかった。

2016年11月29日。
勇気を振り絞って、「入院の保証人にサインして」と私は、用紙を母に差し出した。
ひわいなこと言われるのではと、ひやひやしたが、
意外なことに、母は、「何の病気なの?」と聞いたきり、追及はせず、
無言で、ささっと名前を書いてくれたのだった。

それにしても、
いったい、なんのために保証人が必要なのだろう?
治療費未払いの心配?
それならば、あらかじめ、病院側に100万円を預けておいてもかまわないし、
100万円以上かかる場合は・・・・・、銀行に残高を聞いてよ。
もしくは、万が一に死んだときの遺体の後始末の心配?
私に身寄りがないのであれば、死んだあとは、検体なり、合同葬なり、
すきにしてかまわない。

もし、大金があるものの、身寄りのない、保証人がいない孤立無援の場合は、
入院や治療ができないというのだろうか?
なんだか、日本って、めんどくさい。

・2016年12月1日 一年前の退院から、通院12回目
術前検査の検査結果を聞いただけで今回の診察は終了。
 術前検査の結果は異常なし
  血中のヘモグロビン(鉄分)12.8(正常)

男性の担当医師から、「おれが手術してあげられればよかったんだが・・・」、と残念そうに、
私の手術の執刀が別の医師になったことを告げられた。

  医察料:220円

30分もかからなかったので、駐車料金かからなかった。  
.

・2016年12月13日 通院13回目
麻酔担当の美人女医から麻酔の説明を受ける。
赤いほお紅、バサバサのつけまつげ、栗色の髪。
20代?と思われる若く、医者とおもえないほどの、なかなかの美女だった。 
  
【 麻酔の注意事項 】
  ・全身麻酔に加え、局部麻酔の腰に打つ「硬膜外麻酔」もするとのこと
   場合に寄り、神経損傷になるおそれあり。
  ・麻酔の口チューブで、かみしめるあまり、歯が折れることもあり、その時は、歯医者へ

・術前に薬を飲んでは、ダメ だそうだ
 麻酔の女医に、
 「
頭が痛かったので、バファリンを飲んだ」となにげなく告げたら、目を丸くされてしまった。
 「飲んだのは、いつ?」と聞くので、「先月かな?」と答えた。
 「
バファリンは、血液をさらさらにして、手術の時、血が固まらなくなるから、飲まないで」と、
 注意されてしまった。
 あとでメモを見たら、バファリンを飲んだのは先週だった。
 1錠しか飲んでないし、手術まで7日もあるから、それまで、体から排泄されてくれるでしょ?
 実際、12月20日の手術時に、‘血が止まらない’といった問題は聞かされてないので、
 大丈夫だったと思う。

 医療費:220円
.

◇ 【 こんな時に、頼みの姑が腰椎骨折で、緊急入院 】 ◇

私が入院中、夫のことは、義父母に任せるつもりだった。
家事は、夫が自身でできるので、「心のよりどころ」といったところだろうか。
ところが、突如、姑が入院してしまったのだった。

姑は、2016年11月19日の早朝5時、トイレに行こうと立ち上がったとき、
自分の布団のへりにつまづき、しりもちをついたところ、腰椎を骨折してしまったという。
そのまま起き上がることが出来なくなり、トイレに行けないから、
舅用に買っておいた成人オムツで用で足し、救急車を待ったそうだ。
ちゃんと診察してもらいたかったので、病院が始まる8時までの3時間、
電話を我慢してたそう。

私には、そんなふうに痛みに耐えることはできそうもない。
しかも、「オムツを利用した」だなんて、恥ずかしげも言えるなんて、すごいと思う。
私は、「12月20日の手術後直後はオムツしなければならない」ことに、屈辱を感じて憂鬱だというのに、
「老人ほど、オムツに抵抗がない」という話は本当らしい。
同年代の周囲の老人たちが、オムツを使用しだすから、
「あたりまえ」と思えるのだろう。

そんなわけで、夫は、私の入院の心配ばかりでなく、姑の見舞いと手伝い、
家にひとり残された87歳の舅の家事まで世話することになったのだった。
毎日、仕事が大変だと言っているのに、とんだことになった。

夫は痛風持ちではあるが、基本、病気をしないたちなので、
テキパキと、なんなくこなしていった。
義父母の世話は、通常、嫁の仕事だと思うが、夫は、私にやらせなかった。
夫は、孝行息子なのだ。

さて、私が、義父母にできることは、「舅への食事づくり」くらいだった。
が、しかし、けんしょう炎で、包丁もにぎれない事態で、
ふだんのように、気合を入れることが出来なかった。
手の痛みに耐えながら、がんばったが、まったく食べてもらえず、 
「ほとんど手つかず」の結果に。
舅は、もともと偏食で、姑が入院してしまったから、
気落ちして、ますます、食べられなくなってるようだった。
唯一、舅は、中華まんだけは食べられた。
私には、市販のをたくさん買って、冷蔵庫に入れてあげるしか出来なかった。

私の入院前に、一度だけ姑を見舞いに行った。
夫と舅に用事ができ、代わりに、着替えやタオルなどの入院の必要品を届けることになったのだ。
夫が姑の醜態を私にみせたくなかったようなので、行けずじまいだったが、
一度は行くべきだと私は思っていた。

12月12日、姑のパジャマなどが入った紙袋を持って病室を訪れると、
6人部屋の真ん中のベッドに、姑が布団をおなかまでかけた状態で仰向けで寝てるのが目に入った。
姑の胴には、パジャマの上から、芸人の「スギちゃん」が腰椎骨折したときにつけてたような、
ベージュ色した30㎝幅のコルセットが巻いてあるのが見えた。
わきの棚には、市販の大人のオムツが大袋4つほど、所狭しと置かれてあり、
『背骨を骨折すると、トイレはどうするのか』と疑問だったが、
やはりオムツになるのだと確信した。
「軽くあいさつをかわし」紙袋を置くと、『なにも見なかった、オムツなど気づかなかった』ふりして、
早々に立ち去ろうとしたら、頼みごとをされてしまった。
‘持ってきたものを、ベッドの下の引き出しに、入れてほしい’という。
言われるまま素直に、タオルやパジャマを仕舞い込んだが、
引き出しは、プラスチックのせいか滑りが悪くて、
押すたびに、けんしょう炎の手に激痛が走り、死ぬ思いだった。
しかも、続けて今度は、『棚にあるペットボトルのふたを開けてほしい』と、姑は言う。
しかも、5本。・・・これってなにかのたたり??
私は、走る痛みに耐えながら、なんとか500mlのペットボトルのふたを、開けきった。
姑は、私の手が、けんしょう炎だとか、手術が控えてることは知らない。
彼女は、病院からのノルマで、水分をたくさんとらなければいけないと理由を、大変そうに述べた。

姑は、私が入院中の、12月26日に退院したそうだ。

◇ 【 大人オムツの尿もれ、付け方のコツ 】 ◇
姑は、脊髄の骨折の入院中、寝たきりでオムツを利用していたのだが、
オムツをしてもすきまから尿がもれてしまう、とこぼしていた。
だから、たくさんの着替え用のパジャマとタオルが必要なのだと言っていた。
オムツの付け替えは、おそらく、看護婦がしてたのだろうが、
それでも、「オムツから尿もれ」してしまうらしい。

オムツの付け方にはコツがあるらしく、あるとき、テレビ番組で、
元おにゃんこクラブの新田恵利さんが、大人のオムツの付け方の説明していたのを
目撃した。

新田恵利さんは、88歳の実母の介護をしていて、
オムツの尿漏れに悩んでいた経験があるという。

オムツをつけるときは、きゅっと締め付けるほどに、しっかりつける、のがコツという。

このほうが、寝返りうったときによれずゴワつかず安定するのだそうだ。
結果、介助される側も、する側も、漏れを心配せず、
「もれると迷惑だから、とオシッコを我慢」という遠慮もしなくなるらしい。.

子宮筋腫の術後は、オムツを着用の予定なので、どうなるのか不安だった。
赤ちゃんのようにオムツ替えされるのかと想像すると、ものすごく屈辱的で耐えがたい。
傷の痛み同等、私には不安要素だった。

(つづく)  

2018年10月21日 (日)

子宮筋腫手術日記(3)注射と副作用

子宮筋腫手術の予定日が、半年先の、2016年12月20日に決まり、
それに向けて、生理を止める注射を4週ごとに1本打つことになった。

注射の名前は、リュープロレリン

これは、生理の出血をとめて、貧血を改善し、手術に対応できる体にするため、
または、自分用に輸血用の血を確保するためだという。

前の産婦人科では、「筋腫が小さくなる」といっていたが、
担当医師は、「そんな効果は無い」と言う。

どちらが本当かわからないが、ともかく、
この病気の手術には、事前に、この注射が必要らしい。

とはいえ、この注射を打つと、
更年期症状になり、骨がもろくなるという副作用があるといい、
「治療後には背骨の曲がった老人になるのではないか」と、不安でいっぱいだった。

.

◆ 術前の注射、‘リュープロレリン’ 

Photo リュープロレリン

・2016年7月26日 < 術前のリュープロレリン注射 1回目 >

前回の7月8日の通院 (医療費: 790円)のときに、担当医師から、
「次回から、生理を止める注射をするので、生理5日以内に来て下さい」
と言われたので、
過剰出血の生理を軽くしたい私は、‘2日目’に来院した。

生理の期間は、体調により変わってくるから、当然ながら、「予約なし」でOKということで、、
担当医師がいないときは、ほかの医師でも対応してくれるという話だった。

ところが、いざ、婦人科の受付に来てみれば、受付の看護婦になぜか私の話が理解してもらえない。 

まるで、関係ない場所にきてしまったみたい。

「生理を止める薬を打ちに来た」と言っても、診察券見せても、
首を傾げるばかりで、困ってしまった。

近くにあった掲示板の「今日の当直」のところに担当医師の名前があったので、
私の名前を伝えてもらったところ、ようやくわかってもらえたのだった。

担当医師が来てなかったら、あやうく門前払いか??

話しが伝わるとさっそく、看護婦から別室でリュープロレリン注射の事前説明を受けることになった。

説明部屋は、テーブルとイスしかないほどの2畳ほどの小部屋で、
そこでイスにすわって待っていると、私が入ってきたのと別のドアから、
一見してわかるほどの、はちきれんばかりの大きなおなかをした若い妊婦の看護婦が、
書類を持って現れた。

妊娠を見せつけられてるような気分。

説明という仕事は、体に負担がないから妊婦に適してるのだろうけど、
これから「子どもがいないにもかかわらず子宮全摘の手術する身」としては、
見るにたえず、ものすごくいたたまれなかった。

この説明が一ヶ月後であれば、この妊婦に会うこともなかっただろうに、
なんという自分の不運さだろうと思う。

彼女に注目しないように、意識をそらしながら、なんとか注射の説明を聞いた。

  「注射の説明」:

  ・注射は手術まで、きっちり4週間ごと打つ。
  ・右腕打ったら、次の回は、左腕といったように、交互に注射を打っていく。
  ・注射のところは、もまない、押さない、風呂で洗うときは泡を乗せる程度で。
  ・女性ホルモンが減るので、更年期障害の症状が出る。ほてり、肩こり、頭痛など。
   つらいときは、電話連絡してくれれば、漢方を処方します。

説明が終わると、婦人科の受付前のロビーで、注射に必要なカルテが出来上がるのを、
壁を背に立って待つことにした。

するとなんと、広々としたロビーにもかかわらず、
生まれて間もない赤子を抱いた若い母親が、
私の鼻先をを左右に行ったり来たりしだしたのだった。

私が一体何をしたと言うのだろう?

こんなひどい仕打ち。まるで、見せびらかされてるようだ。

産科は婦人科のとなりではあるけど、
いままで、何度も通院しに来てて、一度もこんなことはなかったのに、
こんな日に限って、どうしてまた?と、思う。

おもわず涙が出そうになった。

私には一生、自分の子どもは抱けなくなるというのに・・・。
.
◇ 「子どもの頃の、未来の子どもの数当て」 ◇

小学生のころ、おなじく小学生の女友達が「将来の子どもの数がわかるんだよ」と言い、
方法を見せてくれた。
小学生のころは、なぜか結婚や将来の子どものことを語りたがる。
きっと、野生の本能からなのだと思う。
エッチなことは念頭になく、高校や大学に行く、その先のその延長線で、
出産を語っていた。
もちろん、つくりかたや、どこから生まれてくるかなんてことは考えもしない。
その友達がいうには、
手のひらの手首に近いところ(月丘という)を押して出てきたコブの数が、
将来の子どもの数だというのだった。
とすると、私には3つコブがあるから、3人子供が出来るということらしかった。

そんなことを頭のどこかに置きながら、未来の子どもを期待して生きてきたが、
現実は、妊娠すらしたことなく、もちろん子供は、一人もいないのだった。

まさか、結婚しておきながらセックスレスになるとはね。

「デキ婚」って、今の時代、方法として正解かも。

結婚前に、姑が息子である‘夫’に、「子どもはつくらないでね(←でき婚はやめてねの意味だろう)」と、
言っていたのを知っているが、
きっと、その魔法、まだ解かれてないんだと思う。

「子どもはまだ?」と夫に一度でも言ってくれてたなら、
現状は違っていただろうにと思うのだ。

夫はマザコンだから・・・。

Cimg8315
.

◇ 「リュープロレリン注射を打つ」 ◇.

注射の説明後、受付からカルテをもらった私は、一階にある処置室に向かった。

処置室は、目立たぬ場所にあり、人影は少なく、部屋に入ってすぐの場所で、
看護婦がさっと注射を打ち、1分ほどで終了した。

はじめての今回は、左の二の腕の外側だった。

皮膚の下に、4週間とどまらせるというから、らくだのコブのように膨らむのかと思ったが、
液が少量のため、見た目は変わらなかった。

「万が一、体調不良が起こることもあるので、30分院内で様子を見てから、帰るように」
と言われたので、
会計などして30分時間つぶしたのち、特に変化はなかったので、車を運転して家に帰った。

治療費 : 6120円

※【注射の効能(?)】
 この注射によって、今回の生理は、中断されなかったが、
 次の生理は完全に来なかった。
 「あと一回生理来るよ」と言われたが、私の場合は、来なかった。
 この注射のことをネットで調べると、
 「筋腫は小さくならない」らしく、小さくなるのは「がん」のほうらしい。
 前立腺がんや乳がんなどにも使われる注射だそうだ。
 実際に、私は、7月から11月までに5回打ったが、結果的に、筋腫は小さくならなかった。.

・2016年8月26日 < 術前のリュープロレリン注射 2回目 (右腕に) >

 採血(血中の鉄分は10.5と正常に)、問診、注射

 医師から、
 ‘子宮筋腫手術入院費用は、26万円だが、高額医療制度申請で、10万円足らずになる’と聞かされる。

 医療費: 6690円

・2016年9月23日 < リュープロレリン注射 3回目 (左腕) >
 採血(ヘモグロビン正常値の10.8、貧血改善)、問診、注射

 医療費 ; 6690円

・2016年10月21日 < リュープロレリン注射 4回目 (右腕) >
 問診、注射

 医療費 : 6120円

・2016年11月25日 < リュープロレリン注射 5回目 (左腕) >
 問診、術前検査、注射

 手術まで4週間をきったので、リュープロレリン注射はこれで終了となった。

 寝てる最中に、何度か二の腕が体の下になってしまったことがあったが、
 なんとか大丈夫だったらしい。
 

◇ 「リュープロレリンの副作用、更年期障害などの弊害」 ◇

※リュープロレリンの注射は女性ホルモンを減らすので、更年期障害の症状が出る。

・ホットフラッシュ

 2016年8月26日。
 2回目のリュープロレリンの注射を打った帰りの車の中で、
 突如、副作用のひとつである「ホットフラッシュ」が起きた。
 8月の炎天下の車内だから、ものすごい暑さは当然だが、
 ふだんであれば、窓を開ければ、これくらい、なんとか、やり過ごせていた。
 ところが、気が狂わんばかりに暑さが苦しい。まるで拷問のよう。
 ホットフラッシュで体の芯が火照ってるから、
 体まわりの温度が高いと、もうどうしようもなくなるのだ。
 クーラーはすぐにきかないし、家に着くまで、七転八倒を我慢するので必死だった。
  
 その後jも、ホットフラッシュは、たびたび起こるようになり、一日に2~3度発症した。
 きっかけなどなく、唐突に、‘ボッ’と、ガスの火がつくがごとくに、体が燃えるように暑くなる。
 肌寒い日であっても、ホットフラッシュが起れば、暑くて服なんか着ていられない。
 自宅であれば、いそぎ服を脱ぎ捨て、上半身、ブラだけになり、うちわで必死に体を仰いだ。
 火照る場所は、胸から上の部分だけとはいうものの、かなりつらく、
 ふだん汗かきでないのに、 顔と手の甲から、多量の粒の汗が流れ落ちた。
 眠ってる時も、おかまいなしで、夜中、2度ほど、ホットフラッシュで起こされた。

 そんなふうに、ホットフラッシュだけでもつらいのに、
 私の場合、それに誘発されて、「パニック障害」の発作が起きそうになるので、やっかいだった。
 パニック障害は、動悸、過呼吸、死の恐怖にも似た不安感が起こるというもの。
 体が火照った瞬間に、パニックのスイッチが入りそうになるから、
 いそいで服を脱ぎ体を冷やさねばならなかった。
 とはいえ、これは、まだ注射の副作用だから、
 そのせいか、ホットフラッシュは、5~10分ほどで、収まるのだった。
 本当の更年期障害がきたらどうなることだろう?
 現時点では、まだきてないのでわからない。

 ちなみに、【 ホットフラッシュで、脱着しやすい服 】は、というと、

 ホットフラッシュがおこると、肌寒い日ですら、猛烈に暑くなり上半身裸(下着姿)になりたくなる。
 さすがに、 外出先では、下着姿には、なれないから、
 せめて、すぐにタンクトップ姿になれる服装がベストだろう。

 たとえば、レースの長そで上着と、タンクトップのセット。

 長年、寒いんだか、暑いんだかで、着こなせなかったけど、
 ホットフラッシュにはこういうのが良さそうなのかもしれない。
  
Photo
 

 副作用のホットフラッシュは、
 リュープロレリン注射が終えてから2ヶ月後までつづいてたように思う。
.

・手の腱鞘炎(けんしょうえん)

Photo_3


 リュープロレリン注射の期間中、腱鞘炎(けんしょうえん)になった。
 パソコンのマウスでのクリックをやりすぎたのが原因。
 どういうわけか、クリックで使ってた人差し指でなく、
 親指が痛くて使い物にならなくなった。
 痛さのあまり、字も書けないし、包丁でのじゃがいもの芽取りなどが出来ず、
 ハサミはまったく使えなくなった。
 ‘腱鞘炎というのは、手先を使う職業の人ばかりでなく、
 妊婦や閉経後の女性もなりやすい’と、知ったのは、けんしょう炎になった後のこと。
 普通の体でないときは、無理しちゃいけなかったらしい。
 産後、すぐに働ける人は、すごいと思う。
 これ以降、右腕が疲れやすくなってしまった。

 蛇足:
 夫に「腱鞘炎になった」といったら「Oナにーのしすぎか?」とからかわれた。
 男の知識って、ときに独特で、女性には不快だったりする。
 そういう変なイメージがあるなら、、男の前できやすく「腱鞘炎」なんて口走っちゃいけないね。
 しばらくしてからこのことを言ったら夫は、
 「覚えてない」「言ってない」と、言い張ってたけど、 まったく、無責任だ。

・舌痛症

 入院前に、知覚過敏の治療で歯医者に行ったあと、しばらくしてから、
 ベロの表面が熱いものを食べたときのような、やけど感覚になってることに気が付いた。
 ネット情報では、「舌痛症」は、アラ50歳がなる病気らしい。 
 しばらくしたら、治っていたが、リュープロレリン注射が原因か?
.

・パソコンの光がまぶしい

 注射の期間中、パソコンの光加減を最低にしてもまぶしくて、しかたなかった。
 なにか、黒いフィルムでもかけようかと思ったくらいだ。

✿~✿~✿~✿~✿

追記 : 「手首にある、‘子ども運’」について

銀座の母の手相占いによると、

‘手首に横の線が3本以上ある人は、
子宝に恵まれる傾向にある’

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「中居正広の金曜日のスマイルたちへ・銀座の母SP」 
2018年2月9日放送 (TBS) から


・・・・・私には、この3本線、なかった。
 
 (つづく)

2018年10月14日 (日)

子宮筋腫手術日記(2)「決断」

2015年9月29日に、子宮が壊死しかかり緊急入院したが、
2週間の治療では、治りきらなかったので、
10月10日の退院後も、しばらくは通院が続いた。

症状としては、
・点滴のしすぎでたまった水が、肺に10分の1ほど。

・完治してない子宮の炎症により、膣からピンク色の透明液体が染み出てる。

担当医師は、緊急入院から私を担当している35歳くらいの中肉中背の若い男性医師で、
気さくな性格だった。

女性が苦手な私としては、話しやすいタイプの担当医師で、ほっとした。

なれなれしい話し方でも、ムッと怒らないのがいい。

・通院(1) 2015年 10月13日 診療費 : 2740円

  採血(炎症・貧血確認)、レントゲン(肺水確認)、内診(→膣の中の診察のことsweat02)、
  問診(医師との対話のこと)

  まだ子宮に炎症あり。貧血は改善している(→血中の鉄分量正常)。
  「痛みどめの薬」の影響で肝臓の数値悪化してるので、「痛みどめ薬」は飲まないようにとのこと。

 <痛みどめの薬> → 足の傷みで、整形外科から処方されたもの。
 退院からしばらくたった10月16日の朝、左足の甲に激痛がおこり、歩けなくなった。
 整形外科に行くと「腱鞘炎(けんしょうえん)」ということで、
 第二と第三の関節が炎症してるという。
 特に変わった行動はしてないので、子宮の炎症が、体にも影響したのかもしれない。
.

 
・通院(2) 2015年 10月27日  診療費 : 1310円
 
  採血、問診だけ。

  貧血はなし。炎症なし。肺水もなくなった。
  薬を止めたので肝臓の数値が良好に戻る。
  担当医師から、「筋腫の手術を考えるように」と、言われる。
 .

・通院(3) 2015年 12月22日 診療費 : 2040円

 採血、問診、内診
  (内診の膣内エコーの時、カーテン越しに、筋腫の大きさに驚く看護婦が声が聞こえてきた)

  医師から、「様子見」「筋腫だけ取る」「子宮ごと取る」のいずれかを決めるよう言われる
.

・通院(4) 2016年 3月22日 診療費 : 2360円.

 採血、問診、内診。

 前回の診療で今回は「血液検査だけ」と言われたのに、内診(膣内検査)があった。
 私が「手術する」と言わなかったから、嫌がらせか・・・?

私は、やじろべぇのように、心が揺らいでいた。
手術するには、もう一押しが、欲しかった。
毎朝、寝起きにおこる腰痛が治るならば、手術してもいいと思っていた。

問診の時、
背中を押してくれるような言葉を期待して、担当医師にいろいろ質問をしてみた。 

 
わたし:「毎朝、寝てから6時間経つと、腰の鈍痛で目を覚ますんです。
        痛みで再び寝付くことはできないし、
        起きようにも、こんどは、腰の痛みで、そのまま10分は動けません。
        (これは筋腫のせいですか?の意味で聞いたつもり)」

 医師: 「手術しても痛みは取れないかもよ」

 わたし:
「生理の間隔が乱れてきました。これは、閉経が近いのでは?
        (手術しなくてもいいのでは?の意味で)」

 医師: 「閉経とは、生理が完全に来なくなったことを言うんですよ」

 わたし:
「テレビでは、‘血液検査で、閉経がいつ来るかわかる’と言ってたんですけど?」

 医師: 「それは閉経間近でないとわからないよ」

 なんか会話がかみ合ってない感じ。

私は、「寝起きの腰痛」が深刻に思えるほどつらかったので、
手術で痛みが取れるならば、 いますぐにでも手術の決断をしようかと思っていたのに、 医師の、「痛みが消えるかどうかはわからない」という発言にがっかり。

  ※だいぶ後でテレビの情報で知ったことだが、寝返りが少ないと、
  内臓が神経を長時間圧迫して、腰痛がおこるそうだ。


 担当医師は、私のモヤモヤした表情に、
 「手術するかどうか、決めてこなかったの?次回までに考えてきて」と言い、

 手術の予約は、半年先になるから」と、医師は言うのだった。

.子宮の炎症もなくなったのに、通院が終わる気配がない。
私が「手術をする」というまで、膣検査が続くのかもしれない。ほとほとうんざり。

NHKのあさイチの、「更年期」特集で、
血液検査で更年期がわかると言っていた。

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よくわからないけど、閉経が近いかわかるというのも、この方法なのだろうか?
 

・通院(5) 2016年 6月10日 診療費 : 3600円 + 鉄剤 (2週間分 ) 510円
 
 採血 、内診、問診、子宮頸がん・子宮がんの検査
 
今回は、「子宮頸がん、子宮がんの検査」があった。
いつやっても、膣の中に金属機具が入る感触は苦痛で、悲鳴が出るほど痛い。
機具挿入時はおもわず全身をこわばらせてしまうから、膣がしまり機具が入らなくなり、
よく看護婦に「力を抜いてください!!」と毎度
、怒られてしまう。今回もそうだった。
痛がるのは私だけ?
看護婦は怖いし、痛いし、恥ずかしいし、この検査、いつもすべてにおいて嫌でたまらない。
何かで聞いた話しだが、こういった検査は女性より男性医師のほうが痛くなくて、上手らしい。
性交での挿入に慣れてるから、加減がわかるとかの理由で。
ともかく今回もやっぱり辛すぎて、涙が出てしまった。

 この日の血液検査で、血中鉄分が、貧血レベルの8.5に下がってしまっていた。

 輸血してから半年しかたっておらず、
 レバーなど鉄分多めな食事をとってたにもかかわらず、この数値。

 現状態の体では、自力でで自分の血を維持することができないらしい。

 この先一生、鉄剤や輸血をしないと生きていけそうもない。

 しかたなく、私は、しぼり出すように、小さめな声で「手術します」と告げた。

 当男性医師は、ぱぁっと嬉しそうな表情をみせて、
 手早く、パソコン画面を開き、画面のカレンダーの空マスを指差した。

 「今年は、この日だけ空いてる。 早くて、12月20日だね」と担当医師は言うのだった。

「開腹手術」は決定のようなので、
せめてもと、私はかすかな望みをもって、提案のつもりで次の質問してみた。

 わたし:「最近の帝王切開出産は、横に切るそうですね。
      ズボンからはみ出ないように配慮して。」

 医師
: 「赤ちゃんの頭の大きさって、どのくらいだか知ってる?
       このくらいだよ。小さいんだよ」

 と、医師は、両指で輪を作って私に見せた。

 私の筋腫は、赤子の頭よりも大きいので、縦に切るしかないと言う。

 筋腫は、ただの脂肪の固まりなんだから、刻んで取り出せばいいのに・・・。

マリリンモンローは、大昔のあの時代に、盲腸になったけど、
配慮して足の付け根に近い位置にメスを入れてもらったというのにね・・・。

私の母のおなかにも、帝王切開の、たての傷跡があり、それと同じになりたくなかった。

結婚したら名前の画数も母と同じになって、お腹のキズまで同じになるなんて、
母と同一化してきている。

旦那に、「キチガイ」と言われ、暴力振るわれる人生は送りたくない。

(と書きつつも、最近、夫から‘頭がおかしい’と言われてしまったが・・・。)

母と似た人生は歩みたくないのに・・・。運命に逆らえないの?

手術を決断した理由は、‘鉄分不足問題’のほかにもあって、
それは、その頃テレビで見た、海老蔵さんの会見だった。

妻の小林真央さんが、乳がんで闘病中という。

死の予感のする内容に、私は衝撃を受けた。

あの美しい人が、希望を捨てず、がんばって生きようとしている。

それなのに、子宮筋腫ごときで、私は逃げ続けてていいの?かと。

また、

何かの特集で見た、 
皇后美智子さまの、子宮筋腫手術の退院の映像も胸に響いた。

55歳ころの皇后美智子さまが、病院の玄関を出るなり、
迎えに待ちかまえてた天皇の肩に、目を閉じ頭をもたげていた。

55歳、手術。

私よりかなり歳上でも、子宮筋腫から逃れられない、という現実。

私は、美ボディだけが取り柄だったのに、なぜ、神様は、大事なものを奪いたがる?。

たとえば、音楽家ベートーヴェンの聴力、コメディアン榎本健一の足、つんくの声など・・・。

それはそうと、担当医師に、ずっと聞きたいことがあって、
それは、入院中に撮った私の子宮筋腫のMRIの画像。

2012年から2015年、子宮筋腫は、どう変化しただろう?

 わたし;「入院時に撮ったMRIの結果を聞いてないんですが」

 医師:「えぇ!? 去年の10月の話だよね!? あれ?見せなかった!?」
   
   と驚かれた。そして、パソコンでカルテを開き、
 
   「9.3㎝だよ」

   と担当医師はいうのだった。

  ‘9.3㎝・・・?’

  ‘な~んだ、4年前の2012年にMRIしたときと、変わってないんだ’

 と思いきや、パソコン画面に映し出された、画像には、
 「東京電力のロゴ」のようにに並ぶ4つの丸い筋腫の影があった。

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 ‘結局、手術はしなきゃダメって、ことなんだなぁ・・・’、と思ったのだった。

(つづく)

2018年10月 7日 (日)

子宮筋腫手術日記(1)「予兆」

もう、かれこれ2年以上も前のことなので、もはや、記憶はあいまいだけど、
とりあえず、書き残してみました・・・。
(文章がまとまらず、2年がたってしまっただけなんだけど・・・。)
.

◆「予兆」 (※「重度貧血で入院」の内容と重複します) 

2009年頃だったか、
トイレで、用を足そうと下着を下ろしたとき、生理ナプキンの上に、
こんもりと、おはぎのような、血の固まりがあった。

うわさに聞く「子宮筋腫の病気の現象のひとつ」に似てたので、
私はそれを見た途端、動揺した。

すぐに、かかりつけの‘内科’で、めまい治療のついでながら、
悩み相談的に、このことを告げてみた。

ここの個人病院の院長は、病気のことならなんでも相談に乗ってくれる。

老医師は、あお向けになった私のおなかをさわると、
「子宮筋腫らしき、しこりのようなものはないよ」と言った。

「大きな血の塊」は、その時一回きりだったので、
‘たまたまだったのではないか’、という診断結果になったのだった。

本来、子宮筋腫の専門は産婦人科だが、
そこは、どんな病気だろうと、恥部を検査する(らしい)ので、
内向的な私は、怖くて行けなかったのだ。

ともかく、子宮筋腫は、命に係わる病気でないし、
生理もいまのところ普通だし、体調的に問題はなかったので、
しばらく様子を見ても大丈夫だろうと自己判断したのだった。

それから数年後、
筋腫は、驚くほどの大きな異物となって、下腹部に成長してしまっていた。

2012年、あお向けになると、へこんだおなかに、
野球のボール大の物体が、盛りでていた。

病院で診てもらわなくても、なんとなく子宮筋腫(脂肪の塊)だと、私にはわかっていた。

異物は固く、うつぶせになれば、おなかの下に丸めた靴下をはさんでるかのようで、
あおむけになれば、お腹が重くて、横向きでないと寝れなくなった。

まるで妊婦のようだ。

けれども、私のは、育ったところで、夢も希望もない。

日々、自分の重いおなかが邪魔でしかたなない。

なんとなく「泳げ!たいやき君」になった気分。

明るい結末は、待っていない。

子宮筋腫は、閉経すれば、筋腫の成長も止まり、治療しないですむという。

閉経は53歳ごろが一般的と電子辞書には書いてある。

早期閉経なら40歳ごろ。

私は初潮が早かったので、だとすると、そろそろなのではないか?と期待があった。

だから、手術しないで、現状維持したい。

子宮筋腫といえど、異物がある以外は、とくに問題はなかったし、
生理過多でもないし、異物の圧迫による排尿、排便障害もない。

つまり、‘なんともない’のだから、
手術を選ぶほうが、むしろ危険ではないか?とさえ思う。

世の中には、まれに、簡単な手術で、死ぬ人もいるじゃないか。

未知である手術が怖い。

産婦人科に行くのが怖い。

手術とか産婦人科とかにかかった人に、直接話を聞いたことがないから、
自分だけが、異常な状態に置かれてる気がして、
怖くてしかたなかった。

下半身の病気なんて、‘遊びすぎ’が原因だと、世間は思うだろう。人生の恥。

私でさえ、理屈では「違う」と、わかっていても、下半身の病気と聞けば、
「ふしだらなことを、しすぎたからじゃないの?」と思ってしまうのだから、
世間はなおさら、そう思うにちがいない。

結婚当初から、セックスレスなのに、非情な病気。

誰にも相談できない。特に母には。

母は、ゲスな話が大好きだから、話したその日に、
近所中に、笑い話として、ひろめられてしまうだろう。

きっと、人の目が気になって家から出られなくなる。

知ってるのは、男である夫だけだった。

そうしたモヤモヤした中、めずらしく市から健康診断の通知が届いた。

健康診断は、ここ何年もしてなかった。

夫は、「他の病気のことも考えて、市の健康診断を受けてほしい」としつこく言ってくる。

ほんとに、けんかになりそうなほど、しつこい。

そんなの受けたら、「即、検査→通院→手術」になるとわかっていた私は、
ほとほと困ってしまった。

市の健康診断には、「子宮がん検診」が必ず含まれているから、
この大きな異物だもの、当然、ひっかかる。

もはや『たき火を飛び越える遊びに参加せざるをえなくなった雪の妖精』の心情だった。

‘ここを踏み越えたら、私、消えてなくなる(死ぬ)かもしれないよ・・・。’って。

こうして、市の検診で「再検査」となった私は、
産婦人科へ行かなければならなくなってしまった。

最初、どこがいいのかわからなかったので、ふだんから看板を目にしてた、
家から近い、個人の産婦人科病院に行くことにしたのだが、
どうやら、過去に一度来たことがあるらしかった。

忘れてたが、結婚前に膀胱炎で来てた病院がここだったらしい。(泌尿器科はもっと行きづらい)

受付で、私の苗字と住所、電話番号までもが違うのに、
過去の記録から、下の名前と、誕生日だけで、同一人物だと即わかったらしい。

ふと、そのとき、当時の嫌な記憶が頭をよぎったが、
受付をすませてしまったので、そのままここで検査することにしたのだった。

(この病院が悪いわけではないが、わたしとは相性が悪かったんだと思う)



その個人の産婦人科には、大型機器がなかったので、
子宮筋腫の状態を調べるため、
MRIは、医療センターまで行かなければならなかった。

2012年3月14日、
医療センターでMRIを撮った。
(いまは違うと思うが、この頃の入院病棟のナース服は、なぜかピチピチ、スケスケ)

ここでは、私が、「部外患者=お客様」のせいか、あたりがやわらかく、
ちょっと楽しい気分になれた。

いま思えば、この病院へ紹介状を書いてもらえばよかったのかもしれない。

この後日、そのMRI検査結果のCDROMが、自宅に送られてきたのはびっくり。

画像は、100枚ぐらいあっただろうか、今まで見たことないものだったので、
震える思いで目を通した。

それらには、おなかの中央に、まん丸の形をした筋腫がはっきり映し出されていた。

直径9㎝・・・、ほんとうに野球のボールだ。

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Qr000009 9㎝x9㎝

これらのMRI画像は、その個人産婦人科にも届けられていて、
診察時、60代(?)の女医は、当然のように子宮全摘手術を勧めてきた。

私が若くないからだろうけど、
世の中には、まだ、私の年齢で出産してるひとも少なくもいる。

女性に生まれた以上、一度は、自分の子どもを産んでみたかった。

・・・が、セックスレス。(→どうしたら、改善できる?)

チャンスは皆無だけど、子宮は残して置きたかった。

だが、子宮温存手術より、子宮全摘を、病院側は押してくるのだった。

「また筋腫が出来てしまうかも」という理由で。

子宮がなくなれば、子宮がんになるリスクもなくなるというが、
まったく魅力的に思えなかった。

私が手術決断するまで、ずるずると続く診察。

なかなか私が決断しないので、
病院側と、どんどん険悪な状態になっていってしまった。

子宮筋腫の手術法は、世の中にいろいろあるのは知っているが、
私が行ける範囲の地域では、、一般的なものしかやってないようだった。

あちこちの病院をあたるなんてことは、交渉能力の低い私にはできない。

様子を見るという現状維持も許されず、ほんとにどうしたらいいのか。

万が一、手術がうまくいかなくて、寝たきりになって、後半生がダメになったらとうするの?

幸せな妊婦だらけの待合室で、私は、病院に来るたびに思い悩んだ。

針のむしろにいるような居心地の悪さ。

あるとき、とある婦人病の女性患者が、テキパキと他の病院への紹介状を書いてもらうのを目撃した。

私もそうすべきか?と悩んだが、結局、転院する勇気はもてなかった。

検査を一からやりなおす手間や、
どこへ行っても、トラブルになるだろう人間運の悪さで、動けなかったのだ。

精神的に疲れ果て、半年ほどの長い期間ごねたあげく、
病院側の圧力に屈して、私は子宮全摘手術に承諾した。

心のどこかで、この病院と関係性が悪くなってるのに、
この人たちに、いい顔したかっただけのかもしれない。

まさに、いじめられっこの性分・・・。

手術を思い悩んでた私に、夫は、「子宮がなくなってもかまわないよ」と、さらりと言った。

なぐさめのつもりだろうけど、内心、「お前は必要じゃない」と言われてる感じで悲しかった。

私たちが、子供を作らなかったら、家系は断絶というのに、
長男なのに、この男は、一族の未来のことを何も考えてない。

将来が、暗闇。



そうして、2013年、5月28日、入院当日、
夫と二人で、病院を訪れた。

受付に行くと、即座に2階の入院部屋に案内された。

私専用のベッドのところで、看護婦から渡された体温計を、私はわきの下に挟んだ。

取り出すと、メモリは、37度3分。

それを見た、看護婦は驚いた表情になり、
途端に、手術は中止となってしまった。

ふだんから、平熱は37度なのだが、言い訳する間もなく、帰ることになってしまったのだった。

病室を出ると、ふと、背後から看護婦の叫ぶ声が耳に聞こえた。

ふりかえると、ナースステーションから若い看護婦が、再び、
「おかゆのことは、気にしなくていいですから~lつ!!」と
私たちに向かって叫んでいた。

彼女の真顔の表情には、
『おかゆが無駄になっちまったじゃね~かよっ』と言う感情が読み取れて、
私は、震え上がってしまった。

受付では、次回の予定もなにも言われず、
おまけに気まずさから逃げるように病院を去ってしまったので、
そのまま、その病院とは疎遠になってしまったのだった。

私から連絡が来ないことにより、
さぞかし、病院側からすれば、めんどくさい患者がいなくなって、
ほっとしたことだろうと思う。

それから私は、どこの病院にもかからず、筋腫はそのままだった。

入院騒動から、1年たったころ、ついに、「生理異常」が起こりだしたのだった。

生理は、なんと、4日間から、3倍の13日間という長さに!

生理初日~3日目の3日間は、経血が、24時間、はちみつのように出続け止まらず、
トイレでリキめば、尿のように血が噴き出るしまつ。

その出血量はものすごく、すぐにロングナプキンがびしゃびしゃになり、
1時間ともたないほどで、油断すればズボンまでぐっしょり血が浸みてしまうのだった。

こんな状態でありながら、死なないのが不思議なくらい。

ただ、やはり、極度の貧血で、鉄不足状態なわけだから、立ち上がるたびに「立ちくらみ」が起き、
頭髪がごっそり抜けるようになってしまった。

わき毛なんかは、まったく生えてこなくなった(2018年10月現在も)。

それに加え、問題なのは、アンモニア臭。

生理期間が終わると同時に、こんどは、膣から透明な汁が出はじめ、
大さじ一杯の少量ながら、強烈なアンモニア臭を放つのだった。

傷などに出る「浸透液」というものだろうか?

その匂いは、服を通り越して、自分の鼻にまで届くほどのすごさ。

トイレで拭いた程度では、匂いは取れないし、
時に、染み出るときに、尿が出るような感覚があるので、ひやっとあせるのだった。

おまけに、いままでになかった生理痛が起こるようになり、
毎回、頭痛と吐き気で、丸2日間寝込むようになってしまったのだった。

丸一ヶ月、つまり、一年中、生理中なかんじで、体がおかしかった。

それでも、病院へは行こうとしなかった。

これが、危機のサインとも知らずに。

2015年9月29日のある朝、
ついに、子宮は悲鳴を上げ、
私は猛烈な腰痛で身動き取れず、日赤病院へ緊急入院になってしまった。
(くわしくは、「重度貧血で入院」にて)

入院は、2週間と長期だったものの、
治療は、炎症を抑えるだけのみで、手術はされなかった。

どさくさにまぎれて、手術してくれれば恐怖もなくよかったのに、と思ったが、
体調がととのってないと手術はできないらしい。

この緊急入院でかかった治療費は10万円強。

個人病院での子宮筋腫の手術は8万円の予定だったから、
予想外の痛いムダな出費となってしまった。

「あの個人病院の入院時、手術できていれば、こんなことには・・・」、
なんてことは、あとの祭り。

そうして、話はふりだしに戻ってしまったのだった。

病院は日赤病院に変わっただけの違いで、
またしても、「手術するの?」「しないの?」が繰り返しの日々へ。

手術するまで、診察は続くのだった。

(つづく)

2018年8月 7日 (火)

寝起きに、目に激痛

さて、起きようかと思った矢先、目に激痛が走った。

あまりの痛さに、頭を抱え込むこと30分。

だんだん、痛みがおさまって、目が開くようになった。

寝てるとき目が半開きらしいから、、目にゴミでも入ったか?

目薬をさしても、目の中のゴロゴロ感は治らない。

けれども、どんどん症状はよくなってきてるから、このままほっとけば治ってしまうだろうか?

悩んだあげく、午前中のうちに眼科へ行った。

.

視力検査や、眼圧検査などして調べた結果、眼球に傷があることがわかった。

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「寝起き」「眼球」「激痛」で、医師は、だいたいの検討はついてたらしく、
涙不足による「眼球にまぶたが貼りつく」現象が原因とのことだった。

黒目の中の下の部分に傷がつくのが特徴だと言う。

ちょうどそのあたりが、まぶたの境目ということだった。

.

治療として、ヒアルロン酸の目薬2本、眼球の油分を補うための塗り薬1本が処方された。

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目薬は、一日、5~6回。

塗り薬は、
寝る前に目の中に注入するとのこと。
(起きてる時間帯だと、油分で、目がかすむ)

両方同時に差したいときは、目薬→塗り薬の順。

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寝起き時には、目を閉じたまま、眼がしらに目薬を点眼する。

くぼんでいるので、自然と目の中に注がれるという。

治ったと思っても、薬が切れるまで、続けるように、とのことだった。

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病院へ行った日の、夜11時に、目薬さしてたにも関わらず、
再び目がひどく傷みだした。

影響してか、頭も痛い。

ドライアイが原因かと思っていたが、
体のコンディションが悪かったのが根本の原因だったのかもしれない。

1週間まえに出来た、口内炎がなかなかなおらないし、腸の調子がよくなかったから、
体全体の粘膜の機能が弱っていたのだろう。

猛暑でからだが疲弊している。

今回の、目の治療費、

2580円。

男性医師の、「私も、ときどき、これになりますよ☆」と言った温かいことばに、
ちょっと心が救われた。

(おわり)