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カテゴリー「病気」の25件の記事

2016年12月16日 (金)

入院支度

今月19日から入院。

はじめての手術。

手術直前の手順である下剤とか、断食とか、あれやこれも、よく分らないこともあって不安だ。

とりあえず、
書類に書いてあったものをそろえ、買い物用のかごに詰める。

ふつうに、ボストンバックに入れたほうがいいかなぁ?

今度の病院は大病院だから、パジャマやネグリジェを持ってくる指示はなかった。

でも、前回、ほかの病院で手術入院予定だった時、買い揃えたパジャマがあるから、
病院のパジャマはレンタルしないでみよう。

手術には風邪は厳禁だから、風邪ひきませんように、と祈るばかり。

前回(5年ほど前)、入院当日になって、37度3分の熱が出たので、帰されてしまったのだった
(平熱が36度8分くらいだったのだが)。

最近は低体温になってるから、微熱出ても37度は越さないと思うけど、
年中、鼻水、くしゃみがあるから心配だ。

半年前から、専用の注射や検査をくりかえして、10万円以上かけてあるので、
ここはなんとか手術をクリアしたいと思う。

ほんとは、怖いし、嫌なんだけど。

Cimg1271

退院日は聞かなかったけど、2週間くらいとみこして、家を片付ける。

年末だし、退院したら年明けだし、きれいにしなきゃ。

男は細かいことに気が付かないものだけど、さすがに、私がいなくなったら「なんだこりゃ?」と、
家の中のあらに気がついちゃうかもしれないし。

もしかすると、万が一、私が寝たきりや、死んでしまう可能性もあるから、
期限切れのものは、処分処分。

テレビ録画も、爆発的に溜まるだろうから、見てないものをやっつけないと。

留守中、ツレは料理しないだろうから、冷蔵庫内も、備蓄の野菜も食べきって・・・。

あれこれやることがあるけど、なんてこと、利き手を腱鞘炎で激痛するから、10分の1しか出来ない。

あと、年賀状・・・、お歳暮・・・、
に加え、義母が骨折入院しちゃったから、入院支度の洗濯物を運んだり、
独居老人状態になった義父への食事の手配・・・もあるけど、
ツレが率先してやってくれてるので、助かったわ。

もひとつ、自分以外で、一番に心配なのは、くびわちゃんなどの野良猫の世話。

母も野良猫の世話に関わってるが(そもそも母がはじめたことだが)、
母は思込がはげしく、勘違いしてるところもあるので、違いを伝えた。

いわゆる「ひきつぎ」なのだけど、母には、そういうことが理解できないらしくて、
「親に対して、偉そうな口をきかれた!」と思ったようで、怒りモードに入ってしまった。

「3日後には入院だから、ケンカ腰はやめて」と言ったのだが、ぜんぜん伝わらない。言葉が通じない。

まったく、親が発達障害(だと思う)だと、困るよ。

飼い猫マリアと、外猫たちがひもじい思いになりませんように。

.

ここ数年、心身全体がガタガタで不調だし、今回の手術で健康になれたら、と切に思う。

2016年11月20日 (日)

結局、腱鞘炎で病院へ

2016年11月19日。

腱鞘炎(けんしょうえん)になって2週間。

手を使わないことが最大の治療法ということで、
痛めた右手を安静にするため、なるべく左手だけでやり過ごしていたが、
ちょっとした油断から、悪化させてしまった。

一時は、治りかけてたのに、ショック。

危機感を感じ、ようやく病院へ行くことにした。

レントゲンやエコーの検査をして、重症ではないとのことで、注射はしないですんだ。

処方されたのは、
湿布と軟膏とサポーター。

Cimg0814 軟膏は歯磨きチューブほどでかい50g

「サポーターはあります」、と言って市販のものを見せたら、
「親指のあたりのサポートが弱い」と言われてしまった。

たしかに、つけてみれば、病院のサポーターは親指の付け根をしっかりくるんでくれてる。

Cimg0822


Cimg0827 病院のサポーター

市販のサポーターが無駄になっちゃったなぁ。

病院のサポーターは2370円。

しめて全部で4260円。

とほほ・・・。

手が痛いと、腰も痛くなるのは、どういうことだろう??

激痛で字が書けないのが辛い。

2016年11月12日 (土)

腱鞘炎になった・・・

ぬかったことに、腱鞘炎(けんしょうえん)になってしまった。
 (※ 「ぬかる」  気づかないで失敗する。)

「腱鞘炎」をネット検索すれば、
 ‘スポーツマンや指をよく動かす仕事、また、妊娠時や産後、更年期の女性になりやすい’
とある。

いま、私は、子宮筋腫の手術の準備期間で、薬により更年期の状態になっているのだった。

医者は「骨粗しょう症に気を付けてね」とは言ったが、
腱鞘炎のことは何も聞かされていなかった。

いつも通りの普段の生活をしていれば、こんなことにはならなかったのだが、
血迷ったことに、ここ1ヶ月、ネットゲームにはまり指を酷使してしまったのが失敗のはじまり。

そのネットゲームは、稼げるタイプのもので、
クリックの連打の繰り返しを必要とした。

時給10円ほどで、絶望的な稼ぎ具合ではあったが、
ゲーム自体が楽しくて、一日2時間遊んでしまい、
たった1ヶ月で、右手が壊れてしまったのだった。

激痛の3日前くらいから、右手の動作がスローになり、
つらい肩こりと、つらい腰痛が24時間×3日。軽いめまいもあり、口内炎が2か所も出来ていた。

腱鞘炎は、体のゆがみが原因ともいわれる。

全身が凝り固まってしまったのか、腱鞘炎発症のあとは、全身がギシギシ痛い。

全身のバランスが治れば手が治るのか、手が治れば全身の傷みも治るのか?

ネット情報では、腱鞘炎は、「なかなか治りにくい」とあり、
「重症だと手術」「手術しても再発、後遺症」とあって、
よく耳にする腱鞘炎がこんなにも、不治の病的と知り、絶望感にさいなまれる。

ともかくネットにある治療法、手を温め湯の中で、グーパーしたり、
指と手首を固定し、手を使わないようにしたり・・・。

手首のドケルバン病の腱鞘炎なので、
親指を動かしたり、手首をひねるだけでも、親指の付け根(写真A)に激痛が走る。

痛みは知覚過敏のような神経に触ったときと同じ感覚で、
ボキッとかブチッといった衝撃があったり、脱臼してるような骨のずれも感じる。

文字も書けず、テーブルを拭いただけとかのささいな動作でも、
いきなり激痛が襲ってくるから、ものすごく、やっかい。

一番の問題は、寝起きで、目が覚めた瞬間に指が勝手にピクッと動き、
その日最強の激痛に苦しむことだ。

寝起きの衝撃が一番痛いし、あとあとまで痛みが響くので、
寝る前に親指と人差し指をテープで固定したりしたが、
それでも、手首がボキッとなるから、どうしたらいいか、もう分からない。

右手が使い物にならない。

そうこうしてるうちに、ひじ内側(写真B)にこりを感じ、日々マッサージしてると、
ようやく4日目にして痛みがこころなしか軽くなってきた気がしてきた。

Cimg0657

が、激痛は、ふとした時にやってくるのは変わりない。

「あーーっ!!」 ←痛みの叫び。

そんな私の様子を見て、ツレは休日の2日間、
夕食の準備をしたり食器を洗ってくれたりしてくれたのだった。

おまけに、腱鞘炎のサポーターも探しておごりで買ってきてくれて、
遊びで手を痛めてしまったというのに、ほんと申し訳ない。

Cimg0664

Cimg0665

ツレは、「1ヶ月くらいで治るよ」という。

Cimg0665m

Cimg0668

Cimg0669

ネットでは「1ヶ月で治る」なんて見かけなかったけど、
もと卓球部だったツレは、腱鞘炎になった仲間たちを見てきた過去があるのでわかるらしい。

ほんとにそうならばいいけど・・・。

.

じつは、腕が壊れる前に、このネットゲームをもうやめようとは思っていたのだ。

でも、中毒性のあるゲームで、はまってで辞められなかったのだった。

そんな時、ひとさまのブログパーツで見かけた文章が目に入って、

ピーター・ドラッカー 

「成功する人に共通してるのは、
 ひたすら 一つのことに集中してることである。
 
 彼らは自分にとって一番重要なことだけに力を集中し、
 それが終わるまで、他のことにはいっさい手を出さない」

神様からの忠告で、
「お前、そんなことしてていいの?
 ほかにやるべきことあるよね?」
っていわれてる気がしたんだけど、
結局のところ、無視したことになるから、罰が当たってしまったのかな?・・・なんて。

Cimg0670


サポーターすると、腕のだるさや疲れが軽減する。

痛みは時々するけど、それほど気にならなくなった。

2016年7月20日 (水)

言葉が聞こえづらい

人の名前を思い出すとき、私の場合、はじめに頭上に漢字一文字が浮かぶ。

そして、そこに当てはまりそうな漢字を付け足して、名前を完成させる。

字面で覚えてるのか、たまに読み方を間違えてしまうこともある。

常套句でも同じで、音声ではなく視覚の記憶からたどるので、読み方を間違えることが多い。
.

私の場合‘情報は目から’なのかもしれない。

と、先日、思い至った。

たまたまそのときテレビでモデルのローラが、
同じ司会者の名前を間違える場面を目にした。

ネプチューンの3人、

名倉潤を、名倉潤平
堀内健を、堀内健二
原田泰三を、原口泰三

と微妙に間違えていた。 (「ネプ&ローラの爆笑まとめ!2016」2016.6.25放送)

ローラもきっと、視覚重視派だ。

.

情報は人によって、耳から、目から、と違うものなのかもしれない。

.

「聴覚優位」 「視覚優位」 「体感優位」 
(関連サイトhttp://matome.naver.jp/odai/2139668693836031101

というものをネットで見かけたが、ちょっと私には当てはまらなかった。

小学校高学年のころに一度だけ、声は届いているのに言葉が聞き取れないという出来事があった。

さらに、中学3年の頃には、よく、45センチしか離れてない人から話しかけられても、
まったく聞き取れなかった。

聴覚検査は正常だったが、雑音の中になると、会話が文章として耳に届いてこない。

人は5歳までの間に、途切れて聞こえた文章を、脳で補足して理解する能力が身につくというから、
幼少時に他人との会話をあまりしてこなかったのかもしれない、と私は解釈していた。

3度聞き返しても聞き取れず、「わかんない」といつも答えてたら、
クラスメイト全員、私がそういう性格でそういった口癖なんだと、思いこんだようだった。

たいてい会話が聞き取れないから、あまり会話には参加せず、
そのことが世の中の女性からすれば不快に思うらしい。

.

数年前に‘耳が聞こえずらい’という話を載せたとき、
ココログの常連さんから補聴器を勧められ販売店まで教えられたことがあった。

「機会があったらその店に行ってみます」と、答えたら、「行かない」という私の意志が見えたのか、
つきあいがなくなってしまった。

その方のブログには、私の名前は書いてなかったものの、不快が書かれてあった。

好意を受け入れてもらえない怒りは分かるから、しかたないことだけど、やはり悲しい。

聞えないのは、耳ではなく脳の問題だから、補聴器したところで意味がないと思う。

.

テレビはよく見るほうで、ほとんど録画して見ている。

聞き取れない箇所があると、コマ戻して確認しているが、何度くりかえしても、ダメなときはダメだ。

映画「駆け込み女と駆け出し男」(2015年)では、
出だしで主役の大泉洋が早口でしゃべる場面があるのだが、
音を大きくして5回繰り返しても、ひと単語も拾えなかった。
大泉洋さんのファンなだけに、残念。

また、「現実的に遠くは小さな声で」という映画はお手上げで、
情報番組では、肝心なセリフの時にBGMをかぶせてこられると、
BGMのほうに耳が引き込まれてしまい、聞き取れなくなる。

くぐもったり、しゃがれたり、なまっていたり、滑舌が良くない人の声は、ほとんど絶望的だ。

稲川順二さんの怪談話は、まったく聞き取れないので、はなから聞かない(笑)。

.

音はちゃんと耳まで届いている。

テレビはHITACHIのwooなのだが、ふだん10(食事中は12、深夜は8)の音量。

13以上にになると音が刺さって、身震いしてしまう。

(テレビの音声設定をみたら、ちゃんとクリアボイス「ON」になってた)

聞き取れないからといって必要以上の音の大きさはいらない。

.

「音として聞こえても、言葉として認識できない」のは、
「感音性難聴」
(関連サイトhttp://home.att.ne.jp/grape/take3/nanchou/001.html
とも、いうらしい。

耳まで正常に音が届いても、内耳や聴覚神経でうまく電気信号に変換されず
いびつの形で脳に伝えられるそうで、治療方法なく、補聴器でもダメとあった。

脳ではなく、脳の手前の「内耳」が原因だったのだ。

私には原因不明の「めまい」が幼少時からあるから、ありうるかもしれない。

.

なんにしても、耳は頼りないので、情報は視覚が重点。

テレビの字幕、テロップは、ほんとありがたいことだ。

「一度しか言わないから、よく聞いて!!」という指導者がよくいるけど、
あれはちょっと困るね。

2016年7月10日 (日)

手術すると再決心した

去年の10月に緊急入院して、退院後は1~2ヶ月ごと検査で通院し続けている。

今年6月、入院時に輸血したのに、半年で血中の鉄分が8.5にまで下がってしまっていた。

(輸血で12.5の正常値、緊急入院時は5.8)

人よりも、ほうれん草やひじき、レバーを食べたりしていたが、あまり効き目なかったようだ。

このままでは、また、内臓に異常をきたすだろう。Photo

鉄剤を処方されたが、このフェロ・グラデュメットは、私の体に合わないようで、
胃痛や激痛をともなう下痢で、かえって体がぐったり。

医師の話では、便秘になるのがふつうらしい。

薬がダメなら、鉄剤注射や輸血があるという。

鉄剤は14日分で510円だというのに、それって高額なイメージだ、聞かなかったけど・・・。

手術するにあたって、生理を止める薬を飲むことになるという。

このところ出血がひどくて、1時間ごとに200mくらい流失してて、
それが丸2日間だから、ちょっと自分でも危機感を感じてた。

自力で血液を1年持ちこたえられないようでは、もうこの体、限界でしょう・・・。

あの美しい麻央さんが闘病してると聞いて、自分も闘う決心をした。

筋腫が赤子以上に大きいので切り開く幅は大きい。

自傷癖はないから、大事に扱ってきたのに。

神様は非常にも大切にしているところを奪いに来る。

先日、母が「筋腫は消えたのよ。祈れば叶うの」と言っていたと、姉から聞かされた。

母には、病気のことですら、まったく話さないから、完治したと思いこんだらしい。

去年の10月の入院時に、母は、
「なんで子宮ごと取らないの?だらしない!!」と入院報告をしたツレの電話に、
心配するどころか荒っぽく言い放ったそうだ。

子宮なんて女性にとっては一番大事なものなのに、
ましてやまだ出産もしたことないのに、子宮全摘はできないよ。

デリカシーのない母に疲弊する。

今は、保護者がツレに移行しているので、その点はほんとによかったと思う。

ふつうに心配して、いたわってくれるし、そばでぎゃんぎゃん騒がれることもない。

なにより、眠りを邪魔しない

手術は半年先だけど、緊張からまた熱がでて、退院を迫られたり、
麻酔アレルギーなどが出て、トラブルにならないといいな、と思う。

2016年3月29日 (火)

腰が痛いのだけど・・・②

半年前の2015年9月29日に、私は、腰の激痛と高熱で、2週間入院した。

細菌により子宮が壊死しかけてたらしく、
筋腫による貧血などがなければここまでひどいことにはならなかったようだ。

筋腫はいまも体の中にあって、14センチくらいにはなっていると思う。

ここまで大きいと、医者は摘出手術をすすめ、多くの患者は、手術に踏み込むだろう。

大きさに関わらず、筋腫があると、なにかと生活に不都合がおこるから、
ちゃっちゃと切り取ってしまうのがベストだとは、わたしだって、頭では思っている。

が、運のない人生を送って来てるから、失敗などが怖くて私は決断できない。

手術前の下剤や(下剤は飲んだことがない)、傷の治りの悪さ、
看護婦との接し方も心配だし(女に嫌われるタイプ)、
前回、微熱で手術がキャンセルすることになったこともあるから、
風邪をひかないでいられるかも、不安だったりする。

見た目では分からないけど、私は病弱体質で、年中のほとんどを、風邪ひいてるのだ。

せめて、身近に手術経験者がいて、経過を見聞きできていたなら、
少しは励みになるだろうにと思う。(経験者のブログではちょっと、まだ・・・)

.

退院後、定期的に検診があり、
前回の12月22日には、筋腫をどうするか考えてくるように医者から言われてた。

「筋腫だけ取るか」「子宮ごと筋腫を取るか」「様子見にするか」

「様子見」という逃げがまだ可能ならば、私は迷わず「様子見」を選ぶ。

「様子見」があるってことは、まだ余裕があるってことだから。

開腹手術はやはり怖い。

子どもを産んだこともないから、なおさら怖い。

ツレも私と同意見で、「手術はできるなら避けたい」と言った。

ツレも、私同様、臆病ものなのだ。

.

先日の3月22日は、退院後、4度目の検診だった。

前回の先生の言い方では、今回が最後の検診になりそうに思えた。

筋腫をどうするかは、「様子見」と答えるつもりだった。

これで、婦人科の屈辱的な検査ともおさらばだ、という晴れ晴れな気持ちだった。

だが、このところ腰痛がひどいので、筋腫と関係あるかは聞いておこかなければ・・・。

問診室に入るなり、私は、

「朝起きると、毎日、腰が痛いんです」と、聞いてみた。

すると医者は、

「手術しても腰痛は治らないかもよ」というのだった。

ん?

予想してた答えと違ったので、ちょっと戸惑った。

が、次の質問へ。

「生理が乱れて来てきたみたいです。閉経が近いんじゃないですか?」

閉経すれば筋腫との戦いは終わる。

‘閉経まで1年切ったなら血液検査をすれば、
いつ閉経するかわかるのでは?’と、血液検査を私は期待した。

でも、医者は、

「年齢的に閉経する人もいるでしょうね。
生理が全く来ないことを、閉経というんですよ」

と、一般的な答えをしただけだった。

なんだか、会話がかみ合わない。

医者は、私が手術をお願いしに来たと思い込み、それ前提で話していたのだった。

しかし私の優柔不断な態度に、そうでないことに気付いた医者は、

「なんだ~、決めてこなかったの~?じゃぁ、次回までに考えてきて!!」といったのだった。

.

考えてきて?!

私の答えは、基本「様子見」なのだが、場合によっては手術も可といったところだった。

「腰痛は、筋腫が原因でしょう」と言ったなら、「手術します」というつもりだった。

私は「手術するほかにない」といった、逃げ場のない決定的な、内容を欲していたのだが、
医者は言ってくれなかった。

あの入院する事態になったことが、医者からすれば手術する決断になると思ったらしい。

確かにあれは苦しかったが、妊婦が出産したとたんに陣痛の傷みを忘れるのと同じ現象が私にも起って、
あの激痛は、遠い過去の記憶になって現実味が無くなってしまっていたのだった。

.

医者の「考えてきて」の言葉に、「手術します」という答え以外は受け付けないと言ったニュアンスをかんじた。

その上、私が手術をすると決めると思ったから、今回の検診は簡単なものだったのだ。

「様子見」なんて選択はもともとなかったという事を気づかされ、恐怖におののいた。

この今回で終わると思った屈辱的な検診は、「手術する」というまで、続くようだ。

はっきり「手術する覚悟を決めてきて」とか「手術の期日を決めてきて」と言ってくれた方が、
腹を決めることも出来たのにと思う。

.

とりあえず、次回の6月22日まで結論は持ち越しとなった。

次回は「手術します」というしかないようだ。

手術するとしたら、言ってから半年先になるから、来年の今頃になるのかもしれない。

失敗のことも考えて、身辺整理を少ししておこうと思う。

.

大事な局面での医者との会話のかみ合わなさは、
時間が経つほどに、絶望とも思えるほどの不快さをかんじ、
声を立てて泣きたい気分になった。

今年はZARDが結成25周年だという。

2007年に謎の死に方をしたけど、いったいなんの病気で入院してたのか知らなかったので検索してみたら、

2001年(33歳頃)から、
子宮筋腫、卵巣嚢腫、子宮内膜症の病気になり、
しまいには、2006年に子宮頸がんで手術したものの.
2007年4月に肺への転移が判明、1ヶ月後の5月に1階の手すりからの転落死とあった。
享年40歳。

こんなに子宮周囲の病気を繰り返してるのなら、
早い段階で、子宮を全摘していれば、転移になることはなかっただろうに、と、思うが、
やはり、まだ若かったから、取りたくなくなかった気持ちはよくわかるよ・・・。

腰が痛いのだけど・・・①

最近、腰の痛さに耐えかねて目を覚ますようになった。

寝返りうって体の向きを変えても痛みはやわらがず、しかたなしに身を起こす。

すると不思議と痛みは消えるのだった。

どうやら、ふとんに入って6時間経つと、腰が痛くなりだすらしい。

日中は、なんともない。

そんなものだから、夜、寝るのが憂鬱になった。

6時間しか眠れないわけだから、真夜中に目を覚まさないよう、寝付く時間を調節する日々。

睡眠不足のせいか、一日中、疲れてる感じ・・・・。

.

いつから腰が痛くなり始めたのか、よく覚えていない。

たぶん、去年あたりからだと思う。

起きがけのトイレに不自由になっていた。

どういうわけか、手に持ったトイレ紙が拭くべきところにぎりぎり届かない。

起きてから10分経てば、ふつうに手が届くようになるのだが、
起きたては、なんだか腰の筋肉が凝り固まってしまってるようだった。

.

ネットで検索してみると、「就寝中の腰痛」の原因、は「運動不足」とあった。

デスクワークの人になりやすく、うつぶせやあお向けの寝方が良くないとの説明。

が、しかし最近の私は横向けの寝方なのだった。

もともとは、うつ伏せやあお向けだったのが、
下腹部にできた巨大な筋腫のせいで、横向きでしか横になれなくなっている。

しかし、「運動不足」は、私にあてはまっている。

ネコの看病で、緊急事態に備え、いつも車で移動していたので、あまり歩いていなかった。

去年、めまいで神経内科に受信したときも「運動不足が原因」と言われてたから、
かなり運動が足りないのだろう。

でも、そうと知っても、気忙しくて、運動する時間がとれそうもない。

.

他に、腰痛の原因として、「ベッド」使用をあげてる専門家もいる。

ベッドは、日本人のには不向きらしいのだ。

外国人は、おしりが大きいので、マットにおしりが沈み、いい背骨ラインで眠ることが出来るが、
日本人は、おしりが小さいので、背中が沈んでしまい、体が無理な体勢で、体調が悪くなるという。

日本人には、昔ながらの、せんべい布団が体に合ってるということだった。

私は、それを思い出して、さっそく畳の上に布団を敷いて寝ることにした。

が、よくなるどころか、腰痛は日増しにひどくなってきているようだった。

.

あんまり『起きがけの腰痛』がしんどいので、すこしばかり、ツレに愚痴ったら、

「子宮筋腫が原因じゃないの? 入院時、腰が痛いっていってたじゃない」

という返しが来た。

そういえば、そうだった。

痛みの質が違うので関連付けて考えてなかった。

ネット情報では、筋腫に腰痛もよくあることらしい。

「今度、病院に行くときに聞いてみたら?検診あるんでしょ?」とツレが言うので、聞いてみることにした。

検診当日、開口一番、「朝起きると、毎日、腰が痛いんです」と報告してみた。

すると、医者は。

「手術しても、腰痛は治らないかもよ」と答えた。

ん? ・・・・・・なんで手術の話が出てくるの? 

筋腫はとりあえず現状維持で、
私は、今回の検診が最後なのだと思ってここに来ていた。

だが、医者は、私が手術をお願いしに来たのだと思い込んでいたのだった。

(つづく)

2016年2月26日 (金)

乾燥肌で全身にかゆみ

2年前から、ふくらはぎに、数個のじんましんのようなブツブツが出来て、
はげしいかゆみに襲われるようになった。

そのブツブツは、日増しにじんましんのフチを囲うかのように広がり、直径5㎝にもなり、
冬に入ったころには、飛び火して、ふくらはぎの別のところに島を作り始めた。

乾燥が原因だとか聞くので、保湿剤をつけたり、かゆみ止めを塗ったりしたが、まったく効果なし。

ネットでは、「皮膚科行っても治らない」とあるから、病院へ行くのを渋っていたが、
ついに、腰や背中までかゆみが出始めたので、診てもらうことにした。

私「ブツブツが外に外に広がって、しかもすごくかゆいんです」

医者「いつから?」

私「2年前から」

医者「早く来ればよかったのに、跡に残るよ」

私「最近では、腰のあたりもかゆくなって、どんどん上に上がってきているんです」

医者「そうだよ。(その病気はそうなるんだよ)」

原因は乾燥肌ということで、5段階の中の4レベルの軟膏を出された。

徐々にレベルの低い軟膏に替えながら治していくという。

1


ヒルドイドソフト軟膏0.3%
スチプロン軟膏0.05%      ・・・・入りの15g

血行を良くする薬、保湿効果のある薬、炎症を抑える薬、湿疹・かぶれの薬

診察:1060円
軟膏:480円

しつこいかゆみだったので、期待してなかったが、
一回ぬっただけで、効果があった。

毎回、湯船につかるたび、猛烈なかゆみに襲われ、
ふくらはぎ全体をかきむしっていたのだが、それがなくなった。

腰のあたりの皮膚が湯をかけるだけで、焼けつくようなピリピリ感があったが、それもなくなったのだ。

服の擦れなどで、ほかの箇所にかゆみがでることがあるけど、
じんましんタイプではないので、問題ない。

こんなに効くなら早く見てもらえばよかったと思う。

それにしても、小学生の頃から、超乾燥肌だったが、こんなことははじめてだ。

服に覆われてる皮膚が乾燥するなんて、変な話。

先日の「私の何がイケないの?」(2月22日放送)をみて、これが更年期障害の一種であることを知った。

ドライマウス、ドライアイもそうで、最近の悩みの抜け毛も更年期障害だそうだ。

更年期障害って50代のイメージがあるんだけど、その前から少しすつ来るんだね。

2月21日放送の「早く起きた朝は」で、森尾由美さん(49歳)が収録中なのに、
足をかきむしってたのが、ちょっと気になった。

2015年10月31日 (土)

重度貧血で入院⑦(病人でなし)

10月6日(入院8日目) 

Photo_2

  肺に水が溜まっていて、横になると息が苦しく、たんのからむ咳が止まらなかった。
  点滴は、いつものように朝8時から夕方6時まで抗生剤漬け。
  輸血だけでは鉄分が足りないのか、鉄剤の点滴もした。
  体の傷みは、ほとんどない。

.

10月7日 (入院9日目) 

7


AM7:00 採血

AM9:30 レントゲン

AM10:00 診察

        肺のレントゲン写真を見せられ、肺の下側8センチほどが水で真っ白になってるのを
        見せられる。
        肺の水は、呼吸だけでも溜まることはあるが、入院時にはなかったものなので、
        点滴によるものだろう
という。
        毎日4本ほどしてた点滴は、今日で終了とのことだった。

AM11:00 医者が唐突にやってきて「明日、MRIすることになったから」と告げ去る。
        2日前には「MRIは、2週間先にならないと出来ないよ」と言っていたのだが・・・?

PM15:40 看護婦がMRIの説明をしに来た。
        
        だが、たかだか37度の微熱だったが、ちょっとぐったりしてて身を起こさないでいたら、
        ちょっとむっとした表情をされたので、あわてて起き上がった。
        (もう、私は病人ではないんだ)という思いがした。
        いままで、看護師さんたちは親身になって優しく接してくれてたが、
        相手も忙しいことだし、もう甘えてはいけないのだ。
        (これからは空気を読んでキビキビ対応しないと・・・
        ・・・でもそういうの苦手なんだよな。)
        いろんな意味で、早く帰りたい・・・。
    

PM20:50 医者と薬剤師が来て、「金曜日の検査次第では外来でいいだろう」と告げ去る。

.

10月8日(入院10日目) 

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AM8:00 MRIがあるので朝食は無し。
       でも、お腹すいていないので苦ではなかった。

AM10:50 MRIをするため、なぜか車いすに乗せられる。
        歩けるほど元気なのだが・・・楽しい♡
         MRIの最中のBGMは大好きなジブリ映画曲集で、
         気が紛れ、パニックにならずに済んだ。

PM14:00 入院して初めてシャワーを浴びる。(前日に許可が下りたのだ)

         シャワー室は、脱衣所ふくめ一畳ほどで、部屋のすぐわきにあるトイレの
         裏側にあった。
         
         『シャワー室の紙に部屋番号と名前を書き、次の人が待っていたら、
          終わった時、部屋まで行って空いたことを伝えに行く』
         という事だったが、すいてる時間だったので、やらずにすんだ。

         KY(空気読めない)なので、最初、間違って大浴場まで足を運んでしまった。
         閉鎖してるわ、誰もいないわ、遠いわで・・・。
         それにしても、こんな立派そうな風呂、どの病人がここを使えるのだろう? 

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10月9日(入院日11日目) 

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       点滴がなくなったのですることがなくなり、看護婦もだれもほとんど来なくなった。
       ちょっと、世の中から忘れられた人になった感覚。
       ‘わたしはここにいていいのか?’という、罪悪感から、気持ちが落ち着かない。

PM13:30 9月分の入院費請求書がベッドに届けられる。
         29日と30日の入院で、3万2018円

         (月はまたぎたくなかったんだけどなぁ・・・。緊急入院じゃしかたないよな・・・。)

PM14:45
   ~14:45 普段と違がって昼間にツレが見舞いに来た。

PM14:40 と、そこへ、いつもながら唐突に医者がやって来て、
         「明日、退院でいいだろう!」
と言った。
        突然の言葉にツレと顔を見合わせ、喜ぶ。

        先日の先生の話では、退院は連休明けと聞かされていたので、驚き。

        私の病状は、
        ‘MRIでは、筋腫は普通の筋腫のようだし、
        子宮の炎症は横ばい。
        肺も水がたまったままだが、そのうち抜けるだろう’

        とのことだった。

        要は治療しても病状に変化がなくなってしまったので、
        治ってないが、自宅療養ということになったのだ。

        おかげでラッキーなことに、次の日はツレが休日なので迎えに来れることになった。
        前から「退院時に誰に迎えに来させるか」というのが私たちの一つの問題だったが、
        ツレが休みを取れない場合、ツレの両親か私の母に頼むしかなかったので助かった。
        (一人で帰れるとは思うのだけど・・・・)
        母は、誰構わずかん高い声でおしゃべりをしまくる人で、騒動が見えてるから
        来てほしくなかったのっだ。義父母はやはり気を遣うし・・・。

        というわけで、退院時に着る洋服をメモに書き、明日持ってきてもらうよう頼んだ。
       .

10月10日(入院12日目・退院)

朝8時は看護婦の交代の時間で、その時間は避けてほしいとのことだったので、
9時半に帰ることにした。

AM8時に最後の病院食を食べ、9時10分に最後の検温。
興奮で高熱が出やしないかとひやひやした。ここで逆戻りはしたくない。

未使用のタオルとパジャマはランドリーに返した。

ナースステーションにあいさつに行き、認識番号と名前が入ったハンドバンドを切ってもらい、終了
・・・だったが、もう一度、ベッド周りの確認をしに戻った。

すると、さっきまで眠っていた同室の70代の老女が目を覚まして身を起こしているのが目に入った。

彼女とは、会話はなかったが、ほとんどの期間一緒に過ごしてたので戦友な気分になっていた。

「入院中、おさわがせしました」

そう私が言うと、その方もさみしそうな顔をして、

「こちらもうるさかったでしょ、ごめんなさいね」と言った。

私は、念願通り別れのあいさつ出来たので、ほっとして、病室を去った。

それにしても、私と違って彼女は日増しに悪化してたから、この先どうなるのだろう・・・?

土曜日だったので、裏口の小さな窓口で10月分の入院費を支払った。

10日分の、12万68866円。
 (3日後、高額医療請求の書類が届き3万55770円払い戻された)

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帰宅後すぐ、その足で実家に行くと、野良猫のシロとちびが、出迎えてくれた。
11日ぶりだというのに、私のことを忘れていなかった。
驚いたことに、ちびは、わざわざ上から降りて来てくれたのだ。
とすると、やはりあの夢は、ちびの念だったのかも・・・?

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アリスも元気でいてくれた。マリアも元気。

猫たちの世話は、日頃私がやってた分も母がひとりでやっていたのだが、
やはり大変で手が回らなかったのだろう、マリアの飲み水用器がカラカラに空になっていた。
入院中の11日間一度も水をあげなかったにちがいない。
エサはあげてたものの、水のことは忘れてしまってたようだ。
だが、猫は、けったいな場所の水を飲む生き物なので、
マリアは、仏壇の水を飲んだり、アリスのエサをふやかす水を飲んだりして、やりすごしていたようだ。
檻で飼われてなくて、よかったと思った。
アリスは点滴してるので水は飲まない。

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10月27日、退院後2回目の外来検診。

 貧血はしてないし、子宮の炎症はおさまってるという。肺の水はもうない。

入院前の症状に戻った、といいたいところだけど、退院後の生理状態が以前よりもひどくて、
子宮の状態が悪化してるのが自覚できる。

先生は、「手術での全摘も視野に入れるように」と言っていたが、
できるならやりたくないものだ。

閉経すれば子宮筋腫との戦いは終わるので、どうにか逃げ切りたい。
(閉経すると筋腫の成長は止まり、多少ばかり小さくなるらしい)

でも、閉経は(40才~52才くらい?)で、50才前後が一般的だそうだ。

だいぶ先すぎて、ちょっと無理そう・・・。

(おわり)

 

2015年10月30日 (金)

重度貧血で入院⑥(病は気から)

毎晩、ツレは夜7時台に見舞いに来た。

心配してるのだろうけど、話すことがほとんどないので、用件だけ伝えると、
あとはだいたい沈黙になってしまう。

ツレとは、少し前から仲が悪くなっていた。

ツレは、ストレスに弱いようで、部署替えになるたび言葉が暴力的になるのだった。

理由をわかっていても、嫌味な言い方されたりしたら、心は凍りつき、すさむ。

一言、二言で暴言を吐かれてしまうので、無口な私だけど、しゃべらず、うなずくだけにしようと決めたのだった。

そうなると、もう人生がつまらなくかんじてきて、笑う事すらできない。

(このままだと、きっと私、病気になる・・・)

そう思ったが、しゃべってはいけない魔法がかかってしまって、
自分ではどうすることも出来なかった。

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ツレはふだん、8時ごろ帰宅していたが、見舞いはなぜか7時頃に来ていた。

どういうことだろうと、「早いね、早退してきたの?」と聞いたら、
「お前は気の利かない女だからな。」とツレは言った。

なんとキツイ言い方だろう。病人に対して・・・。

でも、本人はそれにまったく気づいていない。

ツレが「早退じゃなくて、時間を交代してきたんだよ」というので、
「それを言うなら、‘部外者は分からないよな’じゃない?」と私は訂正した。

そして、

「まったく、‘自分のことわかってちゃん’なんだから」と私は、おそるおそる付け足した。

ツレは、ようやく自分の言葉のきつさに気づいたようで、

「もう少し、やさしくなります」

というメールが、しばらくして届いた。

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ここ1ヶ月、嫌な出来事が続いた。精神的苦痛は、いつも体に異常をきたしてしまう。

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母の「働けコール」。

ある日、テーブルの上に蛭子能収の「とりあえず稼がなきゃ」の新聞の切り抜きが
これ見よがしに置かれてあった。

見た瞬間に、怒りで体全身に電気が走る。

母は、私を、「自分のような生涯働き婦人」にしたいと昔から思っていて、無言の圧力を時々してくるのだった。

人生ほとんど無職の姉には言わず、私にだけ指図してくるのがものすごく腹が立つのだ。

私は、社会不適合者で、外で働くのは向かない。

働くのは嫌いじゃないが、今の時代の職場状況は、私の精神と体調ではやっていけない。

だが母は、昔のご機嫌な職場しか知らないから、「働きに出なさい」というのだった。

せめて子宮筋腫がなければ働きに行けるのに・・・と思うが、エロい発想の母に、
病気のことはあまりくわしく説明できない。

怒りの電気が走ると、体のどこかしらがショートするので、そっとしてほしいのだが、
母にはわからないのだった。

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「ストレスと緊張」

母が舟木一夫のコンサートをバイクで見に行くといい、叔母も一緒に行きたがってるが
足が無いので、あきらめるしかない、と母は私に言った。

じつのところ車で送ってあげてもいいが、叔母の家の場所は複雑で、たどりつく自信がなかった。
また5年ほど前に、ツレの親戚の送迎をして、ストレスから、めまいを悪化させて、
いまだに治っていないという過去があったので、
また何かしらの大病を引き起こすことがあるのではないかと、不安だったのだ。

だが、母姉妹はもう70代の高齢なので、出来る限りは楽しませてあげたいとも思う。

勇気をふりしぼって、コンサート会場までの送迎をやることにした。

すると母は嬉しそうに、「行けるわよ!娘の気が変わらないうちに!!」と叔母に電話をしていた。

母には、私がいじわるしてじらしていたようにしか見えなかったようだ。

当日、あまりの緊張で、自宅から出る1時間前に、私は動悸で倒れてしまった。

パニック障害が再発しそうだったが、そこまでは至らず、腰が抜けそうな思いで身を起こした。

昔ムーミンにあった話で、雪の精が、みんなにうながされて、一緒にたき火を飛び越えたら、
溶けて消えてしまった、というのがあった。

みんなにはたいしたことない行動でも、自分には命がけ、という場合があるのだ。

私はなんとか、無事、母たちを車で送迎することが出来た。

事故運も持ってるから、、ほんとに怖かった。

しかし、そんな状況を知らない母は、行きがけ、
私が働きに出ないことについて‘憎しみ’のように伯母に愚痴っていた。
この人はなぜ、こうしてまで私を恨んでいるのかわからない。

母からお金の支援をされた覚えもないのに・・・。

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「突然のハプニング」

いつものスーパーに車を停めたところ、バッグの中で、車のキーがガチャと鳴った。

「ん?」と思いつつ、今しがた締まってしまったドアのロックを手で開けたら、
「ブー、ブー、ブー」と大きな警告音が鳴り響き、止まらなくなった。

エンジンをかけなおしても、ドアのロックを開閉しても、止まらない。

止まったかと思っても、すぐ鳴り響く。

あわててないふりをして、思いつく限り操作をしてみたがダメだった。

するとさっきから遠巻きに見てたが赤ちゃんを背負った60代の老女が、近づいて来て、
「1度、鍵穴に鍵を差し込まないとダメ。そして車によっては、その後にエンジンをかけないと
とまらないよ」と言ってきた。

その通りしたら、ぴたっと音がやんだ。

「びっくりしちゃうわよね~。夜中でなくてよかったわね」とその方は言った。

私は恥ずかしいので冷静を装ってたのだが、もともと顔に感情が出るたちだから、バレバレだっただろう。

足が震える思いだった。

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このほかココログで、散歩に出したアバターが戻らなくなって、テンパったり、
精神をすり減らす出来事が続いた。

占い好きの姉が、「今年は最高の年だから、何か始めるといいよ」と言っていたが、
これのどこが最高の年なんだか・・・。

夏場で、鉄吸収に悪いアイスコーヒーを飲みすぎたのも、良くなかったのだろうと思う

(つづく)。