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カテゴリー「自由気ままな解釈」の8件の記事

2014年9月 4日 (木)

真に受ける人たちが問題

先日、TVタックルで、アニメと犯罪について取り上げていた。

犯罪者の多くが自宅には、ロリ系のアニメなどがあるという共通点から、
「ロリや凶悪なアニメは、犯罪者を生むのではないか?」という議論がされていた。

私が考えるに、対人関係がうまくいかないから、二次元のアニメに救いを求め、
アニメにのめりこばのめりこむほどほど、人との関わり方がさらに下手になって、孤立し、
偏った思考におちいって、犯罪を起こすのではないかと。

つまりは、孤立することが問題なのだとおもう。

人は、孤立した状態や閉鎖した状態では、正常な精神を保つのは意外と難しいものだ。

ひとりぼっちだと、自分の考えだけが「すべて」で、「正しい」と思いがちで、
自分と違った考えがあるなど、知りえない。

愚痴を言ったり、相談する相手などいないから、どんどん、思考が煮詰まって、
極端な発想になる。

人は、「必死」になると、自分を正当化し守り、周りを傷つけてることに気づかなくなる。

はたから見れば完全に「いじめ」や「暴力」または「異常行動」なのだが、いくら周りが忠告しても
本人はまったく聞く耳を持たず、正しいと思っている。

ある意味、「脳内の孤立」だ。

これは特別な人の話ではない。

過去を振り返ってみて、「あの時の自分の行動は、ちょっとおかしかったなぁ。」って
思ったこと無いですか?

だれしも、周囲の人がいることで、かろうじて正常でいられるだけなのだ。

心の平穏をつかんだ時、ようやく冷静かつ正常な判断が出来るようになる。

自分の子供を虐待死させても「正しい教育法だった」と言い張る親も、
ほんとうの平穏な心をとりもどした時に
「もっとかわいがればよかたんだ」と理解できるだろう。

.

良からぬ映像や情報に対して、規制(見せない教えない)は必要だと思う。

だが、アニメや映画に限った話ではない。

悪い影響を及ぼすものは、色々なところに転がっているもので、
何か事件などがあった場合、ワイドショーなどが常に詳細に教えてくれるのもそうだ。

爆弾のセットのしかたや、殺人のあれこれなど、やりはしないけど、私の記憶にもとどまってしまった。

自殺の方法なんかは、ドアノブ、タオルもよくある話になった。

XJAPANのHIDEさんが1998年に自殺した時には、
「そんな低い場所で?」「太いタオルで?」と、
「そんなやり方で死ぬとは!?」と世間が驚いたものだったが、ワイドショーのおかげで、
いまやこのやり方が浸透してしまっている。

そんなやり方を、誰も気が付かず、思いもつかなかったというのに、
テレビの情報のせいで、簡単に、知りたいとも思ってなかった子供にまで届いてしまう。

悪い事件や難解な出来事を掘り下げたくなる気持ちや、
反面教師として伝えたい気持ちはわかるが、
脳というものは、「再現・フラッシュバック」するものなのだ。

見たもの、感じたものと同じ場面、同じ状況、同じタイミングに接した時に、
ふっと脳は記憶をよみがえらせる。

時には、「ドラマなどの名セリフ」が浮かんだり、一場面だったり。

それが悪いほうに働くと「事件やドラマでこういう殺し方だった、こういういじめ方だった」と、
条件反射で無意識に脳や体が動き事件を起こす。

小6の女子が「カッターで友だちを殺した事件も、
反射的に「再現」で行動してしまったのだはないかと、私は思っている。

同じ場面、同じ状況、同じタイミングの時に、人は「再現」する。

先週、外国で、ホームの隙間に足が挟まれた人を、みんなで車体を押して助け出したそうだ。

今年、日本で起きた同じほほえましいニュースを、みんなが知っていたから、
すんなり行動できたのだ。

こういった、いい情報を、メディアはもっと伝えるべきだと思う。

.

犯罪は、悪い性格の特別な人がやるように思われるが、
きっかけやチャンス(?)があれば、普通の人でさえ変貌するものだ。

特に、「現実とフィクション」の区別がつかない人。

作り話とわからず(もしくはわかっていながら)真に受ける人も犯罪まがいな行動をする。

例えば、昔よく聞かれたのは、ドラマで主人公(人気アイドル)をいじめる悪役俳優に、
嫌がらせのファンレターやかみそり入りの手紙を送りつけるというもの。

作り話(仕事)だというのに、一部のファンが「主役をいじめるな」と役者に攻撃をしたのだ。

重大事件まではいかなかったようだけど、それはまだ殺人がいまほど身近ではなく、
世間の目を気にしたりして制御してたからだと思う。

ストーカーなどもその類ではないだろうか?

私も、そういった「真に受けた人」に怖い思いをされたことがある。

私が18歳の頃は、アダルトビデオのネタが「団地妻」から「女子大生」になった時代だった。

私は、ビデオは見たことはないが、世間知らずで無知な私の耳にもその情報は入ってきていた。

そんな時、私が自転車で近所を走っていると、
道端に立っていた、見知らぬオヤジから「こんにちは」とあいさつをされた。

見た目は50代前後の、ふつうのどこにでもいそうなおっさん。

私は当時、スーパーの社員で働いていたから、常連のお客だと思って「こんにちは」とだけ返した。

すると、なんと、その男が、車でついてくる。

コンビニに入って時間を稼いでも、他の店に入っても、男はずっと外で待っているのだ。

いつまでも店にいるわけにはいかないので、外に出れば、
私の自転車の後をとろとろと車でついてくるのだった。

自宅周辺に近づいたころ、ようやく男は暴言を吐いて帰って行った。

男は、私が大学生の年齢だから遊んでくれると勘違いしたようだった。

あいさつを返しただけで「あそびOKよ」と判断されたことが恐怖だった。

もう知らない人に挨拶は返すまい・・・。

偏見かもしれないが、女性も含め特に男性は年を増すと
現実よりも「テレビや雑誌の情報」が真実だと思うようだ。

都合のいい、おいしい情報は、きっと自分にも当てはまると。

.

この1年くらい前に、姉もオヤジの思い込みで嫌な思いをしていた。

姉が2月に高校卒業記念として、クラスの友だち数人と東京までディスコに行ったときのことだ。

地元にはディスコはないので、当時話題のディスコを経験してみようと、
はるばる遠くまで遊びに行ったのだった。

漫画の「きまぐれ、オレンジロード」にもあるように、高校生の背伸びであって、
異性欲しさにに行ったわけではない。

当日の夜帰宅した姉が、憤慨して言った。

「知らないおっさんがいきなり私の手をつかんで‘大学生だろう?こっちこいよ!’って
強引に連れ去ろうとしたの!‘大学生じゃない!!’って言ったんだけど聞かなくて。
クラスの男子が‘僕たちは高校生です’って、腕を引きはがしてくれたから助かったけど、
怖かったわ!」

見知らぬオヤジは、「大学生なら無理やりしても許される」と完全に思いこんで、
姉を連れ去ろうとしたのだ。

女の方だって、選ぶ権利はある!

そんなふうに、当時いたるところに、アダルトビデオを真に受けたおやじ達がいたのだ。

たしjかに、アダルトビデオはなぜか、「世の中そうなんだ!」と思わせる説得感がある。

だからおやじ達が誤解する気持ちもわからなくもないが、
女がそれほど見境ないのか、妻や娘、職場の女性をよく観察して見ろ!と言いたい。

今は、アダルトビデオが幼児まで下がってしまってるから、大変な時代だ。

18歳の私でさえ、怖くて、どう対応していいのか分らなかった。

それが、さらに子供だと逃げ切れないだろう。

10代の早いセックスは子宮頸がんになりやすいから、しちゃいけないのに。

ビデオや、映画、本などの作品の最後や最初には、
「これはフィクションです。行動したら犯罪です」の文字は、
目につくように書くべきだと思う。

2014年8月12日 (火)

子連れ再婚には周囲も注意を

7月30日に中学2年生の男子生徒(14歳)が、義父の虐待を苦に自殺したという。

義父は「強くするため」といって殴り、
先生たちは殴られたあざと知りつつ「教育熱心な父親」ととらえ、
6月中旬からは顔も腫れ足を引きずるようになった息子を、母親は世間から隠し、
助けようとしなかった。

このような、いたましい事件は、幾度となく繰り返されていて、
危険な構図があることは、誰の目にもわかる。

   母が子連れで再婚
       ↓
   実母と義父の間に子供が生まれる
       ↓
   虐待がエスカレートし、母の連れ子が死亡

子連れ再婚を考えてる人や、両親が再婚した子供の教育者は、こういうことを頭にふまえて、
注意を払うべきだと思う。

よく「暴力ではない、しつけだから」との親の言い分に、周囲は理解を示してしまうが、
そもそも、殴られなければいけないほど、手に付けられない子どもなのか、
そのことは、はたから見ても分るはずだ。

この男の子は、友だちもたくさんいて、明るい子・・・学校では評判のいい子だったらしではないか。

虐待と自覚せず、意地でも「暴力ではない、しつけだ!」という親には、
暴力以外の、しつけ法(カウンセリング)を教えてあげるとか、
もしくは、子どもの何の行為に対して、親が殴る必要と思ってるのかを
立ち会って確認してみるとかが必要だと思う。

最後の助けるチャンスである「虐待死直前の兆候」は、

子どもの体にケガがあった→学校を休むようになった→親が先生たちなどに子供を会わせない

こういう状況になったら、学校だけで解決しようとせず、
緊急に警察や児童相談所などと協力して助け出さないといけないと思う。.

私の持論だけど、

再婚相手は、連れ子の同性を恋のライバルとして排除しようとする。

 男によっては、妻を独占したい気持ちから、
 実の子の赤ちゃんに対して「妻の愛をとられた」と焼きもちや嫉妬を持つ人がおり、
 不満から妻や実子に暴力をふるう人がいると聞く。
 (対処法としては、夫の前では子供を構わないようにする。
  子供をかわいがるときは、夫がいない時に)
 
 
 再婚相手が女なら、夫の連れ子の女の子を虐待するようだ。
 (私は義母に虐待されてましたQ&A http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1145021026;_ylt=A7dP5XoAw.ZTFQMA89F2.vN7?pos=1&ccode=ofv
 

新しく子供が生まれたことで、ますます、連れ子が邪魔に感じるようになる。

 
異物に見える。

再婚を繰り返す人は、精力旺盛で、子どもより性相手である再婚相手を大事に思う。

 母はどうして子供を助けないのか?
 子どもを置きざりにして男に走った母親の場合、
 「(母親という立場でなく)女を選んだんだ」と世間から言われる。
 義父に虐待されてる自分の子供を見て見ぬふりしてる母親も、
 同様の感覚なのではないか?

 シングルマザーは、一般的に家計が苦しいから、稼げる男性がいればとても助かる。
 だけど、今回の事件の男の場合、男は定職に就いていないというから、
 まさに性の相手(もしくは甘える相手)として、確保したかったのではと思う。

実の両親からなら、どんな虐待を受けても「自殺」はしない。(自傷行為はしても)。

 哺乳類は親から生き方を学ぶ。
 親がしつけが下手だったり、乱暴なやりかたであっても、
 生きていく術を学ぶまで、自立できるまでは「親を容認する(許す、信じる)」と
 遺伝子に仕組まれてるのではないかとおもう。
 

 つまりは義父、義母などの他人から、同じように暴力を振るわれた場合、
 ショックや恐怖は倍以上に感じるということだ。

✣・✲・✣✲

14歳なら、危険から逃げるという判断が出来たんじゃないの?と疑問に感じる。

でも、そうなると、「どこへ?」となる。

昔の時代なら、近所の親戚や祖父母の家に身を寄せたり、
顔なじみの商店のおばちゃんのところに一時避難したらば、
近所のおばさん連中が、親をさとしたり、子どもの代弁をしてくれたりの
周囲が守ってくれるイメージがある。

でも、今も昔も、親から見捨てられたら行き場がない。

親戚とも疎遠だ。

「こども110番の家」というのが各所にあるけど、機能してるんだろうか?

あれは「通り魔」限定なのか?

泊ったり、相談が出来るような、普段でもこどもが立ち寄れる場所だったら、
逃げ場にもなるのにと思う。

私の父も、両親の再婚で「いらなくなったこども」だった。
父が2歳のころに父親が亡くなり、母親が再婚して弟が生まれ、いらない存在になった。
父は親に気に入られようと、家事全般をやり勉強も頑張ったという。
だが、家に居場所はなく、小学校を卒業とともに、家を出たそうだ。
昭和24年ごろから、12歳の父は東京、横浜、鎌倉を転々と
住み込みで働きながら、さまよい生きてきたという。
当時はまだ、中学生、小学生でも働いてる子がいた時代だったのでやっていけたのだろう。
詳しいことはほとんど知らないが、父の、少々暴力的な性格は、
家出しないといけないほどのひどい扱いを受けたことの表れのような気がする。

親でさえ、相談する相手がいず、頼れる親戚も、愚痴を言う近所の人もいないといった、
孤立した状態が不幸を招くのだと思う。


社会は、「少子化問題」として、「いかに子供を産ませるか(増やすか)」に目が向いている。
でも、いま存在している子供を「どう死なせないですむか」が大事だと私は思う。
たとえ、たくさん子供が生まれたって、同じくらい殺されてては意味がない。
汚染された川に、稚魚を放流するようなものだ。
東日本大震災の津波で出来たため池に、
もともといなかった絶滅危惧種の生物が住み着いたと新聞記事にあった。
人間がどうにもならなかったことを、環境が良くなっただけで、自然は奇跡を起こす。
いま、小さな子供も10年経てば、子どもを作れる年齢になる。
生きていく環境が良ければ、結婚に希望を見いだせるし、自然と子どもが生まれ、
死なせないように頑張るだろう。
今の大人社会は殺伐としている。
せめて、子供時代は楽しくさせるべきではないだろうか?

✣・✲・✣・✲

そういえば、私も父の再婚で、家を追い出された口だった。
父と再婚相手との子どもが生まれたのは、私が出て行った1年後だったけど、
50代という高齢でありながらも、新婚さんには、どうしても
子供(成人してる手間のかからない年齢であっても)の存在が邪魔に思えるんだね。
「誰と結婚しようがどうしようが勝手にしていい!とっとと出ていけ!!」と父から殴られ追い出された。
もっとひどい言い回しだったはずだが、よく覚えていない。
ともかく「実の親の言う言葉じゃないな。」という感想を持った。
子ども時代からの念願の新築の家だったから、そこから嫁ぎたかったけど、
夜逃げのような感じで荷物をまとめて自宅を去るしかなかったよ。
あんまり急いでたものだから、大切にしてたものとかを、
箱ごと、いらないものと一緒に間違えて置いて来てしまったものもある。
そのとき私は成人してたものの、一人暮らしする方法もよく知らなかったし、
彼氏もいなかったから、1年前に離婚で出て行った母と姉のもとに転がり込んだ。
ともかく、私には頼れるところがあったから、助かったんだ。

 

2014年8月10日 (日)

アナと雪のパンフ

先月の話だけど、アナと雪の女王の映画のパンフレットを、
ツレが隣町の映画館まで行って、買ってきてくれた。

近場では売り切れで購入できなかったからだ。

私は映画は見てないけど、アナと雪の女王は、姉妹の仲たがいの話らしい。

実は、私も姉と確執があり、今はなるべく顔を合わせないと言った関係になってしまっている。

詳しいことは省くが、パンフに何か「姉妹とは?」に関する、
手がかりがあるのではないかと思って読んでみたかったのだ。

世界ふしぎ発見!で聞いたことには、この映画を作る前に、
多くの姉妹を集めてアンケートをとり、それを参考にして作られたと言っていた。

‘「姉は魔法が使えるのでは?と思うほど器用」、だと多くのの妹は思っている、というところから、
姉には魔法が使えることにした・・・・’と。

また、まんが家の久保ミツロウも「長女だからエルサの気持ちが分る~!」
と興奮して話しているのをテレビで見た。

どんな「姉妹あるある」があったのか・・・?

結局のところ、アンケートの内容はパンフにかかれていなかったが、
ストーリーやキャラ説明から、姉妹関係がどうイメージされてるのかが、なんとなく分かった。

‘「エルサ(長女)は幼いころ、妹を危険な目に合わせて以来、
その力(触るものを凍らせる)がトラウマになっている。’

‘アナ(次女)は、幼いころの記憶がないため、エルサが心を閉ざした理由がわからない。
外の世界と恋に強い憧れを抱く。
姉と国を救うため危険をかえりみず旅に出る。’

私も、幼いころに2回交通事故にあっているが、半分は姉が原因だ。
また、姉の病気ためにふだん出さないエネルギーを使って奔走したこともある。

‘恋に強い憧れ・・・’。
わたしの実感だけど、末っ子は、生まれたときからいつもそばに姉や兄がいて、
「誰かの後ろ」または「だれかと一緒」というのが、無意識の所定位置になってる気がする。
だから、頼れる異性は必要必須になるんだと思う。

.

パンフでは、マット鈴木さん(レイアウト担当)の、

‘映画は、「悪役は右からインして、左に出る。ヒーローは、左から入って、
右に出て行く」といった法則があります。それらを踏まえて、キャラクターをいかに美しく、
わかりやすいカメラ運びで見せていくかを、監督と話し合いながらつくるのが・・・’

というところは、勉強になった。

.

姉のエルサは金髪、妹のアナは栗色・・・。

「高慢と偏見」でも、長女ジェーンは金髪、次女のエリザベスは黒髪。
「大草原の小さな家」でも、長女メアリーは金髪、次女ローラは栗色。

長女は金髪率が高いのかな?

.

ネットニュースで見かけたのだけど、
「世界でも「アナと雪の女王」の映画はヒットしてるが、日本での熱狂は理由が分らない」という。

映画を見てない私だが、松たか子の歌とともに、
エルサが雪の中を一人さまよい、魔法で雪の城を築くプロモーションビデオは、
ただ、それだけで何度見ても感動できる。

なにが感動するのか、自己分析してみると、

「エルサの雪の中を一人突き進み、マントが飛んでいっても気にしない(寒くないわ~)」といった場面は、
まさに死ににいく(自殺)スタイルそのものに見えた。
(魔法が使えたから死ななかったけrれども。)
それは、多くの日本人を涙させた、
「フランダースの犬」の最終回で、ネロが雪の中を死に向かって歩いている場面にも重なる。
「フランダースの犬」は、救いがない内容からか世界ではあまり評価されていないし、
アメリカではハッピーエンドに変えられていたりして、
この悲しくも感動というのは日本人にしかわからない感覚らしい。
もともと日本には、大昔から「自害の美学」というものがある。
‘無様な生きざまをさらすより、美しく散れ・・・。’
あの花嫁も身に付ける懐刀は、護身用でもあるが自害用でもあり、
嫁いだ先で苦労があり耐え切れない場合は自殺を、というものだ。
侍の責任の取り方は「切腹」で、これもちゃんと作法があり、少年のうちにやり方を学ぶ。
かつて第二次世界大戦で日本兵が「万歳突撃」したように、
哀しみを押し殺して、ほほ笑みながら死んでいく、といった死にざまは、
日本人の心をくすぐるのではないか?とも思う。

また、この場面の松たか子の、力を込めた歌い方は、魂の叫びそのものだった。。
それは、ヒッチコック映画「知りすぎた男」(1956年)の中で、誘拐された小さな息子に向かって、
ドリス・デイがあらん限りの大声で歌う「ケ・セラ・セラ」を思い出させた。
誘拐のアジトを突き止め、母親は、敵の屋敷でただの歌手として「ケ・セラ・セラ」を歌いながら、
部屋のどこかに居る息子に向かって
「絶対助けるから、安心して!」と強い思いを送る感動の場面だ。
「ケ・セラ・セラ」は、いまでも人気で歌い継がれているけど、
実際はのんきなメロディとのんきな歌詞で、私としてみれば、ぐっとしない。
あの映画の場面があったからこそ、平成になった今でも愛されてるんだと思う。
魂の叫びは、いつの時代も人々の心を揺さぶるのだ。

雪の城がみるみる出来上がる場面は、
子どもの頃にみたアニメ映画に「森は生きている」(1980年)を思い出させた。
物語の中で、で四季が一瞬で早変わりするという見どころ場面だ。
CGが無い時代だから、今見たらさほど感動はないかもしれないが、
当時、驚きと感動を覚えたものだった。

「森は生きている」のストーリー。
少女フーニャが、わがまま女王のために真冬に春の花マツユキを探しに行くと、
月の精(1月~12月の精)の12人に出会い、花を見つけることが出来た。
わがまま女王は、月の精からもらったという指輪をフーニャから奪い取ろうとする。
フーニャは抵抗し、倒れながら指輪を投げ、教えてもらった呪文を唱えるのだった。
‘転がれ転がれ指輪よ!
 春の扉を開け、夏の花のじゅうたんの上を転がり・・・(秋と冬の呪文忘れた・・・)’
そうして、みるみる、景色は嵐のように春夏秋冬と移り変わって、
わがまま女王をぎゃふんとさせることが出来たのだった、という話。
.

ツレが買ってきてくれたアナと雪の女王のパンフの写真(上中央ね・・・あら、裏表紙だわ)。

Cimg9440


気を効かせて、他の映画のチラシももらってきてくれたよ。
私が、こういうのを欲しがるってこと、よく分ってるじゃないの(笑)

2014年4月23日 (水)

ナタと筋腫の類似

「封神演義」や「西遊記」に登場する「ナタ」という少年は、奇妙な誕生のしかたをしている。

状況からすると、本来は「子宮筋腫」という病気だったのではないかと私は考える。

たぶん、見た目の不可解さから、うわさなどに尾ひれがついて伝説が出来たのではないだろうか?

.

「ナタの誕生」

李靖の妻の殷氏は3年6か月かけて子を出産した。

李靖が部屋に入ると、部屋は赤色の霧に包まれ、異様な臭いが漂っていた。

出産の黒いお盆の上には、赤子ではなく、まりサイズの肉の塊があり、くるくる回っていた。

李靖は「おのれ妖怪!」と剣をふりおろし、刃が触れた途端、塊は二つに割れ、
まばゆい光が部屋全体にほとばしった。

しばらくして、光が消えると、塊の中には、赤い腹掛けをしたかわいい男の子が入っていた。

歯も髪も生えそろい、右腕には金の輪、腰には赤い帯が巻いてある。

あまりの可愛さから、李靖は殺す気がうせた。

後日、誕生祝いに太乙真人という仙人がやってきて、
金の輪は「乾坤圏」、赤い帯は「混天凌」で、自分の住む金光堂の宝貝だといい、
赤子にナタと名付け、弟子にした。

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「子宮筋腫」は、子宮の壁にコブができる病気で、30代40代では4人に一人に出来ているといわれる。

コブの成分は脂肪ということで、良質の腫瘍だから、死ぬことはないが、閉経(生理が来なくなる)まで、大きくなったり、数が増えたりしていく。
小さい場合は、経過観察だが、大きい場合はたいてい手術で取り除く。

数は1個から10個くらい。大きさは、豆サイズから小玉すいかの大きさまで、さまざま。グレープフルーツの大きさにまでなったら、素人でも、お腹をさわれば、異物の存在はわかる。

子宮筋腫で困るのは、
生理が重くなるということだ。ふつう生理は1週間で終わるのに、2週間以上も続いたり、不正出血もおこす。多量出血で貧血にもなる。腰痛、生理痛、性交痛、お腹の張り、膀胱圧迫など、筋腫の出来る場所によって、いろいろな障害が出てくる。

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殷氏の年齢はわからないが、ナタの上に2人の子供を産んでいるから、
若くても20代半ばあたりだろうか?

20代であっても子宮筋腫になる人はいるし、肥満も原因だったりする。

彼女は、2人産んだことで、産後に太ってしまったかもしれないし、
家庭は裕福でもあるから小太りだった可能性もある。

ともかく、殷氏が子宮筋腫だったと仮定して、想像してみよう。

上記の理由から、性交は難しくなってくる。

だが夫の李靖には、「病気だから」と断っても女性の病気は理解されない。

しかたなく「妊娠している」と言い訳をしてみた。

お腹をさわれば、丸い塊を確認することが出来る。

夫は「なるほど」と、わかってくれた。

だが、そのうち、いつまでたっても生まれないので、変な噂が広まっていく。

「お腹の中の子は妖怪ではないか?」

ただの脂肪の塊だから、何年経ったって出産にいたるわけがないのだ。

しびれを切らした李靖が、「まだ子供は生まれないのか!?」と怒り出した。

殷氏は太乙真人に助けを求めた。

「子どもを生まれなければ、殺されてしまうかもしれない」

手術の技術も未熟な時代、命がけの帝王切開をすることになった。

すでに「妊娠した」と言ってから、3年6か月経っていた。

産室のそばにはひそかに、太乙真人も待機。

お腹から、巨大な子宮筋腫が取り出され、黒いお盆に乗せられた。

李靖がそれに対して「おのれ妖怪!」と切りつけようとしたとき、
太乙真人は光で目くらましをして、
どこかから調達した赤ちゃんを割れた塊に入る早業をしてのけた。

そこは仙人、マッジックめいたことは、簡単なのである。

ただ、生まれたての赤ちゃんは用意できなかったのだった。

そうして、後日、出産祝いに太乙真人が、そ知らぬふりしてやってきて、言う。
「これは、わが洞にある宝と同じものだ!縁があるようだから、わしの弟子にしよう!」

ま、そういったところじゃないかしら?

封神演義の作中には、他に妊婦の腹を裂く場面があり、、
この作品が書かれた当時は、、妊婦の体の不思議が話題になってた時代なのかもしれない。

2013年1月 6日 (日)

マクロスとリリーマルレーン

第二次世界大戦中、ヒットした名歌がある。

その名は「リリー・マルレーン」。

ララ・アンデルセンという女性歌手が歌い、、
歌詞は「生きて帰れたら、またあの街灯の下で2人で会いたい」と戦場から恋人を懐かしむ内容のもの。

戦時中に慰安曲としてドイツラジオ放送からたくさんの曲とともに流され、
ラジオをつけるたびに聞こえてくる、その知らない歌に敵も味方も、
故郷を懐かしみ涙し、戦闘気力が落ちるので聞かないようにと言われたという、伝説の歌である。

(リリー・マルレーンの歌詞が載ってます。ウィキペディアdownwardleft

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%B3

shineshineshine

1983年に発売されたレコード「マクロス MISSDJ」。

2

これは「時空要塞マクロス」に登場している歌手リン・ミンメイがラジオDJをしている内容のレコード。

自分の持ち歌のほか、名曲をリンミンメイ(飯島真理が)カバーして歌っている。

戦争を題材にした歌ばかりの選曲で、「リリーマルレーン」も入っている。

・「スカボロ・フェア」(サイモン&ガーファンクル)
  http://www.youtube.com/watch?v=8C52qfz0E48(他の歌手が歌ってるけど、歌詞付き)
・「港が見える丘http://www.youtube.com/watch?v=3tBV7TCx2JY(平野愛子)
・「風に吹かれて」ボブ・ディラン
・「リリー・マルレーン」((加藤登紀子訳)
  http://www.youtube.com/watch?v=OJRuXmks-Rc 加藤登紀子が歌うリリーマルレーン)

マクロスは、「歌で敵の心を動揺させてやっつける」というアニメで、
この「リリー・マルレーン」の伝説の話が元になってる気がする。

リリーマルレーン(加藤登紀子の歌詞)3番

 月日は過ぎ人は去り
お前を愛した男たちは
戦場の片隅
静かに眠ってる
リリー リリー マルレーン
リリー リリー マルレーン

1

おまけ:マクロスサウンドトラックVOl・2

2012年12月15日 (土)

鉄拳とフレデリック

鉄拳のパラパラ漫画が評判になっている

パラパラ漫画とは、一枚一枚の紙に少しずつ絵を変えて描き、
速くめくることでアニメーションのように見えるというもの。
誰もが一度はノートの端っこなどに描いてみたことがあるのではないだろうか。

鉄拳のパラパラ漫画を描くきっかけは、ある特番でパラパラ漫画をつくるコーナーがあり、
急きょ代役でやらされることになったことからのようだ。
発表されるとたちまち人気になり、毎年やっているその特番の名物となった。
特に「振り子」は世界で絶賛されているという。

http://www.youtube.com/playlist?list=PLD790405167AD90A8 (↔鉄拳パラパラ漫画動画

鉄拳はお笑い芸人で、スケッチブックにイラストを描き「こんな◯◯は嫌だ」シリーズなどのネタをしている。
週間ヤングマガジン・ちばてつや賞を受賞したほどの腕前なので、
パラパラ漫画は得意分野ではあるのかもしれないが、ひとりアニメ作りは大変な作業ではある。
彼の場合は3分のパラパラ漫画に1000枚以上の用紙を使用しているという。
1秒の動きに5枚以上描くということになる。素人には膨大な量で根気も必要である。

ちなみに、ふつうにアニメを作るには1秒24枚必要で、
日本では8~12枚の絵で、1枚を2.3回撮影して24枚にしていた。(今もそうなのかは知らないけど)
ディズニーアニメは、24枚全部描いてるのであのしなやかな動きになるのだ。

はじめて鉄拳の作品「振り子」を見たときは、フレデリック・バックのアニメが思い出された。
得に、しりとりのように展開する映像と奥深い人生観の表現法が。Photo

フェレデリック・バック(1924年~)は、40歳の時(1960年代の頃)に
独学でアニメ制作をはじめ、全部手書きの色鉛筆(?)で、
たった一人で数年かけて短編映画を作っている、アニメ界の巨匠である。
一脚の揺り椅子の話を描いた「フラック!」(1981年)と「木を植えた男」(1987年)は、
アカデミー賞短編アニメーション賞を受賞している。

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これらの作品の表現方法は、ジブリの高畑勲や宮崎駿を驚かせ、
「ホーホケキョとなりの山田くん」や「崖の上のポニョ」に影響を与えたのだった。

鉄拳がフレデリックの作品を知っていたかは知らないけど、
影響があったにせよ、つぎつぎといい作品を作れるということは、
本物の才能ゆえってことだろう。
フレデリックのことは日本では、たぶん認知は低いが、
鉄拳はどんどんパラパラ漫画作家として名前が知れていくのだろう。

かつて金子みすず(1903~1930)が、雑誌に掲載されてる作品を見て、
「これなら私にも書けそう」と、童謡詩人になって、先に掲載されてた人たちよりも
有名になったように・・・?  大げさかな(笑)coldsweats01

http://www.cinematoday.jp/page/N0033415 (フレデリックさん来日の様子、高畑勲さんと)

写真は2011.7.8の新聞記事から。

2012年7月 3日 (火)

韓流ドラマとキャンディキャンディ

私も韓流ドラマは好きで、たまに気になったものは見ている。

やはり「冬のソナタ」から見るようになったくちで、いままでに感動したドラマはたくさんあるのだけど、記録しておかなかったので、タイトルがわからないから、ここでは紹介はやめときます。

韓流ドラマのよいところは、画面が明るく色鮮やかで、整った髪やシミのない肌の、美しい俳優たちの登場とともに、わかりやすい内容だと、私は思う。

全部ではないけど、いくつかの韓流ドラマを見てると、だいたいのパターンがあることに気づいてくる。

・主人公女の子は、見た目も普通で、金持ちでもなく、不幸なのに、友達や男性に好かれる。

・主人公を好きになる相手の男性は、ちょっと性格が悪いけど金持ちでハンサム。
 主人公の女の子のおかげで性格が良くなったり、問題が解決する。

・金持ち男性の家族に絶対権力のある「おばあさま」がいる。
 身分をかくした状態で、主人公の女の子と仲良しになる。

・主人公の女の子をいじめるライバルの金持ち美女がいる。

「おばあさま」が出てこない場合もあるけど、基本はこんな感じ。
(たまたま私が見たのがそういう感じのドラマだっただけかしら?)

韓流ドラマのことは詳しくないし、あくまで推測だけど、このパターンのはじまりは「冬のソナタ」ではないかと思う。

「冬のソナタ」は2002年に韓国で放送され、2003年に日本で放送されると、ヨン様、メガネ、マフラーのブームが起きたほどの大人気ドラマ作品。

冬のソナタ」は、この漫画を読んだ人ならすぐに気づいたと思うけど、冬ソナの脚本さんが言うように、1970年代に世界を魅了した人気マンガ「キャンディキャンディ」(原作・水木杏子、漫画・いがらしゆみこ)がもとになっている。

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あからさまに漫画と同じだと思うところは、

・顔の似てる男性が現れる。
・主人公の女性が「洋服」の罠にはまる。
・彼が記憶喪失になる。
・やさしい彼と不良の彼。
・元彼との思い出をいつも胸に抱いている

などなど。

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upwardright漫画「キャンディキャンディ」から。

「キャンディキャンディ」の魅力はというと、

・主人公の少女が、どんな苦難にも負けない強い意志を持った、明るい性格をしている
・主人公をやさしく見守る金持ちでハンサムな男友達がいる。
 (しかもみんなタイプの違う男性)
・おしゃれでかわいい洋服がたくさん出てきて、華やかである。
 
(映画マイフェアレディの少女版のようなかんじ)
・次から次へと天国と地獄をあじわうような展開がすごい。

このマンガは、いじめや苦難の場面が多いにも関わらず、主人公の前向きな性格とやさしい友達の存在で、さわやかさと感動を与える作品になっている。

今のような殺伐とした時代こそ、このような、人に元気と勇気をあたえる作品は必要なはずだけど、

まだ、漫画家と原作者の著作権問題で、再放送も出来ない状態になってるので、はやく仲良くなって、みんなが見れるような状態になればいいと思う。

やはり、誰もが思うように、名作が封印されてるのはもったいないからね。

この「冬のソナタ」と「キャンディキャンディ」が似てる話は、みんなも知ってることだろうけど、最近、洗剤アタックのCMでいがらしゆみこのイラストを見かけたので載せてみました。

2012年6月25日 (月)

赤毛のアンとにんじん

「赤毛のアン」の物語は、カナダの雄大な自然とともに孤児院から来た赤毛の女の子が、マシュウとマリラ老兄妹に引き取られ、親友ダイアナと共に周りの人たちとかかわりながら成長していく話である。Photo

この話の中で、主人公アン・シャーリーは、自分の赤い髪にコンプレックスを持っており、クラスメイトのギルバートに「にんじん」とからかわれ、その後5年間、彼をシカトし続けたほどに怒っていた。

大抵の人はこれを読んで、‘たかがにんじんと言われたぐらいで。アンは過剰すぎる。’と思ったに違いない。でも私は、

アンが気にしている「にんじん」は、野菜のにんじんではなく、ジュール・ルナールの小説「にんじん」のことではないか?

と思うのだ。

shine   shine   shine

ジュール・ルナールの「にんじん」は、「赤毛のアン」が書かれる10年前の1894年に発表された小説で、作者の子供時代の体験をもとに書かれている。

「あとがき」から抜粋させてもらうと、

赤毛でそばかすだらけの少年は、にんじんというあだ名をつけられて、母親から嫌われ、兄のフェリックスや姉のエルネスチーヌと差別されています。
母親のルビック夫人は、いやな仕事やつらい仕事をにんじんばかりやらせて、好きなものもにんじんには食べさせてくれません。
この小説は、ほんとうの母親から継母のようにいじめられるこどもの悲劇であり、ほんとうの母親からきらわれる子供の孤独と反抗をえがいたものといえる。


実際、ジュールの母親は、かなりくちうるさい、ヒステリー気味のひとで、ジュールにつらくあたった母のようでした。
ジュールには、一生のあいだ、子どもの頃の不幸な感じが忘れられませんでした
ジュールが結婚して妻と一緒に故郷へ帰った時、母が自分の妻にしめした敵意をみて、子どもの頃の不幸を思い出し、これを書きはじめたのでした。
1904年の日記には、「わたしに『にんじん』を書かせたのは、自分の妻に対する母の意地悪な態度だった」とかいています。」  

と書いてある。

1894年当時は、「ほんとうの母親からの虐待」はめずらしく、こういうことはほとんど聞くこともなかっただろう。この小説は、世間に驚きをもたらしたに違いない。
しかも主役は、いままでにない、うそつきで動物虐待などするかわいげのない少年なのである。(しいたげられてる人は、相手の顔色をうかがって意見をかえるから、うそつきに思われがちで、ストレスのはけ口を小動物にむけたりするもの。かなり追い詰められた状態といえる。)

さらに、にんじんは、自殺しようとしたことを父親に告白するが、
「いいか、にんじん。幸福なんてあきらめてしまえおまえは、いまから幸福になることなんぞ、けっしてありゃせん。あきらめろ。しっかり武装しろ。それも成人になるまでだ。自分で自分のことが出来るようになれば、おまえは自由になる。わしらと縁を切ることもできるんだ。少なくとも家はかえられる。つまらないことに負けないようにしろ。神経なんか殺してしまえ。」
と父に言われ、何もしてくれない。
このつらい現状が変わることなく、救いのない、幸福の結末を迎えないまま、物語は終わる。

shine   shine   shine

「赤毛のアン」が、この「にんじん」を意識して作られたものだと思える箇所は、ところどころあって、

①アンは、生後3ヶ月で両親を相次いで亡くし、トマスさんやハモンドおばさんのもとで預けられ、子守や使用人としてこきつかわれる。主人が亡くなるたびやっかい扱いになり、ついに孤児院に送られ、ここでもいらない存在となる。そこでマシュウ達から養子の話が来て、
迎え
えに来たマシュウに「あたし、いままでどこの家の者でもなかったんですもの。・・・ほんとうの家族としてはね」と話す。

②マシュウに赤い髪を見せて「これであたしが完全に幸福になれないか分ったでしょう?赤い髪を持った者はだれでもそうだわ。一生の悲しみとなるでしょうよ。」という。

③アンの名前へのこだわり。(「にんじん」では、本名は出てこず謎のままだった。)
始めてあったマリラに、コーデリアと呼んでほしいと言い、本名の「アン・シャーリー」と答えると、

「アンこそ、わかりやすい、おしとやかな、ほんとうにいい名前です。なにも恥ずかしがることはありません」とマリラに本名をほめられ、名前の大切さをそれとなく語っている。

(デイヴ・ペルサーの「Itと呼ばれた子」の本にもあるように、虐待する母親は名前でその子を呼ばなくなる傾向があるようだ。日本だと、「おい」「お前」になるだろうか・・・。本当の名前で呼ぶことは大切である)

④始めて会ったレイチェル夫人に「みっともない、赤毛、にんじん」とけなされ、足を踏み鳴らして逆上するアン。泣いてるアンを見て、

突然古い記憶がマリラによみがえってきた。ごく小さいとき、ひとりの叔母がもう一人の叔母にむかってマリラのことを、「かわいそうに、この子はなんてみっともないんだろう。」と言っているのを聞いたことがあった。そのときの胸をえぐられるような気持ちは、50になっても忘れられなかった。

と書いてある。

⑤ギルバートに「にんじん」とからかわれ、怒って石版で彼の頭をたたく。

ギルバートは野菜のにんじんのつもりで言ったつもりだったろうけど、アンはジュールの「にんじん」と解釈したに違いない。
事前に親友ダイアナから「命からがらの目に合わせるいたずらをする人」と聞かされており、実際にこの直前にクラスメイトのルビーにいたずらをしてるのを目撃してるからである。ルビーはこれが原因で泣いてしまっている。

アンは、辛い人生を歩んできたが詳細は語っていない。
あの赤毛に対する激しい反発を見れば、過去に髪に関して何かあったことが推測される。
また、読書家のアンなら「にんじん」を読んだかもしれないしもし、読んだ人によって馬鹿にされたのかもしれない。

今まで不幸しか味わってこず、空想の中でしか居場所を見いだせなかった夢見る少女に対して、「君はあの‘にんじん’と同じようだね。同じように一生幸福にはなれないんだよ。君に明るい未来はやってこないんだ。」という意味合いの言葉を投げかけるということは、‘死ね’ということと同じで、すごい剣幕で怒るのは無理もないことではないだろうか。

(ギルバートはアンより3歳上の14歳だったが、父の病気の治療につきそい学校に来てなかったため、勉強が遅れていて、アンと同じレベルだった。その引け目とモテる自信からか、いたずらばかり。いままで責められたことはないようで、アンの態度に驚き、この事件以来いたずらはしなくなった。些細なことで人を心底傷つけることがあるを悟ったのかもしれない。)

shine    shine    shine

「赤毛のアン」は、赤毛でそばかすだらけの、人から「いらない」扱いを受けてきた孤独な子どもが、暖かい家庭に迎えられ、平凡な幸せな10代を過ごすという話。
「にんじん」の少年は10歳くらいで、不幸のさなかに話は終わっている。
「赤毛のアン」の作者モンゴメリは、この物語で赤毛の可哀想な子供に幸福なつづきと結末を与えたかったのではないだろうか。

(あくまでもただの個人の想像です。うまくまとめられたかな?coldsweats01 )